なーんも持っていない自分

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この間の日曜日、大阪の名村造船所跡地で開催されたアートイベント「カロウルエの街」で、ライブをやってきました。もともと造船所だった場所なので、「イカリを揚げよう」とか「明和電機社歌」がはまりましたねー。45分ほどのショートバージョンライブでしたが、盛り上がりました。

さてイベントが終わり、撤収を終え、出演者のみなさんやスタッフの方々と打ち上げをし(途中で寝てました・・)、夜中の3時ごろに宿に戻りました。この宿というのが、いかしてまして、名前を「AIR大阪」というんですが、一軒家を改造したかなりアーティスティックな建物なんです。

もともとビジネスホテルらしいんですが、そんな痕跡はゼロ。一言でいえば下宿?とにかく安くて変わった宿なので、興味のある方はぜひ。たまに長期でアーティストの方がレジデンスしてたりします。

で、この宿の雰囲気が、僕が美大浪人時代、広島の並木通りにあった下宿に似てたんですねー。その広島の下宿は、風呂なし共同トイレ、六畳一間で、なぜか立派な床の間がついているというかなりかわった部屋でした。

とにかく浪人生というのは社会のどこにも所属していないので、なんだか腰が引けた、うしろめたい気分でした。もちろん明和電機なんてまったく関係なく、魚器シリーズのかけらもない時代。芸術家になりたいという夢はあるけど、世間に売って出る表現なんてもってない。朝から晩までデッサンとか静物の着彩とかやってました。

とにかくなんもないわけです。

近くのクレープ屋でバイトしてたんですが、そこはなぜかミッシェル・ポルナレフとかシルビ・バルタンとかおフランスなサウンドが流れまくってました。それもなかなか切なくてねー。

今はどうかわかりませんが、広島の中心街のそごうのあたりは、夕方5時になるとなぜかミッシェル・ポルナレフの「HOLIDAYS」って曲がオルゴールで爆音で流れてました。それもまたまた切なくてねー。とにかく社会のどこにも所属してない背徳感を加速してくれるわけですよ、ミッシェルさんが。(このトラウマが、その後”ミッシェル信道”という、いまだ明和ファンの間で物議を醸し出してるキャラクターを生むのだが・・・)

でもふと、あのときの何も持っていなかった原点の気持ちに立ち返ってみたらどうなんだろうと思った。AIR大阪のなーんもない部屋の中で。ぼんやり寝ぼけた頭の中で思ったのは、たぶん作品うんぬんよりも、自分とは何だろうってことをやっぱり思索しちゃうだろうなあ、と。

表現者にとって自信とは、制作物しかない。制作物があればあるほど、「自分はまだまだ作れる。」という安定感?のようなものが生まれる。長年表現活動をしていれば、なんどもピンチはやってくる。でもしたたかにそれを乗り越えていれば、やっぱりそれも自信になる。

魚器シリーズを始めて20年。もう、この時間をすごしてきたことが、自信なわけです。

でもかつては僕もなーんもなかったわけで。今は自信がいっぱいつまったこころの中には、不安しか入ってなかった時期があった。あったんだよねー。

ほんと。あったんだよなー。

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