プラモと出刃包丁 <社長と模型 その2>

 

ワンダーフェスティバル2017、いよいよ来週末!

明和電機のアトリエも、追い込み作業で社長&工員さんの笑顔が消えはじめました。まにあうんかな・・・・・まにあわせな!

さて、そんな作業の合間にブログをちまちまと更新。社長のプラモやミニチュアに対する思いをお話する、第二話です。

第一話はこちら!

僕は昭和42年生まれ。一番最初の家の記憶は、幼稚園のときに住んでいた、赤穂市にあった工場&住居の家でした。

一階が工場で、父親の「明和電機」がそこで稼働していて、東芝の下請けで真空管のガラスなんかを切ってました。グラインダーがあったので、鉄の削れて焼けた匂いがしてました。作業してるおじさんやおばちゃんたちは、普通に工具や工作機なんかも使っていたので、「へええ、道具っておもしろいなあ・・」と小さいながらも思ってました。

工場には、油でよごれた部品を洗うためのシンナーの洗浄曹がありました。おおきな箱にたっぷりシンナーがはいっていて、独特のやばい香りがしてました。思春期だったら、ヤンキーのように吸っていたかもしれません。幼稚園児でよかった。

あるとき、そこに発泡スチロールを入れると「シュワシュワ~」をあっという間に溶けていくことを発見しました。

それがおもしろくて、梱包用の大きな発泡スチロールとかを見つけると、すぐさまシンナーの洗浄槽につっこみ、ガンガン溶かして遊んでました。なんだかウルトラマンで、倒された怪獣が溶けていくみたいで、おもしろかったのです。それを見つけた工場の工員さんに「なにしょんなら~っ!!」と怒られたなあ・・・。

幼稚園のときには、すでに、家の中に父親が買ったとおもわれるプラモデルがありました。覚えているのは、ゼンマイ歩行する「ガメラ」と、二式大型飛行艇のプラモ。

ガメラは歩行の安定が悪いので、父親が足に油粘土をつめて重心を下げてました。二式大型飛行艇は、もともと父親がその飛行艇を作った新明和工業(川西航空機)では働いていたので、買ったのだと思います。飛行艇の方は、作りかけがずっと箱の中にありました。子供ながらに、銃座や透明パーツの窓なんかをみながら、「こまけー!よくできてるー!」と関心してました。

さて、そんな幼稚園のとき、第一話でご紹介した近所のプラモ屋の「あけずみ」に、入り浸ってたわけですが、自分が買えるのは50円のガキ向けプラモだけでした。

あるとき、宇宙船のプラモを買ってきて、作ろうとしたら、プラモの周りにくっついている「ランナー」がやたら丈夫で、幼稚園児の力だと、なかなか本体からねじ切れません。

「これは、なんか他の方法をかんがえな、無理やな。」

と、幼稚園のちっさい脳味噌で考えた結論が、「道具をつかおう。」でした。一階が工場なので、ニッパーからドリルまで、なんでもあったんですが、さすがにおっちゃんたちの道具なので、勝手に使うのは気が引ける。

なんかないかな・・とあたりを見回すと、目の中に飛び込んできたのが、台所にあった「出刃包丁」でした。

「これや!これをつこうたら、一発で切れるわ!」

と、その出刃包丁を幼稚園児のちっこい手でつかみ、おもむろにプラモのランナーをがしがしと力まかせに切り始めました。客観的にその風景は、

「3秒後にはぜったいに指を切る、おさなご」

という、世のお母様方が貧血でぶったおれことまちがいなしの光景だったと思います。

案の上、3秒後には「スパン!」と左手の人差し指を出刃包丁で、ざっくりと切り、鮮血が吹き出したのでした。

ぎゃああああ!という絶叫に近い泣き声に、おばあちゃんが「どうしたんなら!」と飛んできました。そこには血まみれになった幼稚園児。

「なしたまあ!(赤穂弁で ”なんということだ” )」

とおばあちゃんもたまげましたが、さすが戦中派、すぐさま洗面所から洗面器をもってきて、したたりおちる血を洗面器で受け、ぐっと関節をおさえて止血し、赤チンと絆創膏で傷口をぐるぐる巻きにしました。(いま思えば、すぐに病院に行き、縫うはずですが、そこが戦中派)

「なんで出刃包丁やねん!あぶないやろが!」

と心配半分で怒られましたが、

「だって作りたかったんやもん・・」

アホな答えしかできまんでした。とぐじゅぐじゅに泣きながら。

 

あれから45年。いまではあらゆる工具や工作機械を指を切らずに操作できるようになりました。でも心のどこかにあのときに痛みや恐怖心が残っています。結構それが大事で、この恐怖心があるから、怪我をしないのだと思います。

左指の傷を見ながら、ときどき今でもそう思います。

 

 

 

プラモと出刃包丁 <社長と模型 その2>” への2件のコメント

  1. いつもタイムリーな間隔でおばあちゃまが、ピンチを助けてくださっているのですね。
    とても痛い思いを小さな身で経験されたのは、貴重でしたね。
    指がなくならなかったのは、幸いでした。
    素敵な思い出のギフトを有難うございました。

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