本日より 「明和電機ボイス計画宣言展」 開催。

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<明和電機ボイス計画宣言>

明和電機は歌うロボットを開発し、歌手として世界デビューさせることを宣言します。


この明和電機ボイス計画宣言を俯瞰する展覧会を、本日より渋谷西武8F美術画廊で開催します。「デジタルの先のアナログ」を目指す、明和電機の新しい挑戦をご覧ください。


◆「明和電機ボイス計画宣言」展 〜機械は人間のように歌を歌うか

会期:2010年5月27日(木)〜6月6日(日)
場所:西武渋谷店 B館8階 美術画廊、オルタナティブスペース

◆トークショー

会期:2010年5月30日(日) 午後2時〜午後3時

明和電機ボイス計画について、明和電機社長・土佐信道が製品デモも交えて解説します。


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ばんにゅうぐありゃああ!

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「展覧会準備とは、”引っ越し”である。ただし、運送屋は自分」 土佐信道(1967~)

明和電機は現在、明後日からの「明和電機ボイス計画宣言展」に向けて、搬入作業でテンヤワンヤです。搬入する時間
は午後2時。それまでに数々の作業を終えて梱包し、搬入に間に合わせなければなりません。間に合うのか? 搬入!

・・・とここまで書いて、いっつも思うんですが、この「搬入(はんにゅう)」って言葉が、修羅場感にかける。「はんにゅう~」って・・・・響きがゆるすぎやろ!お前は「おーい!はに丸」か!

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もっと、搬入作業の厳しさがにじみ出た方がええとちゃう?基本は濁点を増やす!「はんにゅう」じゃなくて「ばんにゅぐ」。そしてそこからお尻の穴に力を入れて、めいいっぱい大型冷蔵庫を押すつもりで「ぐあありゃあ」を接続して、「ばんにゅうぐあありゃあ!」。これなら、現在の修羅場感にピッタリだわ。

「ばんにゅうぐあありゃあ!」

ということで、冒頭の文章を書きなおします。

明和電機は現在、明後日からの「明和電機ボイス計画宣言展」に向けて、ばんにゅうぐあありゃあ作業でテンヤワンヤです。ばんにゅううぐあありゃあする時間は午後2時。それまでに数々の作業を終えて梱包し、ばんにゅうぐあありゃあに間に合わせなければなりません。間に合うのか?ばんにゅうぐあありゃあ!

・・・・って、こんなこと書いてる場合じゃない!

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デパートと明和電機

渋谷西武8Fで、6日間、絵を描かせていただいた。
それはそれは、幸せな時間をすごさせていただいた。

白い空間で、12ミリのアクリルでカバーされた机で、ただただ、絵に集中できた。
それは、監獄だったかもしれない。
でも、自分と向き合える、ステキな、白い監獄だった。

世界は雑多なものでできている。
そして、雑多なものは、人々が純粋になることを嫌う。

それが日常だ。
そして日常があるから、人間は、ミミズの700倍もの人生の時間を生きていける。

でも、作品を作る瞬間は、雑多であってはならない。
それは徹底的に排除しなければならない。
西武8Fでは、その、純粋な時間をいただけた。
ありがとうございました。

みなさんもご存じのように、今、デパート業界は大変な状況だ。
高度経済成長のときに、ぶいぶいいわせた、文化の中心は、今は雑多なものに押されまくっている。でも、渋谷西武の8Fで一週間ばかし絵を描きながら観察して、思った。
「デパートの画廊って、面白いぞ」と。

だいたい、渋谷のど真ん中に、画廊があるんだよ。
可能性をメチャクチャ含んだ空間じゃない?
こんな立地のよいリッチな空間はないよ。(いってもた)
そして、それが商業施設の上にある!というとこが、またイカス。

明和電機が渋谷西武で個展をやるのは、2回目です。
全開は面白楽器をあつめた「ツクバ展」。たくさん、ご来場いただきましたよ、1995年。

あれから15年。もう一度、同じ建物で、明和電機が展覧会します。明和電機のおもしさ、高級デパートのおもしろさ、そして、その二つがぶつかる空間のおもしろさをみなさまに感じていただけたら、幸いです。

「明和電機 ボイス計画宣言展」。来週の木曜日から。

お待ちしております!

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永遠の勘違い

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僕は絵を描くのが好きだ。絵を描きこんでいくと、おぼろげに自分の中にあったイメージが、どんどん形をつかんでいく。描いて、確かめて、描いて、確かめて、の連続によって。

もしかしたら、描くものも、確かめることも、「勘違い」の積み重ねなのかもしれない。だけど、明らかに、目の前に形になっていくイメージは、漠然とした意識よりは、はるかに説得力があり、それを信じていいかもなー、と思わせる。

なにも信じなくて生きるのは大変だ。勘違いでも、たしかなものを持ってる方が生きやすい。芸術家は「生きる」ということでに迷うことはあっても、そのかわりに「表現」という勘違いを信じている分、幸せなのかもしれない。

芸術家の勘違いについて、永遠に誰も気がつかなければ、真実になりますしね。

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自分のスケッチ作業を、録画してみた。

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西武8Fオルタナティブスペースでの公開スケッチ。
A4サイズの部品図がたまってきたので、昨日から実寸大のドローイングを描きはじめました。紙の上ですが、機械の組み立て段階に入った気分です。

上の動画は、おとといのA4サイズスケッチを、動画記録したものです。自分が絵を描いているシーンを客観的に見たことがなかったので、新鮮でした。ああ、この角度の線を引く時は、こういう動作をするんだなあ・・・とか。

字を書くとか、化粧をするとか、ふだんの何気ない動作を録画して見ると、意外な発見があるかもしれませんね。

公開スケッチは今週の金曜日まで、渋谷西武8Fオルタナティブスペースで、毎日18:00から20:00、行っています。

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描画的思考について

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絵画における前衛性を考えたとき、新奇なるものは、20世紀に出尽くしてしまった。モチーフの話ではなく、コンセプトも含めた手法の話として。だからまともに絵画史を意識したら、今日の芸術家は絵を描けなくなる。

その呪縛はとても大きく、僕が画家ではなく、機械表現を選択し、かつ電気屋のスタイルで発表するまでにいたったのは、その影響といっても間違いではない。

「そんな呪縛、無視して、好きに描けばいいじゃない」。

という意見には耳をかさない。もし僕がそれを最初に選択していたら、明和電機は生まれなかったし、魚器シリーズも、EDELWEISSも、オタマトーンも生まれなかった。それほど絵画史は、芸術家を純粋な創造性の境地に追い込む。だから面白いし、手ごたたえがある呪縛なのだ。

ただ。

今日は少し風邪気味のぼやけた睡眠の中で、気付いたことがある。絵画史が生まれるよりもはるか昔から、特殊な思考法として人間は絵を描いてきた、ということだ。

空を飛ぶものを作るのなら、紙の上に絵を描くよりも、紙そのものを折って紙飛行機を作った方が、はるかに現実的だ。にもかかわらず、人類は飛ばない飛行機の絵をたくさん描いてきた。それは、物理世界とはちがう理想が人間の中にはあり、それを簡単に取り出し、編集・構築することが、「絵を描く」ということで可能だからだろう。

言説的思考、数学的思考、と同じレベルで、描画的思考、というのがあることに気付いた。なにをいまさら、と思われるかもしれないが、シンプルにそのことを、この年になって気がついた。「気づく」というのは、大事なことである。効率化や演出ができるからである。

ほんと、この年になって、そんなものに出会うとは思わなかった。

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歌う機械と抽象性

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人間のように歌う機械を作るにはどうすればよいか?

ひとつの手法は、かぎりなく人体に近いモデルを作ることである。発声で一番むずかしいのは、「口」の部分。人間は歯や舌や、唇、そして鼻の穴までも使って、複雑な言葉を発している。であるならば、それらすべてを人間に近い素材で作り、筋肉の動きを正確に再現すれば、人間のように言葉をしゃべる機械が作れるのではないか・・・・・これは素直なアプローチだ。

しかし、僕はそのアプローチではうまくいかない、と思っている。人間を機械そのまま置き換えたときに、機構の中で少しずつたまっていく違和感が、最終的には大きなものとなり、「なんだかおかしい」機械になるだろう。

これは、絵画でいえば、「具象」の世界である。いや、具象であろうとも、それを人間に見せるために「抽象」な要素を必ず使う。絵具という鉱物で人間という生物を再現するのだから。

人間でないもので人間を作る行為は、芸術家は古代からおこなってきた。彫刻という静的なものではなく、歌う、という動的なものであっても、物理現象のなかに、まるで人間のような生々しい「抽象性」を見つけることができれば、人間のように歌う機械ができる、と僕は信じている。

人間らしさとはなんなのか。

ヒューマニズムではない。それとは対局の、冷たい理性で物質の中に見つけ出した、非人間的なもの。抽象の世界の機械でないと、人間らしさは、作れないだろう。

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科学か?芸術か?


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昨日、早稲田大学で行われた「デバイスアート」のシンポジウムは面白かった。芸術家と科学者が同席して、ひとつの「装置」について語る。その視点の違いが浮き彫りになって面白い。





たとえば、筑波大学の岩田先生の作っている「ロボットタイル」は、完全に工学的なポジションで作られています。バーチャルリアリティー空間の移動を、ロボット技術を使うことで実空間に再現するという。そしてその技術を社会に還元することも考えて制作されています。つまり、工学的に新しい「技術」なのです。

しかし一方で、この装置を「アート」の視点から見ることもできます。20世紀に登場した機械技術文明を批判する「ナンセンスマシーン」という現代美術のひとつの流れがあり、その中で語ることもできます。,岩田先生はそのような意図で作られてませんが、彫刻的に見たときに、そういう解釈も引っ張りだせます。それぐらいの作りこみの迫力のある装置です。






もうひとつの例としてベルギーの作家 WIM DELVOYE さんが作った「ウンコ製造機」を考えてみましょう。僕の大好きな作家なのですが、彼はこのマシーンを現代美術のフィールドで作っています。開発スケッチがあるのですが、ものすごく絵画的な美しいスケッチです。一貫してスカトロの持つ美学を貫いているのですが、この装置を完成させるには、そうとうの工学的な知識と技術が必要です。もしかしたら、その中には、工学のフィールドドで論文発表できるよな発見があるかもしれません。


科学か、芸術か。
どっちの文脈でなのか?という疑問に対して、同じくシンポジウムに参加されていたエルキ・フータモさんが、ナイスな言葉で答えてくれました。

「不可解というものがあれば、そこにコミュニケーションは生まれる」

工学家も芸術家も、まずは不可解であるものを作るべきだな、文脈論はそのあとだ、と納得。
なるほどー!!

シンポジウムの模様はUSTREAMに保存してあります。興味のある方はご覧ください











































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SEAMOONS

明和電機は2003年にSEAMOONSという「歌うロボット」を開発しました。このロボットはゴムでできた人工声帯にふいごで空気を送り、歌声をコンピューターのフォードバック制御によって調律することで、人間のように歌う機械です。

人間の歌声は、ピアノのように正確な音が出るようにはできていません。楽器として見たとき、構造そのものが「音痴」なのです。そこで人間は「耳」を使って、自分の出した歌声をすぐさま修正する、という離れ業をおこなっています。これによってそこそこ音痴ではなく歌声が出せます。SEAMOONSも同じしくみで「音痴」になるのを回避しています。

しかし、SEAMOONSは電子楽器ではなく、「電動楽器」なので、たとえば低い「ド」の音から高い
「ド」の音へ、いっきに変化する場合、高速でモーターが動き、いきなり止まらなければなりません。これは自動車でたとえると、急発進して、目的の場所で急ブレーキをかけるようなものです。

目的地へいきなり止まるのはとても難しく、そこでコンピューターのほうで、「まずは、だいたい近い場所にまずはいってみよう。そして、正しければ、もう少し近くへいってみよう。」というような、制御を行います。これを行うと、実際、歌声がどうなるかというと、「こぶし」がかかったような音になったり、ビブラートがかかったようにブルブルゆれたりします。いわば、それは不安定な制御の結果なのですが、それによって、なんと「人間らしい歌声」に聞こえるのです。

人間の歌の味わいとは、実はどうしようもない「不安定な制御」が生み出しているのかもしれません。

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冒頭の動画のSEAMOONSには「顔」がありません。「口「もなく、「のど」しかないので、歌声も”あー”という音しか出せません。しかし2003年の開発当初から、口や顔を作り、いつかは人間のように歌詞を歌うロボットを作りたいと思っていました。上のスケッチは2003年にそんな気持ちで描いたものの一枚です。

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今回の「明和電機ボイス計画」では、SEAMOONSをさらに発展させ、口を持つことで歌詞を歌いあげるロボット、「SEAMOONSⅡ」を計画しています。渋谷西武の「社長設計室」では、ほぼ毎日、その計画のスケッチ・ドローイングを描いています。

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声の「呪術性」と「機能性」について

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昨日は、渋谷西武8階のオルタナティブスペースで、公開で明和電機ボイス計画の公開設計を行いました。ふだん僕はスケッチをカフェで行います。スケッチはすべての創作の出発点ですが、なかなか普段、みなさまにお見せできる作業ではない。いわば、女性でいう化粧みたいなもので、ものすごいプライベートなわけです。それを公開で行うというのは、

「電車の中で化粧するOL」

みたいなもので、あんた、その行為を、「見せたいの?」それとも「まったく気にしてないの?」
のどちらか。当然僕は、見せたいからやってるのですが、はたして、うまくいくのかな?緊張して描けないのではないか・・・・と思ってましたが、なーんも問題ありませんでした。集中すると、まわりは気にならないものですね。

さて、僕が今、なにを公開でスケッチ・設計をしているかというと、「歌うロボット」です。メカニックなしくみで声を出す機械です。なぜ僕がその機械に惹かれてるか、ということを、「呪術性と機能性」というキーワードでご説明します。

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むかしの楽器をよくみると、「機能性」の部分と「呪術性」の部分があります。たとえば木魚には、音とはまったく関係ない、魚の図を彫刻した部分=呪術性と、いい音を出すために共鳴を考えて作られた部分=機能性があります。

ここでいう呪術性とは、「土俗性」「アニミズム」「原始性」などをひっくるめたキーワードと思ってください。(西洋における呪術性と、東洋のそれとは、ニュアンスがことなりますが、その議論は今回はすっとばします)。

楽器とは、それこそ獣を皮をはぎ、樹木を削って作ったものなので、もともと呪術性の高いものでした。

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明和電機の初期製品である「魚器(NAKI)シリーズ」に登場する「音が出る製品」は、呪術性が魚のイメージとして登場します。その形状は、音の質とはまったく関係ありません。

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つまり魚器(NAKI)シリーズでは、木魚と同じく、「呪術性」と「機能性」は分離していました。

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ところが、2003年、人工声帯ロボット「SEAMOONS」を開発したとき、大きな変化がありました。このロボットが放つ歌声そのものが「呪術性」を含んでいたのです。おそらくそれは、「声」という音質に対する、人間の原始的な(生物的な)反応が、得体のしれないものとし感情にうったえたからだと思います。

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これまで分離していた「機能性」と「呪術性」が、人工声帯というバイオメカニックなしくみによって、統合された。これは僕にとって、とても興味深い現象でした。

現在、初音ミクのような「電子的な肉声の再現」や、ヒューマンビートボックスのような「肉声による電子音の再現」といった、声をとりまく楽器の世界が面白くなってきています。この背景には、

①電子技術、コンピュータの処理能力の向上、チープ化
②これまでの電子楽器を超えた、アナログな発音法のスタイル化
③YOUTUBEなどの映像コミュニケーションツールに映える楽器

などの理由があります。そしてそれにもうひとつ重要な点を加えるならば、「楽器における呪術性の復活」というのがあると思います。

そういうものが作りたい、と強く思い「明和電機ボイス宣言」を発表しました。手前味噌ですが、そうした楽器を作るには、エンジニア的な技術のほかに、イメージ力や造形力やスピリチュアル(うわ、こええ)な感覚が必要で、これは実は芸術家という職人に、向いているのではないか?と思っています。

とはいえ、歌うロボットを作るための問題は山積み。スケッチやドローイングを通して、まずはその問題をさらいつつ、全体のイメージを作り上げていこうと思います。

公開スケッチは夕方6時より、ほぼ毎日行っております。社長が会場にいるかどうかの情報は、ツイッターにてご確認ください。

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