レベッカ・ホルン展

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来年の2月に始まる「アルスエレクトロニカ展」の打ち合わせのため、
東京都現代美術館へ行った。

ちょうどレベッカ・ホルン展を開催しており、打ち合わせの後、会場へ行った。

機械を使った作品だが、そこには「詩」や「質感」がある。
最近は、めっきり現代美術作家で「詩」を持った機械を作る人が減ってしまった。
いくつか原因がある。

1 デザインの延長線上でアートを作っている人が増えたため。
  本来、モダンデザインはオブジェから詩を排除している。その影響。

2 工学系アーティストがメディアアートの分野になだれ込んできたため。
  彼らに詩は、まったく理解できない。

3 市場にのりやすい絵画・オブジェ的な作品を作る作家が増えたため。
  機械作品は、壊れやすく、市場に乗りにくい。さらに開発費がかかる。
  技術力がいる。

4 機械や理性や詩よりも、「狂った個人の情念+ジャポン」こそがアートだと
  主張する単細胞なコレクターが増えたため。

こうした現状なので、アート界を見ても、別にしびれるような作品に出会うこと
はない。
特に、中国系のアートには、「詩」はまったく感じられない。情念やパワーは
あるかもしれないが、美しいとは思えない。市場は中国に流れているので
メディアは食いつくが。

そんな時期のレベッカ・ホルンは、見ていてほっとする。

機械は人間に対し、ふたつの仕事をする。
物理世界に対する仕事と、精神的に対する仕事だ。

精神に対して仕事をする機械には詩がある。

ほんとうにその詩を見る機会が減った。
マシンエイジは終わったということか。

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