「魚打棒とはなにか?」テキスト

「魚打棒とはなにか?」の配信をテキスト化しました。

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テキスト
・「第一回 魚打棒とはなにか」
「第二回 弓魚とはなにか?」
・「第三回 肺魚となにか?」

動画
「第一回 魚打棒とはなにか」
「第二回 弓魚とはなにか?」
「第三回 肺魚となにか?」

設定資料集
・「Vol. 1 魚打棒完全資料集」
・「Vol. 2 弓魚完全資料集」
・「Vol. 3 肺魚完全資料集」

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どうも。明和電機代表取締役社長、土佐信道です。趣味は碁です。囲碁よろしくお願いします。

今日はですね、今までに明和電機、色々配信をやってきたんですが、その中でももっとも濃ゆい、非常にマニアックな話をいたします。今日、はじめて明和電機の配信を見た方は、おそらくついてこれません。置き去りです。

何の話をするかというと、明和電機以前の話です。明和電機はは1993年からスタートしたんですが、その約2年前、僕がまだ明和電機のメの字も思いついていなかった、学生時代に作っていた魚のシリーズ、「魚器シリーズ」というのがあるんですが、その出発点となった、「魚打棒」という道具の話をしたいと思います。

その「魚打棒」についてはですね、明和電機ののマニアの皆さんは「魚コードののできるまで」とか「明和電機魚器図鑑」とか読んでいる方はですね、あーあれね、という感じで分かると思うんですが・・。どういうものかと言うと・・・これですね。(「魚打棒」の写真を紹介)

「魚打棒」に関しては、「明和電機魚コードのできるまで」の中にもしっかりこれが何であるかということをしっかり書いてあります。魚器図鑑の中にもきっちりと書いています。しかし、お話ししたように「魚打棒」というのは、明和電機以前に作ったものの話なんですね。この辺の本に書いてる時には、いろんなことをまとめちゃってるわけです。かつて学生の時に作ったものなので、そのあと明和電機がこういう本を出す時には、既に編集しちゃってると言うか、分かりやすく書いちゃってるわけです。でもそんなすっきりとできた製品ではないんです。

今日は現物を持ってきているので、紹介します。こちらです。・・・久しぶりに持った。なんだかエクスカリバーを持った、アーサー王みたいですけれども。久しぶりに持つと・・重い。

今の明和電機を知っている方、特に「オタマトーン」から入った形は、明和電機が27年前、魚をバカスカ撲殺していたということを全く知らないと思います。当時の明和電機は非常に強かったです。ライブパフォーマンスでは。これで魚をバコーンと締めるパフォーマンスをやっていたんです。最初の頃やっていた「スイッチオンカッパ」というライブパフォーマンスでは、前半は魚を殺すパフォーマンスをやって、後半でいきなり歌謡ショーのように「♪スパーク一発やり逃げー」と歌う。前半に非常に厳しいパフォーマンスがを見せられたので、お客さんはどうしていいかわからない、前半でシリアスになっているのに、後半で踊らなければいけない。困惑しまくってしまうパフォーマンスだったんですね

この前半の不条理と言うか、不可解な部分は、今の明和電機にもやっぱり残っていて、こないだの「ビハインド・ザ・マスク」のライブで言えば、前半の「トリウォーカー」とか「サバオ」をとか、よく分からないパフォーマンスで残っているんですが、当時はもっと明確だったんでです。

■魚打棒の紹介

で、この魚打棒。魚をバーンと撲殺するという棒なんですね。ちょっと開けてみましょうかね。久しぶりだな。開けてみますね。さすがに魚を入っていないんですが、ちょっと細部を見ていきましょう。ここ、分かりますかね、28年前に作ったので、経年変化でプラスチックというのは縮むんですね。わかりますか、当時はこのアルミと同じ大きさだったんです。今すでにこのように縮んじゃっていると言う。では開けてみますよ。これで魚を締めまくっていたので、魚の怨念がこもっているんじゃないかな。このネジを外していくと開きます。魚器のビデオでも同じシーンがあったけれども、久しぶりだなこれは。

さあ中に何が入っているんでしょう・・・乾燥剤で。シリカゲルですね。さすがに魚を入っていないですね。。こんな感じです。もうちょっと分解してみますね、裏を外します。これは素材は ABS樹脂という素材で出来ています。明和電機の製品では非常によく使っているアクリル樹脂のひとつですね。アクリル樹脂はパンと割れやすいんですが、それを改良して、非常に粘りがあって、弾性があって割れにくい。ほとんど割れないですね、曲がるという感じですね。車のボディなんかにも使われている樹脂です。それを真空成形という技法で膨らまして作っています。

はい、これで外れました。色が変色している。わかりますか、すごく色が変色している。こっちがオリジナルに近い色ですけれども。黄色くなってしまっている。裏返すとここに魚眼レンズが付いていています。これは棺桶のようなものなんです。収めた魚とこの魚眼レンズを通して目が合うということになっています。ここにはパッキンのゴムが付いていますね。正確にはこれは真空成形だけではないんです、技法としては。真空成型は外側で、内側は樹脂です。樹脂を張り込んでいるんです。暑さは1 cm ぐらいあるんですけれども、真空成形で外側を作った後に、内型を作って、真空成形と内型の間、エポキシ樹脂を流し込んでいる、という作り方をしています。そのおかげで、外部をを削っても、普通の真空成型の場合、2ミリから3ミリぐらいの樹脂を使ってるので穴があきますが、こちらは削っても穴が開かずにえぐれるということになっています。ここにはマジックで裏面と書いていますね。

ここはグリップ。どうやって作ったかと言うと、ここは既存のハンマーからシリコン型を取って、そこに黒いエポキシ樹脂を流し込んで作りました。ここの末端の止まっている部分は、アルミの削り出しです。ここからズドンとグリップの中にアルミが一本通っているという仕組みになっています。これが「魚打棒」ですね。これは後ほどまた使いますね。どけさせていただきます。

■資料から読み解く

魚を撲殺という製品を、28年前大学院2年生、25歳の時に作ったんですが、なぜこんなものを作ったのかという話を今日していきたいと思います。8年前の話なので僕自身も記憶がかなりあやふやになっています。こういう本にまとめているので、動機なんかは一応書いてはいるんですが、自分の気持ちを正確に思い出すのはなかなか難しい。時間が経っていますので。ただ、この製品に行き着くまでに、いろいろ考えたり、悩んだり、悶々としていたということは確かです。そのころは明和電機というものをまだ思いついていないんです。芸術家として生きていけるかどうかも分からない。25歳、大学院の学生の2年生の時なので。芸術家になりたいという思いはあるけれど、一体自分が何を作ればいいのか、作ったもので、でちゃんと芸術家としてやっていけるか、などなど全然わからない。悶々としていた時代のことです。今みたいに製品なんてないですから。魚打棒が一番最初の製品ですから。

それ以前は、機械を使った自動人形とか、ロボットアートみたいなことをやっていて、今見れば非常に稚拙な作品なんですが、そういうことしかやっていなかった。

この魚打棒というのは今の命は電気につながる色々な要素がもうすでにあるんですけれども、ABS樹脂、それからアルミニウム、という素材ですね。それから魚眼レンズと目が合うと言う、ひねりとか、ナンセンスさ。それから哲学的な考え、というか、なぜ魚を閉めなければいけなかったかという背景、コンセプトも今の「魚器シリーズ」につながる製品です。

どうやればその「魚打棒」のことをお話できるかなと色々考えて、今日はこれでいこうと決めたことがあります。それはメモです。たくさんのメモとかスケッチを残しているんですね。「魚打棒」に関して。時間軸に沿って皆さんと見ていきながら、当時25歳だった信道青年が、どうやってこれを思いついたか、というプロセスを、現場検証で、残ってる資料を調査しながら、一緒に皆さんと、その足跡を探って行きたいと思います。

時は1991年。僕が大学院に入ったのは1991年、大学院の2年生になったのが1992年なんですが、1991年の4月に大学院の1年生に入学するんですが、その手前の3月にですね、卒業制作展というのがありまして、そこで「妊婦のロボット」というのを作って、そこでスランプになるんですね。妊婦のロボットというのを作ったけれどそれが本当に自分が作りたかったものなのかな、ということで非常に悩んだ。ここの話も面白いので、また別の機会でたっぷり1時間でお話ししたいと思うんですが、とりあえず今、出発点の話をすると、大学院一年生に入学した時には、全く自分が何を作るかもよくわからない、それから自分が作ってきたもの、自分が描きになりたいと思って絵を書いてきたことにも自信がない。そんな時でしたね大学院の1年生の時は。

前々回ぐらいに「オタクギョタク」という話をしたんですが、当時、何をやっていたかと言うと、大学院の1年生の時には魚を1000匹描くということをやっていたんです。ただば大学院に入ったことで、芸術家になろうと思っていたことを、しっかり考えようと思いました。学生何がすごいかと言うと、暇なんですよ。学生の何が素晴らしいかというと、たっぷりいろんなことを考える時間がある。僕も大学院の1年生の時にそういう時間をもちまして、そして美術大学だったので芸術史の話とか、デザインの話とか、そして運が良かったのはコンピューターグラフィックスが、盛り上がってきた時代だったので。メディアアートと・・・当時はメディアアートとは言わなかったですね、テクノロジーアートなども非常に勢いがある時だったので、そういうものに触れたりして。それから友達。総合造形というコースだったんですが、面白い友達がたくさんいたり。あと何と言っても先生方が非常に面白かったので、皆さんが作っている作品から刺激を非常に受けて。自分にまわりはそういうものを作っている。じゃあ自分は何を作るかな、ということをずっと考えていた時でした。

これは当時のメモ。僕がいろんなメモを残していた中で・・・あれ?何でここにベネトンの切り抜きが入っているの・・・・思ったことメモしたものです。それまでいろんなことを適当に考えていたんですが、このメモからしっかり考えよう、自分は今、一体何を考えているのか、自分一体何を作りたいのか、そういうことを考えてから行動を起こそうとしたときのメモなんです。

これを見ると「魚打棒」に繋がるヒントと言うか、足取りが出ているので、その辺を見ていきたいと思います。1992年に書いていたメモなんですが、魚器シリーズに関することが、色々メモられて行ったりするんですが、例えばですね「魚打棒」ではないですね、この時は「魚殺棒」と書いていますね。魚を殺す棒でですね。ちょっと読んでみますかね。「魚殺棒にとって魚は影である。一匹残らず魚を殺しても自分の影は殺さない。魚殺棒にとっての破壊行為は、生命のON状態を、OFFにすること」と書いてありますね。

■制作の動機

どういうことかというとですね、何で魚殺棒というものを閃いたかと言う話をしますね。「魚打棒」というものはそもそも僕が考えたものではなくて、漁師さんというのは、知ってる方多いと思うんですが、魚を捕まえる漁師さんは、釣った魚をその場でしめるんです。そうしないと魚というのは暴れてしまうと体温が上がって美味しくなくなるので、釣った魚をその場で締めるというというのをやるんです。その棒を「魚打棒」、魚を撃つ棒いいます。「な」というのは魚のことですね。 

僕がその棒のことを初めて知ったのは、1992年の3月だったかな・・・ちょっと待ってください、その時の手帳があるので。これは学生時代の手帳ですね。見ると奈良京都巡礼の旅というのが書いてあるんです。個人情報が載っているのでカメラで写せないんですが、1992年の3月、非常に悩んでいた時期に、奈良京都大阪を2週間かけてひたすらボーっと旅をするとすることをやりました。これは学生だからできますね。何をしてたかと言うと、奈良京都大阪の、美術館博物館、それから神社やお寺なんかを、ひたすら見まくると言う。そういうことをやっていたんですね。特に大好きで言ってたのが大阪にある民族博物館。ここに旅の時にすごい行きましたね。この手帳に考えていることメモしながら見学していたんです。

その旅の中で、民族博物館に行った時に見たわけです。この「魚打棒」を。これが当時民博に飾ってあった「魚打棒」です。これは面白いなぁと思って、現場で鉛筆でスケッチをしたものなんです。クワキトゥル族というインディアンですね。この辺の造形にインディアの感じが出ていますが。アメリカインディアンなので川魚のを捕まえてバンと閉めていたのがこの棒です。木でできているんですが、これを見たときになんだこれは!と思ったんですね。なんでかと言うと、右側だけを見れば魚を締める棒なんですが、なぜ左側に顔がついてるんです。非常に怖い、というか歯をむき出しにして、威嚇の顔をしている。棒に顔がついてるのが何でだろうと。

ここには今の明和電機に繋がる二つの要素があるんです。ひとつは効率よく魚を撲殺するという「機能」なんですが、左側には顔という「呪術性」がついているんです。「機能」と「呪術性」というのが合体してしまっているんです。これはなんだだろう、直感的に引っかかったので解釈はできないけれど、なんかあるなと思って、このスケッチを民博に座り込んで、一生懸命スケッチしていたわけです。その時に漠然と思ったことがあります。それは死というものです。これは破壊と死というものをもたらす棒なんですが、インディアンというのは魚を捕まえ食べなければと生きていけない。それは日々の営みとしてすごく大事な行為で。そこで魚を閉めなければいけない。殺さなければいけない。そして魚は大自然と繋がっていますからその先の「神」にいる。この魚打棒に刻まれた顔を見ると、なんだろう、神に対して 畏怖の念と言うか、恐怖も感じつつすごく、ありがたさも感じている。そして魚を殺す時にときに時にその神に対して、いわゆる弔いを行う。魚にありがとうと言うか、魚の命を昇華しなければいけないというために、この顔をつけたのかなとと思ったわけです。この顔のことを「呪術性」と言いましたが、これがインデアンの生きている社会とか、生きている世界とつながっている、部分ですね。右側は[機能」ですね。

■破壊と自己認識

これはなんだろうと思った時に、僕も作りたいと思ったわけです。この「魚打棒」。その時作りたいと思った動機は・・・またノートに戻りますね、ここにメモをしているんですが、戦争の話が出てきますね。「戦争はメディアの進化に対する抵抗である。アレルギーである戦争はモダニズムが生産したものたちを一つ一つ破壊していった。世界を認識するために。。自己認識するために。そして戦争がもたらしたのは飢餓だった。それが戦後の消費社会を生み出した。」と書いています。

何のことかと言うとですね、スランプというか大学院1年生の時に、最も何を悩んでいたかと言うと、「自分は芸術家になりたい」という思いはあったが、「何を作るべきか」「そもそも何かを作るとはどういうことか」「創造するというのはどういうことなのか」ということを突き詰めて考えなければいけないと思い始めていたんですね。たっぷり時間があるから。自分の原点ですね。そもそも作るというのは何なんだということを、徹底的に考えなければいけないということを、毎日考えていたんですが、その時に、創造行為とは無から有が生まれる、自分の中に今までなかったものがポンと生まれる。アイデアがポンと生まれる。インスピレーションがパンと生まれる。ということなんですけれども、それって何なんだ、なんでそんなものが出てくるんだ、そのメカニズムっていったい何なんだ、ということが、「自分って何だろう」ということのすごく根源的な問題だったんです。

さらにそれを考えていくと、自分も生命で、これも創造の産物です。であるならば、生命って一体何なんだ。創造行為を起こそうと思って、その結果として僕は芸術家になりたいと思っているけれども、創造行為の原点である自分という生命は、どういう創造で生まれたんですか?生命の創造行為の根源は何なのかというのを考え始めました。これは非常に難しい問題です。なぜならば、世界はなぜ生まれたかとか、人間はなぜ誕生したかと言う、根源的な話なので。人類は延々とこのことを考え続けている、という問題なんです。

そういうことを考え始めちゃったけれど、わからない。これは非常に。ただ人間というのは創造の産物をたくさん作っている。生命もたくさんのバリエーションの生命を作っている。そっちは分かるんですね。僕らは沢山の人工物に囲まれて生きている。それは創造というものがが生み出した影と言うかね、ものとして見えてきている。創造とは何だろう?ということの原点はわからないけれども、その創造性が発揮して、ブルン!と発揮して作ったモノたちは目の前にたくさんある。でも、もしかするとですね、戦争の話で書きましたが、あまりにもそういうものたちを人類が作りすぎたことにより、分からなくなっているんじゃないか?という話を考えたんですね。モダニズムという言葉が出てきますけれども、機械文明というのはエネルギーを大量投入して、大量生産することによって、機械が機械を生み、猛烈な勢いで物をバンバン作り始めた。18世紀からそうなっていくんですが、それにより、あまりにも自分の周りに物が溢れてしまい、自分というものがよく分からなくなり、そういうものに埋もれてしまった。であるならば、そういうものたちをひとつひとつ壊していけば、最終的には、壊した「もの」に対応する自分の中の「もの」というのが見えてくる。どんどん壊していくと自分の核が分かるんじゃないか?と思ったわけです。それを「自己認識」と書いてあります。

その時「自己・非自己」ということをよく考えていて、自分の中にある自己そして外にある非自己、これは一対一対応しているものだと。どちらが本質ということではなくて、このバランスの間の境界ですね、つまり膜の部分、それが人間であったり生命であったりするのであれば、バランスをとるために自己・非自己というものは一対一対応しているはずだと。今、壊すと言ったのは非自己を壊すということ。非自己を壊して行くと、なんとなくわからなくなっていた自分の内面の自己というものが見えてくる。ということ色々考えていたんですね。

そこに関するメモがあるんですが。「内的オブジェクト」と「外的オブジェ」とか。例えば、ここに書いているんですが。その非自己の一つとして、芸術家は作品を作ります。「果たして自分の作品をことごとく破壊できるか。私は私の作品群と壊滅させるだけの力を私が持っていることを知っている。」と書いていますね。

自分とは何かという創造性を考えていた時に、この時にですね、僕の思考がどうなっていたかと言うと、いくら自分の内面を自分で考えても分からないんです、それはそうです。でも自分の中で考えていたモデルとしては、自分の周りに広がっている世界というのは必ず自分と対応しているはずだと。自己・非自己という関係で。そのバランスで出来上がってがっているとするならば、自分の内面がわからないということもに対し、もしかすると、自分の内面に対応する外側を壊していけば、ここが自分だということが分かるんじゃないか、という思いになっていたんですね。それが「自分の作品を全て破壊できるか」というメモになっているわけです。

そういうことを漠然と考えていた時に、民博で「魚打棒」を見たわけです。魚を締めるという棒なわけですね。これは想像するしかないんですけれども、インディアンは魚を締める、撲殺するという破壊行為を毎日行うときに、その度に「神様」とか、「自然」とか、生かされている「自分」というものを実感していたのではないか。実感と言うか、すごくナチュラルに「世界と自分」を感じられていたんじゃないかなと、すごく思ったんです。けれども当時の僕はインディアンではないし、ご飯を食べる時に魚は殺さない。魚はスーパーで切り身で売られていますから。そういうことを実感することはないし、魚を殺すことはないし、そしてもっと言うと、何かを壊すということもしない。だけど自分がよくわからない、という悶々とした時だったんですね。でインディアンの「魚打棒」を見た時に、なんてインディアンは「世界」と「自分」を普通に毎日実感していたんだろう、と思ったんです。

ここから論理が飛躍するんですが、じゃあ僕も「魚打棒」を作ったら何かがわかるんじゃないか、と思ったんです。つまりインディアンのように魚を殺したら、何かわかるんじゃないかと思ったわけです。ところがですね魚を殺すには棒が入るわけですよ。「魚打棒」は民博にはありますけれども、民博からお借りするわけにはいかないですね。「あの僕すごく悩んでいまして、魚を殺さないと自分でなんだかよくわからないんで、今、魚を殺したいんですが、これをお借りできませんか?」と民博の人に言ったら怒られるわけです。「はあ?何言ってるんですか!貴重なインディアンの資料ですよ!」と。それはそうですね。そうなるわけですね。

じゃあ自分で作るか。と思ったわけです。この「魚打棒」というのを作ろうとも思ったわけです。ですが、どうやって作ったらいいか、ということがその時は分からないんです。イメージはポン!と出てくるわけではなくて。ここにスケッチがありますが、最初はこんな形をしていたんです。ハンマーのような形の「魚打棒」ですね。グリップを握って締めるような感じです。全く形が違う。閉めた魚を中に収めるお腹に収めるというアイデアのは既にあったんですが。これが最初の構想のイメージですね。これが最初の頃のメモですね。既に「魚打棒」という名前になっていますが、このメモを書いたのが1992年の2月7日。だから旅に行ってる頃だろうな。進化の系統分類図が書いてあって、その下に「魚打棒」の絵がある。つまりどの生物まで殺せるか、というシュミレーションです。どこまで殺せるか?アメーバまで殺せる、バクテリアまで殺せる、魚まで殺せるけど、鳥は無理だなあと言う、シュミレーションしているわけです。日本人は魚が大好きですし、魚までなら殺せるかな、ということを考えていたんですね。そして、作ろうということで作り始めました。 

■弔いの棺桶

作った時に今までと違う作り方をしたのは、ABS樹脂という樹脂をこのとき本格的に使いました。これも時間があれば別の機会にお話ししたいんですが、このABS樹脂に出会ったことが、とにかく大きかったです。この質感が大好きで、人肌というか女性の肌のような質感で、すごくなまめかしい。一方、アルミニウムという素材は、非常に男性的と言うか、ちゃんと工作機械を使わないと削れない。そういうアルミニウムの男性性と、ABS樹脂の熱でひん曲がりという女性的な曲線みたいなのが好きで、初めてこの「魚打棒」でその二つを組み合わせて、非常に工業的な作り方で作ったんですね。

ところがですね、作品として作るのはいいんですが、インディアンと何が違うかと言うと、魚の顔を作れないんです。神様の顔を作れないんです。僕が作るものには。なぜかと言うと、神様がいないんですで。僕はインディアンのように自然の中に生きていない。僕は当時はつくば市という都市に住んでいて。すごく人工的な都市に住んでいて。自分で撲殺するような漁はしていない。そんな宗教性はない。あるのはつくば市という月面基地のような無機質な都市に生きているということだけ。神様とは繋がっていない。そんな僕が魚を殺すってどういうことですか?となった時に、魚を締めたという魚を殺したという死を弔わなければいけない。それをどうやって弔ばいいんだろう?と。神様はいないわけですから。そういった時にこの形ですね。あ!わかった!棺桶にしよう、と思ったわけです。棺桶にして、この中に葬って。宗教、その時は何の宗教かと言われればよくわからないんですが、棺桶の中に入れることによって魚の死を弔えばいいのではないか?ということをこの時は思ったので、この棺桶にしました。

■魚を手に入れる

そして魚を殺す、ということを思ったんですが、僕はちっちゃい頃は釣りとかやっていた。当時は兵庫県の赤穂に住んでいましたので、すごくちっちゃい頃は川釣りに行ってね、ザリガニとかフナとかを、近所の釣具屋の福井くんと一緒に遊んでたりしたんです。多分小学校の低学年ですよ、その頃は平気で魚なんて捕まえてね。

子供ってとても残酷なので、当時はもっとひどいことをやっていた。バッタを捕まえて足をもいだり、とかね。オタマジャクシを捕まえて腸を引っ張り出して、どっちが長いか福井君と挑戦したり、もう残酷。今やれっ!て言われたら恐ろしくとなることをやっていた。なんで子供は平気でできるんですかね。当時は何の屈託もなくそういうことをやっていた。

当然魚も触るのは全然平気だったんですが、「魚打棒」を思いついた大学2年生、25歳の時には、そういう世界からすごく離れていたので、魚が気持ち悪くて仕方がないんです。オタマジャクシの腹を裂け!って言われたら、ちょっと待ってごめんなさい、という状況だったんです。でも、やってみなければわからない。これで本と魚を締めてみないと、何も、自分がいま、行き詰まっていることが分からない。突破できない。よしやるぞということに決めました。

まずはインディアンと一緒です魚を捕まえなければいけない。自分で。生きた魚を。生きた魚を筑波で捕まえようと思っても、生きた魚をつくばでは捕まえることができないんですね。川がないつくばでは。近くの牛久に行くとですね、ご存知の方いますかね、牛久沼というのがあって、カッパで有名なんですが、沼があるぐらいなんで、結構川があるんですよ。当時僕は専門学校の先生をやっていまして、情報系の専門学校だったんですが、そのコンピューターの授業で、DTP というコンピューターを使った印刷の授業があったんですが、学生の時そこでバイトで教えていたんです。その時一人の釣り好きの学生がいて。

「君釣り好きなんだよね」「うん、好きですよ先生」「・・ちょっとね、魚を絞めたいから、釣りに連れて行ってくれない」「は?なにいっているんですか、先生。魚を締める?魚が欲しいんですか?」「そうです、ちょっと連れて行ってよ。」「じゃあわかりました次の日曜日に行きましょう」

と、彼が得意な地元の川に、釣りに行ったんです。

川といっても、大きい川ではなくて、用水路みたいな顔だったんです。牛久の田んぼの畑の中に流れている、用水路を大きくしたような川がありまして。「先生、ここで釣るよ、大きい魚が欲しいんでしょ、」「魚打棒のサイズに入れるから、大きいサイズのが欲しい。フナとかがいいんだけど」と言ったら、「フナはいないなあ」と言うんですね。「ええ?川でしょう?フナいるでしょうフナ。コイかフナじゃないの?」と言ったら、「いや、いないっす。ここにいるのは”ブラックバス”です。」と言われて。「何?ブラックバス?なにそれ?」。「先生、知らないんですか?いわゆるアメリカからやってきたやつですよ。すごい雑食でバンバン増えるやつ。結構引きがいいので、釣り好きが大好きでやるんですよ。」「ブラックバスか・・。わかった。やろう」ということでことで釣り道具を借りてやったわけです。

で、釣れましたブラックバス。その時に釣った魚の絵がある。魚拓もある。こいつでです、捕まえたブラックバス。等身大ですね。釣りを慣れている人には、ああ、ブラックバスだ、と思うでしょうが、僕はその時フナしか知らなかったんですね、なんだこの魚はと。気持ち悪くて仕方がないんです。頭尖ってるし。こんなものがうようよいるのか、この川には。釣ってバケツに入れるときも、「うわ何この魚」と。ハトヤの CM みたいに暴れまくるので。

これを釣り上げて、こんなのがいるのか・・・と思っていたら、また引っかかったんですね。次に引き上げたのが、ちょっと絵がないんですが、「ブルーギル」という魚。皆さん後でネットで調べてください。ブルーギルという魚が次にひかかったんです。このぐらいの大きさだったかな。これは形が熱帯魚みたいな形をしているんですよ。どう見ても「お前そこにいちゃいけない!用水路にいちゃいけない!」という形をしているんですよ。どう見ても熱帯魚、海の魚みたいのが釣れて。うわーなにこれ気持ち悪い!!という感じだったんですね。でもまあに2匹引き釣れて。ブルーギルは「魚打棒」に入らない。じゃあブラックバス連れて帰るわと、ナイロン袋に入れて。生きた魚を閉めなければいけないので、生きたまま持って帰ったわけです。

■魚を締める

それで家に帰りました。確か11月だったと思うな。寒かったのを覚えているんですが。この「魚打棒」は既に完成していたんです。締めるための棒は。そしてこの二つのセットが完成していました。ブラックバスはナイスなサイズで「魚打棒」に入れれば完成。でもブラックバスはまだピチピチ生きている。さあ、締めなければいけないということになったんです。

で締めるというのはつまり、棒でバコンと締めるということですね。どうしようかなー、こええなあーこれを締めるんか、と思ったけれどもやるしかない。バケツの中にブラックバスを入れて。つくばというのはご存知ですかね、つくばの松林を切り開いて作った人口都市なので、あちこちに松林の公演が残っているんですね。人はいないんですけれども、とにかく公園だけは多い、というのがつくばなんです。自分が住んでいが近所の誰もいない松林の公園に、11月ですよ、寒い時ですよ、よし!と思ってバケツに入れたブラックバスを持って、「魚打棒」持って、行ったわけですよ。人が見たら何あれ、変質者?という感じですが。人に撲殺するところを見つかったら通報されるに決まっているので、公園の奥の方に行って、誰もいないことを確認して、よしやるか、と。ブラックバスを捕まえて。でも暴れまくるんですね。元気いっぱい。ごめんなさいと思いながら、地面に上に押さえつけて、頭を抑えといて、「魚打棒」振り上げて、うりゃあ!といったんですが、腰が引きまくっているので、ぼん、というにぶい感じで、全然死なないんです。その程度では死なないんです魚は。魚の頭は固いんです。死なない、どうしよう、と思って。でもやっぱり、むごいと言うかね、一気に閉めてあげないと、このひとも苦しむだけだから、よしと思って、手ではなくて足でグッド体を押さえて、足で踏んで、両手で直し棒を持って、振り上げてバコン!と、殺したわけです。

ようやく死んだわけですが、でもね覚えています。まあ目が人間みたいな目なので、こっちを見ているんですね。死んだ後にね。その目が忘れ忘れられないんですが。なんとか締めたと。で。持って帰って。魚拓を取るかということで。スケッチは後で最初にこの魚拓を取りましたね。魚拓をとって、じゃあ腸を出そうと。

 ブラックバスは川魚なので、お腹に浮き袋が入っているです。浮き袋を使う「肺魚」という別な装置を作っていて、浮き袋も欲しかったので、浮き袋取り出そうと思ったんですね。気持ち悪いなあと思いながらハサミで、肛門からチョキチョキと裂いて、中の腸をうりゃあ、と出したら、中からですね、なんか紫色のものがビョーンと出てきたんです。何これ?紫色のぶにょぶにょしたもの!うぎゃー!となったんですが、それがワームだったんです。釣りしている人ならわかります、疑似餌です。ブラックバスはとにかく動いていたらバーンと噛み付く性質があるので、食べ物じゃなくても、ワームと言う、ゼリーみたいな、ソフトビニールでできたキラキラ光るラメが入った虫でOK。擬似的な、人工的な虫ですね。それがね、お腹から出てきたんですね。僕としてはこいつは生き物だから、ワタという、いわゆる内臓が出てくると思ったのに、そこからいきなりそんなキラキラ光る紫色のワームが出てきたから、はあ・・となって、血圧びゅーっと下がるみたいな。何これ・・となって。それも処理をして、このスケッチを描き、点描画も描き、こんなうろこの形をしているんだなあと、スケッチを残しました。で締めた魚をこのな落穂の中に納めて、初めて「魚打棒」というのが完成したわけです。

■「魚打棒」のその後

引き続きそういうことをやりながら、「魚打棒」のこともいろいろ考え始めました。このメモは、「魚打棒」を作るちょっと前だな。「殺魚棒」と書いてあります。そして、佐野和彦と書いてありますけれども・・・佐野和彦と書いてあるんですよ。

これ、何のことか、ややこしいけれども説明しますね。あの時、僕は並行して三つの製品を作っていたんです。「魚打棒」「弓魚」「肺魚」と言う三つの作品を作っていたんです。それで、それぞれにいろんな思いがあったんですね。「魚打棒」はとにかく神様の問題です。神と自分、そして死と破壊。「肺魚」というのはシミュレーター、世界と一体何なんだろうという、大きいシミュレーターの話。そして「弓魚」というのは、魚の造形。骨の形の美しさ。芸術的な面白さを考えていて。自分の中に三つの要素があって、これに対応する自分の中に三つの人格を作ろうと思ったんです。それぞれが別な作品を作っているという風に設定しようと思って、「魚打棒」を作っていたのは、佐野和彦という名前をつけて・・・ドラマーと書いてありますが。佐野和彦さんが「魚打棒」を作っているんですね。「肺魚」は土屋さんと言う人が作っていて。そんな風に名前を付けたんですが。というわけで佐野和彦と書いてあるんです。

この時に破壊のことを考えながらメモを書きました。「魚打棒」を作ることでわかったりしたことだとか。破壊と分解の違いとは何かとかね。

これもそうだな、魚器シリーズのメモ。ここにも、すでに「魚打棒」を作った後ですが、いったいなんだったんだろうな、「魚打棒」を作ったけれども。「殺した魚を内包するというアイデアが浮かば大量の魚を殺していただろう。」「一本の魚打棒は一匹の死体で完結すべき。」「最初の一匹で完結すべきであった。」・・・ちょっと意味深なことを書いていますが。そうなんです。「魚打棒」は一匹じゃないんです。「魚打棒」で魚を締めるという行為は、終わらなかったんですね。なぜならば、その後僕は明和電機を始めて、明和電機の製品としては「魚打棒」を位置づけたことにより、「魚打棒」のパフォーマンスを明和電機もしなければいけなくなったんです。その時にはそれはもうショーになっているんですね。人に見せる、人の前で魚を締めるという行為をやる。それは自分が自分を知りたいためにやる、ということよりも、その行為を人に見せることで、考えてもらうと言う・・・見世物ですね、ショーとして「魚打棒」をやり始めるわけですね。初期明和電機のライブパフォーマンスでは、何回かやっているんです。有名なところでは、お客さんに止められたこともあります。やめてくださいと。実際にライブ中に、それを止めたこともありました。

なぜこの「魚打棒」をやったかと言うと、自分とは何だろう、世界とは何だろうと、悶々とした悩みを突破するために、インディアンからヒントを得てこれは作らなければいけないと思った。これをやらなければ自分は変わらない、分からない、ということの突破口として行為なんですが、それは最初の「魚打棒」。その後の「魚打棒」のパフォーマンスは、もうそうではないんですね。悶々と、パフォーマンスをしながらも、これは違うなぁということを考え始めて。1993年に最初の「魚打棒」をやったんですが、191995年には、無理だ、魚器シリーズも限界があるなと思い、パフォーマンスもやめました。

というのが「魚打棒」というものについて、資料から読み解いたものでした。最終的にはですね、修了制作としてそれを発表しました。修了制作の大学の要項にそれが載っています。その時はまだ明和電機というものも思いついていません。大学院修了制作としてそれをつくば美術館で発表しました。懐かしいな、芸術研究科修士論文梗概集。これを見ると、土佐信道さんのページ、論文の要約と、写真があります。明和電機じゃないですね、何この人。いまとポーズは一緒だけども、すごいアゴが上がっている。こんな感じで大学院修了制作として発表しました。出来上がったということです。

「弓魚とはなにか」(文字原稿)

先日配信した「弓魚(ゆみな)とはなにか?」を文字で起こしました。理解しにくい点などを最小限で補足・訂正しています。お暇なときに読んでみてください。

 

 

■弓魚の紹介

今日は「弓魚」という魚の形の弓のお話をします。前回の「魚打棒」「弓魚」、そして「肺魚」、この三つは魚器シリーズの中で、一番最初に作ったもので、僕は「三種の神器」と僕は呼んでいます。この三つを、とにかく語り尽くしたい、ということで今回配信をやっています。前回は「魚打棒」だったので、今回は「弓魚」、次回は「肺魚」と、この三本柱でお話ししていきたいと思っています。

とにかく「弓魚って何ですか?」と、今日初めてご覧になったみなさんにはわからないと思いますので、「弓魚」の基本的なところからお話ししたいと思います。今日は実物の「弓魚」を持って参りました。少々お待ちください。

<箱に入った弓魚を持ってくる社長>

「魚器シリーズ」はこういう感じで箱に収納しているんですね。取り出します。ちょっと箱を下げますね。これが「弓魚」ですね。弓の形の魚です。背中がマジックハンドのような仕組みになっていて、にゅっと伸び縮みします。グッとしっぽを引っ張ると、ワイヤーが一本背骨に入っていて右側の弓に繋がっていて、また、裏側を通るワイヤーは左側の弓へつながっているので、弓の弦が引かれてこの矢がスパン!と飛ぶ・・・・飛ぶわけがないんです、これは。まあいわゆる造形物として作ったものです。

これを作ったのは1992年、大学院2年生の時24歳の時に作ったんです。ちなみに弓魚は骨が一本ないんです。一本骨が欠けているんです、なぜかというとこの欠けた骨を使って「弓魚2号」を作ったんですね。アダムの肋骨からイブが作られたような感じです。

「弓魚2号」はいわゆるボーガンです。今、日本で非常に巷で話題になっていますね。これはいわゆる組み立て式のボウガンで、畳んでいる手を広げると弓の形になります。これを作っていた1992年は「矢鴨ブーム」だったんです。どっかの池にいる鴨に、誰かがボウガンで矢を射矢を発射して、その鴨に矢が刺さって、まだ生きてたんですが、それを見つけた人たちが「一体誰がやったんだ!」と大騒ぎになったんです。

これはグリップですね。グリップを本体に取り付けると。折りたたんでいたものがボウガンの形になります。クリッとネジを閉め、矢をセンターに入れます。これで完成。しっぽを引っ張ると弓の弦が引かれて、離すと、これは飛びます。威力はないんですが、これは飛ぶ仕様になっています。こんな感じで「弓魚1号」「弓魚2号」を作ったわけです。

言ってみればこれは武器なんです。「弓の形の魚」「魚の形の弓」、まあどっちでもいいんですが、なんでこんなものを思いついて作ったんですか、ということなんですが、今日はそのお話をしていきたいと思います。

じゃあちょっと危ないのでこの武器を片付けさせていただきます。(うしろにかけたいところだけれどもかからないな。チラリと見えるようにしておきたい。)

■学生時代のイメージの魚

魚器シリーズというのをかつて明和電機は作っておりました。1997年まで作っていたんです。ご存知の人いるかな、魚の骨のコードで「魚(な)コード」という骨の造形の製品もあります。弓魚というのは、その魚の骨の造形の、一番最初の製品なんです。これは明和電機を思いつくよりも前に大学時代に作ったものなんですね。

その頃僕は筑波大学の総合造形というコースに入っていまして、機械を使った芸術作品を作る、ということを目指していたんです。

現在は、明和電機というスタイルが出来上がってます。本当に沢山の製品群を作りましたから、明和電機の世界観というものが出来上がっていて、そういうものを作ったことが自信と言うか、リアリティがあるので、生きることに不安は全くないんです。しかし、大学時代というのはですね、前回もお話ししましたけれども、本当に芸術家になれるのかな、自分は一体何なんだ、ということを悩みまくっていた時期だったんです。自分が何になるかわからない、という時期に、弓魚を作りました。

では、基礎的な話から行きたいと思います。「そもそも何で魚なんですか?」と皆さん思いますね?

僕は芸術家になりたいという夢があって、小さい頃から全く変わりませんでした。芸術家と言うか絵描きなんですが、絵を描く人になりたいと言う、思いがずっとあって、そのまま美術大学に進みました。

しかし、これまで何度も話しているんですが、大学院の時に自分とはなんだろうと悩み始めた時に、「絵を描くとは一体どういうことなんだ」という、悩んでしまったんですね。、最終的には「オタクギョタク」という本を作ることで、自分の中のイメージを絵にするというのはどういうことかということを、自分なりに理解するんですが、これは大学院の1年生(24歳)ときにやったんです。

まだそんなことすら思いついてもいない大学3年生(23歳)の時に描いた絵がこれですね。これは魚ですね。気持ち悪いんです。なんだこれは、目がギラッとしている。これはエイかな。

僕は魚の悪夢というのを小さい頃からよく見るんです。それは奇形の魚が絶対出てくるんですがそういう夢は、小さい頃からよく見ていて、まあそれは怖いと言うか気持ち悪い夢なんですが、この絵はそのイメージですね。とにかく目がギョロっとしていて。こういうものがイメージとしてありました。

「それは魚ですか」と聞かれると、非常に難しい。魚に見えるけれども、悪夢の魚、もしかすると魚に似ているけれども魚なんじゃないかもしれない、でもまぁイメージとしてそういうものがどうしても浮かんでしまう。その時は、頭の中のイメージを釣り上げる方法は、絵を描くことしかできなかったんです。当時は。

■コンピューターで魚を作る

ただ筑波大学の総合造形というコースは、、新しく生まれたテクノロジーとか、、新しい概念の芸術、コンセプチャルアート だとか、パフォーマンスとか、とにかく新しい領域の芸術をやりましょうというコースだったので、そこで機械加工とか、コンセプチュアルな現代美術の考え方、それからコンピューターグラフィックスなどを、学んだんだです。

そうすると、それまでは頭の中のイメージを外に取り出す方法は、とにかく絵を描くという方法しかなかったんですが、だんだんそうではなくて違う手法で、違う釣具ですね、それを使って頭の中から取り出すという方法をできるようになってきたんです。それで魚もだんだん変わってくるんです。

これは大学4年生の時の作品だな。これもまあ気持ち悪い魚なんですが。何でしょうね、突起物がびょーんと飛び出てるんですね。ここは何だろう、銀色の塗料塗っているんですが、イメージは電子回路のようなイメージで。これは実際に発泡スチロールや樹脂を使って作りました。この絵と全くおなじ彫刻作品というかフィギュアを作りました。その時に頭の中の魚を立体化するということをやったんです。それはこの元絵です。

これは何でしょう、魚なんですが、機械的なフォルムも入っていて、この部分はミュート飛び出るんです。なんだかうんこみたいですね。肛門がここにあるみたいな感じですかね。こういうものを作ったわけです。

これを作った頃(1990年)、コンピューターグラフィックスのワークステーションが大学に入った時で、CGは楽しい!とはまった時だったので、魚も CG にしたのがこれです。当時のコンピューターグラフィックスなので、これをレンダリングするだけで後6時間かかったかな。今だったらこれだったら3分ぐらいで綺麗なレイトレーシングでレンダリングできると思います。当時はそのぐらいぐらい重たかったです。

これは作った時、コンピュータグラフィクスは本当に面白いなと思ったのは、ここには立体情報がちゃんとあるんですね。一匹作れば複製も簡単にできるし、動かすこともできるし、光の向きを変えれば違う雰囲気にもなるし。まあ絵なんですが、一方でリアルなものに近いと言う。紙に描いた魚も、同じ魚なんですが、これは一回描いていてしまえばおしまい。CG はとにかくデータなので、あとでそういうことができると言う。これは楽しいと思って、大学4年生の時かな、これで遊んでたんです。ちなみにこのシリーズで他にも動物を作ったのでお見せします。ちょっと待ってください。

(作品集を持ってくる)

これは4年生の時に作ったものですね。「Creature in the circuir」。回路の中の生物。これは当時 CG で作ったものです。これはアイコン今の魚器シリーズと一緒だな。

これは何だろう、象みたいなものかな。お尻がピカとひかると言う。イカが合体したみたいなもの。

そしてこれが魚ですね。この人ねにゅーと飛び出てくるという。むにむにうって。うんこかなこれ。うんこみたいだな。

それからこれはエイだね。機械が詰まって。ここは階段かな。階段がついてるからでかいのかな

これは羊かな。これはちょっと顔がサバオの目をしていますね。いろんな髪型がありますね。

これは犬だ。頭がつつある犬。だんだん大きくなっていく。

これは鳥と蝶が合体したようなものですかね。卵がありますね。

まあ、こういうもの作っておりました。今見れば「魚器シリーズ」に繋がる要素は既に出てきていて、これが一番わかりやすいかな、ここはいわゆる肌色、ここは銀色です。僕のイメージでは。この肌色と銀色というのは、明和電機が現在よく使う、ABS の肌色、そしてアルミニウムの銀色、それと同じなんですね。ただこの時はABS樹脂もアルミニウムも、その組み合わせがまだ見つかっていない時でした。まだ ABS樹脂に出会ってないころなので。ただこの時はこの色の組み合わせはいいなーと思っていたんです。そしてこの背景の青。肌色と黄色には青が合うなぁと思っていたんです。その後、この青が制服の青になるわけです。ABS 色、アルミニウムのシルバー、制服の青。その出発点はこの時にすでにあったんですね。ただし、イメージとしてのものがあっただけなんです。当時はこういうものを作っていました。

■生物学を学ぶ

出てきたもので分かると思うんですが、生命をモチーフとしたイメージをよく作っていたんです。ただそこには「しくみ」というものがない、単なるイメージとして作っていました。これは何かと言うと、現実ではないイメージとしての生物を作る、という感じは、「シュルレアリスム」ですね。現実にはないが、リアリティ持ってこういう生き物たちを作る、みたいなことを絵画的にやっていたんです。

ところがですね、イメージとしてこういうことをやってることに対して、何か不満がずっとありまして。生き物を作っているとするならば、生き物はイメージもありますが、必ず複雑な「しくみ」を持っている。メカニズムを持っている。それが欠落しているただのイメージだけのものを作っていると、何かが足りないなとずっと思っていました。その後スランプにつながっていくんですが、それを解決しなければいけないなと強く感じたのが、23歳の大学院の1年生の頃からなんですね。

何度も話しますが、その突破口となったのが「オタクギョタク」。1000匹、魚を書いてみようという。そもそもイメージって何だろうということで。頭の中にあるイメージをとにかく出し切ってみようということで、こういうことをやりました。

と同時に、生命そのものをの「しくみ」を勉強しようと思いました。筑波大学は総合大学なのでとても便利なことに、他の学科の授業受けれる受けることができます。そこで生物学の授業を受けまくったんです。大学の1年生が受講する基礎生物学などを取り、受講しまくりました。

生物学なので当たり前なんですが「しくみ」なんですね。生物によって脳もこんなに違うかとか。循環器系はこんなになっているのか、ということ生物学の授業で。「しくみ」ですね。生物学はイメージなんて教えませんから。「しくみ」すごいなと思って。僕そういうの大好きなんで。すごく考えさせられたんです。

要するに、自分がこれまでやってきたイメージを作るという芸術は、「しくみ」がない。CG の魚も、そこにデータはあるけれど「しくみ」がない。

■イメージの芸術への不満

ちょっと話がずれるんですが、絵を描くということについて僕なりに、落としどころを僕なりに感じていたことは、やはりベースは「シュルレアリスム」なんですね。まとめて言うとそこに集約されることが非常に多いんです。どういうことかというと、「シュルレアリスム」とか、マルセルデュシャンの「レディメイド」とか、20世紀に登場した芸術というのは、大量生産・大量消費という時代が訪れて、人々の周りに物質がどっと出てきた時に、芸術家たちが物質物体というものに対して、自分の中で昇華していくということをやり始めた時代です。シュルレアリストたちは、私たちのまわりにある物体をモチーフにして、かつての芸術家たちが神をモチーフにしたように、まなざしをそういうものたちに向けて、再解釈して、物体をすごく芸術のモチーフに取り入れ始めたんですね。

そこで彼らがやったことは、やはりイメージなんですね。例えばすごくわかりやすい例で言うと、 皆さんマグリットの絵をご存知ですか?そこには鳥とか、りんごとか、すごく具体的な物体が描かれているんですが、どう考えても現実的な状況では描かれていないので、現実を超えた「シュルレアリスム」、「シュルレール」、超現実なものと描かれています。すごく面白いので僕も大好きなんですが、やっぱりイメージなんです。自分の観念でこう見えた、自分のイメージでこう見えたという。主観で判断して描いているイメージなんです。

それからちょっとずれますが、「デュシャン」のレディメイドもそうですね。便器を美術館において芸術作品ですという。便器というのは、ものすごく機能的な「しくみ」しかないただの物体です。それを美術館と言うホワイトキューブに置くことで、いきなり意味が変わってしまう。超現実的な変なものになってしまう。それはすごいいいんですけれども、それはやはり主観のイメージであり、作家なり、鑑賞車の中の観念でしか成立していないものなんです。そういうことを感じていたんです。大学時代に。

■「しくみ」のある芸術としての道具

「イメージとはなんぞや、自分の中で主観的で感じてしまうこととは何か」ということで、現代美術の歴史をそのようにたどっていくと、そこに行きつき、そこを出発点として様々なオブジェが出来上がっているということが始まっているんですが、そこがどうしても引っかかる。芸術作品が主観的な観念、作者と鑑賞者の間の約束事の中でしか存在しないものということ。しかし、僕がやりたいのは、もっと現実的なものだった。そこで言う現実とは超現実ではなくて、私たちの日常に飛び出してくるものです。それをもっとやりたいなあと思った時に、どうすればいいんだろう?と悩みました。

おそらく現代美術の中でこの問題は非常に大きくて、現代美術の流れはなかなかそこから逸脱できない、それが今の流れで、やはりそこに呪縛があるんですね、そこから飛び出したい。そういうことを考えていた時に、生物学、など魚をモチーフに色々考えていた時に、いけるんではないかと思ったのが、「しくみ」だったんです。

「弓魚」は単なる造形物です。と思いきや矢が飛ぶんです。それは道具なわけです。道具というのは日常で使うことができる。これで公園の鴨を射ったら大変なことになりますが、意味として使える道具なわけです。自分で手で持って毎日毎日使う、現実空間の中で使うことができる。あれっと思いまして、。それ「しくみ」だと思いました。生物とは違うんですが、「しくみ」、メカニズムがある芸術だと思って、すごくしっくりきたんです。僕なりに「レディメイド」とかの、デュシャンの呪縛からことができたんです。それが「道具」というものです。単なる鑑賞物としての芸術作品ではなくて。「道具」という、使えるものを作る。ここにブレークスルーがあったんです。

■弓魚の開発

しかしすぐそこにたどり着いたわけではなくて、そこに至るプロセスがあるんですが、「オタクギョタク」を描いた時にすでにめばえがあります。本を見て行くと気持ち悪い魚のようなものがたくさん並んでいるんですが、弓の魚が時々出てくるんです。「しくみ」を持ってる魚ですね。こうやって見ていくと単なるイメージだけではなくて、また出てきましたが、機能を持ったのイメージが登場してくるんです。

じゃあ作るかと、なんとなく思い始めました。そして最初の形のイメージが、これで。最初はこんな感じですね。頭がもろ魚ですが、魚がいて魚の体に弓が装填できるようになっていて。バスバスと口から発射するという。危ないので頭が檻の中に入っていて、前面が「的(まと)」になっていて。他の人には刺さらない安全設計になっています。

最初はそういうイメージが出てきましたが、その後は生物学の影響を受けて、弓の形は非常に骨にいているので、これは合体させたら面白いな、と思いまして、指の形の魚を考え始めました。魚の骨の美しさと弓が持ってる機能的な美しさは似ているな、と思ったんですね。

そしてだんだん現在の「弓魚」のに近くなってきましたが、こういう絵を描きました。背骨が、がっと伸びるといいなと思った時に、背骨はマジックハンドのようにクランクの機構にすればいいと思い、このようなスケッチを描きました。これをもとに「弓魚」を作って行きました。最初に見ていて頂いた方の「弓魚1号」です。こちらを作ったんですが、やはりまだ造形要素が強い。これは矢が飛ばないですね。機構はあるんですが、飛ばない。これは違うと思って、こちらの飛ぶ方の「弓魚2号」を作りました。

この「弓魚2号」を作る最初は、その時はコンピューターグラフィックスやCAD もやっていましたので、「弓魚2号」の形も CAD で設計して、「円弧」で全て形が出来上がっているという。これを元にモデリングをするんですが、まず図面を書いて、それをもとに CG で形を起こした。そういう感じです。

大学時代に作った「回路の中の生物」の魚も CG ですが、最初のこの魚と大きくちがうのは、最初の魚はやはり造形であり、イメージだけなんです。しかし、こちらの魚は同じ魚でも、弓の形をしていてちゃんと飛ぶと言う、機能が追加されています。機能があることで現実世界に飛び出してくる。それはシュルレアリスムのオブジェのようなものではなくて。こちら側の、私達の世界の方にガッと飛び出してくることが、面白いと思ったんです。

■弓魚と海

もう一方で考えたことがあって。イメージのことではなくて「考え方」の方ですが・・・あのですね、海について考えていたんですね。これは言葉でご説明しますね。魚というのは海に住んでますから、「弓魚」という魚を作りながら弓魚が住んでいる海のことも考え始めたんです。それはやはり動物というのは必ず環境の中で生きているので、これを作るならば、海というのはどういう意味かなということを、色々考え始めました。その時思ったのが「メディア」ということなんですが、というかメディウムかな。何かを満たしているという意味の「メディア」です。

「メディア」としての海ってすごいなと。魚にとっての海というのはすごいなと。何がすごいかと言うとですね、たとえば魚にとってごはんは、プランクトンというものが既に海の中に溶けているんです。そしてよ。口を開けて前に進めば、どんどんごはんが入ってくる。そしてうんちですよ。うんちをしたら、勝手に海が拡散してくれるわけですよ。そして寝てても体を支えてくれているし、温度も一定だし、口開ければ酸素も入ってくるし。後はクジラで有名ですが、音を遠くまで伝える。クジラは、地球の裏側のクジラと更新ができると言われていますが、音波をすごく遠くまで伝達してくれる。これはすごいぞと。僕らがやろうと思ったら、口を開けててもごはんは飛び込んで来ないです。口を開けていたら「何ですかあなた?」と言われます。僕らがもし同じことを地上でやろうと思ったら、コンビニに買いに行くかな?でもコンビニに行ってコンビニのおばちゃんの前で口を開けていても、ごはんは入ってこないんですけどね。

後はうんちね。流すためにトイレがいるでしょ、下水とか。この辺でするわけにはいかない。そういう下水というものも作らなければいけない。水を飲もうと思ったら上水も作らなければいけない。それから音を伝えようと思ったら携帯とか電話とか、手紙を書くとかねメールを打つとかね、何かしらのメディアが必要になってきますよね。しかし魚は海が全部それをやってくれる。それはすごいなと。

■沖縄の海でのガイア体験

このことすごく思ったことがありました。あ、ここで人生初の暴露話をしようかな。明和電機でバイトしていた人で沖縄出身の人がいたんです。ある時その人のお家に皆で遊びに行ったことがありました。沖縄です。明和電機チームで遊びに行ったわけです。じゃあ夜の海に行こうということになりまして、みんなで「楽しい楽しい!」と夜の海に入っていったわけです。僕は泳ぐが大好きなので、真っ暗な夜の海に入って、「凄いなあ」と、かなり沖の方まで泳いでいった。ところが、多分夕方のご飯で食べたものが良くなかったんでしょうね、急激にお腹が痛くなっちゃったんです。

うわーっ痛いと思って、どうしようこれは非常にまずい痛さだと。で沖から戻って行ってトイレに入るのではもう間に合わないと。これはもう、この海の沖で出すしかないと。それで近くにいない人がいないことを確認して、海水パンツ下ろして、小じゃなくて大きい方を、ブリブリブリと出したわけですよ。

その時にですね、海すごいと思ったわけです。ごはん中の人がいたらごめんなさいね。海というのは世界にひとつしかないんですよ。大陸というのはあちこちにありますが。海というのは、すべて水で繋がっていますからひとつ。この壮大な地球の海に、自分が出したものが拡散していると。何か「ガイア」を感じたんです。すごいな海!と言う。やがて僕のうんちは拡散され他の生物の糧となっていくんだろう・・・と、満天の星空の下、夜の海でガイアみたいな事を感じたんです。

これは初暴露話です。この話を聞いた工員さんは今、「マジか」と思ってると思うんですが・・・よかったね近くで泳いでいなくて。まあそういう感じです。海ってすごい。

■弓魚の絶滅の物語

そういうことを考えていた時にこの「弓魚」と海の物語を思いついたんです。どういうお話かと言うと、この「弓魚」という魚はですね、今度はおしっこの話なんですが(けっこうスカトロの話が多いな)この「弓魚」がするおしっこです。動物はみんなおしっこをしますが、「弓魚」は音の伝導率を非常に高めるおしっこをし始めるわけです。何のためかと言うと、他の「弓魚」と交信するために。おしっこの中に音の伝導高める物質を尿として排出すれば、非常に遠くの「弓魚」とか、たくさんの「弓魚」と一気にコミュニケーションができる。そちらに進化を振って自分の意思がメッセージが伝わる伝わりやすいようにに、海をおしっこで変えていくわけです。どんどん変えていくんですけれども、どんどん成分量が増えていくと、社会も発展していくんですが、そのためにとにかく音が伝わりやすくなってしまう。もうひそひそ話ができない。「あのね、今日ね」というだけで、それが海に伝播して、広がってしまう。そうすると内緒話すらできなくなってしまうんですね。全部聞こえてしまう。

その時にある魚が・・・何でしょうね、好きになってしまった魚ができた、でもいいです、別な魚に「好きです」と言おうとしても、全員に聞こえてしまい「お前はあいつが好きなんだ」とバレてしまう。周りに聞こえてしまうので、こらは困ったと。そこでどうしたかと言うと、この魚だけに伝えたいという思いがぐわっと高まり、あるとき自分の脊髄が「弓の軸」に、そして脳が「矢じり」に変化するんですね。そして思いを届けたい魚に向かってそのパンと発射する。すごく思いが詰まっているわけです、もともと脊髄と脳なので。はっと飛んで行ってがーっと刺さって、その人に思いが伝わる。しかしその思いが伝わった魚も死んでしまう。そういうこと弓魚じゅうがやり始めたために、この「弓魚」という魚は絶滅してしまう。

魚器図鑑の中に絶滅した「弓魚」の絵がありますが、みんな死んでしまう。僕が作るものには絶滅するものが非常に多いんですが・・・こういうこと思いついたんですね。これはメディアの比喩ですね。これ思いついたのが今から28年前なので、まだインターネット何てまだ全然ない時代でしたけれども、インターネットとが出始めて。ネットワークというのは広まれば広まるほど人間を近づけていくものだろう。それは音声だけではなくてゆくゆくは味とか匂いまで人々に簡単に伝えられるようになったら、便利ではあるけれど、みんなに伝わるということで、「ダイレクトにあの人に伝えたい」ということが希薄になっていて、フラストレーションが高まるんではないかと、ということを考えました。。

■暴力というコミュニケーション

その時に弓矢というものでコミュニケーションを伝えることは暴力なわけです。暴力によって自分の思いを伝えるというのは。暴力は一種のコミュニケーションだと思うんですが、人間はそれをずっとやってきているんですね。ちっちゃい子もそうですが、思いを伝える時に、言いたいことがあるけれども伝えられなくて、ガッと飛びかかってしまう。とかね。そういうことはよくあると思うんですが、

それは原始的な人間の衝動なんですけれども、すごく思ったのは、大阪の民族博物館(民博)に行った時。僕の話ははよく民博が出てくるんです。学生のとき、悩んでいる時に旅に出て民博に行ったんですが、やはり民泊というのは道具だらけなんですね。そこにはいろんな面白い道具があって。そこには、はり弓矢とかね、棍棒とかね、どの民族にも必ず武器というものがあります。ただそこで展示されている昔の武器というものは、顔が付いていたりとか、トゲがたくさん出ていたりとか、見るからに痛そうな姿をしています。「それで殴られたら痛いだろうな」とか「その神様の顔が描かれているもので殴られたら、呪われるだろうな」という武器が沢山あるわけでです。

それらは道具なんですが一方で神具でもあります。神具としての武器がそこにはあって、なるほどねと思いました。暴力というのはコミュニケーションで、武器というのはそのコミュニケーションの道具なんですが、昔はそういう暴力を振るう前に、「痛そう」であるとか「怖そうであるとか、そういう精神的な暴力コミュニケーションがあった。それで相手を「威嚇」するんですね。「威嚇」することによって本当に命に関わるような暴力まではいかない。そういう機能が昔の道具にはあったんだなぁと、なるほどと思いながら見ていたんです。

それは動物もそうですね。動物も武器としての爪とか牙とかすごくありますが、喧嘩する前には牙を見せて、犬もそうですが「威嚇」というのを必ずやる。本当の喧嘩になって殺し合いになるその前に、「威嚇」というのをやります。それと一緒で原始的な人間も、道具に「威嚇」の意味を込めて使っていたんだと思います。

その道具としての武器がどんどん進化していくと、弓になると威嚇ではないんですね。遠くにある獲物または敵を遠隔でやっつけることができるので、威嚇ではないんです。まだ棍棒ぐらいまでならば、ダイレクトに1対1でやり合えるんですけれども、飛び道具というものが登場すると、いきなりコミュニケーションが希薄になります。それが拳銃になって、大砲になって、僕らの時代になって核兵器になっていて、今だったらドローンですかね、相手が見えない距離感というものが出てきて、威嚇というものが通じない。低エネルギー低コストでどれだけ効率よく人を殺せるかという武器が登場してくる。そういう道具の出発点として、民博に行くと「そうではないもの」が見れて面白いんですが。そういうことを「弓魚」を作る時に思ったんですね。つまりダイレクトコミュニケーション。弓矢に思いをのせて相手を射抜くと言うことで絶滅するという魚の物語を思いついて書きました。

矢鴨もそうだし、今回のボウガンの事件もそうですが、これは僕の考え方ですけれども、明和電機も武器のようなものをたくさん作るので、でもやはりそれはコミュニケーションのものであって、もうちょっと本当の武器を使わずにダイレクトなコミュニケーションをする方法はなかったのかなー、ということを考えさせられますね。このあいだも銃で自殺してしまった中学生いましたけれども、威嚇ではないですけれども、プロセスを飛ばしてしまっていることに、につまらなさと言うか、「もっと工夫の仕方があるよ」ということを思ってしまいます。

■造形としくみ

「弓魚」を作って僕にとってエポックだったのは、芸術でありながら仕組みを持ってるということだったんです。これは例えばオタマトーンにもつながっていくんですが、オタマトーンもおたまじゃくしという造形物、ぬいぐるみるみのようなものなんですが、ちゃんと音が出る。メカニズムと造形というものが合体している、ということが面白くて作いるんですが、明和電機の製品はそういうものです。造形的にも面白いけれども必ずそこに仕組みというものを持たせると言う。そういうことで作っています。「弓魚」はその出発点となったものです。これとかも度々イメージで出てくるんですが、矢を自分に向かって飛ばす「弓魚」なので、自殺というやつですね。ナルシズムという。自分自身に向かって矢を放つ魚ですね。

これは「弓魚」を本当にリアルに書いたらどうなるかなーと言うテーマで描いた絵ですね。これは後々レース編みのようにして書いた「弓魚」ですね。これは。EDELWEISSシリーズというものに「魚器シリーズ」から移って行く時に・・・魚のシリーズから花シリーズになる時に、魚の象徴として描いたレースの「弓魚」です。こういうものも描いたりしました。

今日は「弓魚」という製品にまつわるお話をしました。繰り返しますが単なるイメージとしての造形作品を作るのではなく、「魚器シリーズ」につながる仕組みメカニズムを持った造形や芸術作品を作ると言うことにジャンプすると言うきっかけとなったものでした。おそらく僕は今後もずっとこのやり方でやって行くと思います。

来週はいよいよ「魚打棒」「弓魚」ときて「肺魚」。三種の神器の三つ目ですが、「肺魚」は今までの話とちょっと違うんですね。一言で言えば「シミュレーター」の話です。何に近いかと言うとゲームですね。神の視点から世界を操ると言うことにはまって生まれた製品の話を来週は策をまとめていきたいと思います。

 

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「弓魚完全資料集」
配信で制作した、弓魚の資料をまとめたZINEです。明和電機STORESで発売中。

 

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暇なときは自分を掘る

最近、自粛で家にこもることが多い。必然的に自分自身に向かう時間が増えるのだが、「これ、なんだか懐かしい時間だ」と、ふと思い出すのが、今から27年、まだ僕が大学生のころ。

いまでこそ自信たっぷりに明和電機ではしゃぎまわっているが、大学生のころは、そんな余裕はなかった。とくに大学院の1年生(23歳)のときなど「いったい自分はこれからどうなるんだ?」と謎だらけの日々だった。

とにかく小さいころから芸術家になりたい、という夢は変わらず美術大学の大学院まできたが、自分が何を作ったらいいのかわからない。行き詰まって、手も足も出ない。そのころの自分を「原人間」と呼んでいた。原始人ではなく、原人間。なにに成長するのまったくわからない原点の人間、という意味だ。

とりあえずなんかやらなきゃ。山口勝弘先生も授業で「スランプになっても、手を動かすことは止めるな」と言っていたし。

いろいろ悩んでいた中で、ふと気になったことがあった。自分は芸術家になりたい、とくに絵描きになりたいと思っているのだが、それは頭の中にあるイメージを外に絵として取り出すことだろう。では、そもそも、その「頭の中にあるイメージ」とは何なのか?

そこで気がついたのが、小さいころから「魚の悪夢」を見ることだった。奇形の魚がどんどん出てくる夢だが、この魚はなんなんだ。どこから来るのか?どんだけ頭の中にいるのか?

そこである日「よし、空想の魚を1000匹描いてみよう」と決めて、紙とペンを持って、夜のファミレスへ向かったのだった・・・

と、ここまでが、あちこちで話している「オタクギョタク」というスケッチ集の誕生秘話である。ここから実際に魚1000匹を描きあげ、それがきっかけで「魚器(NAKI)」というナンセンスマシーンを作りはじめ、それを世に出す方法として「明和電機」を思いついた。

とにかく、この魚1000匹を描く!ということをしなかったら、今の明和電機は生まれてなかったかもしれない、というぐらい、自分にとってエポックな作業だった。

では、なぜ、あのとき、魚1000匹が描けたのか。

理由は明白。

「暇」だったからである。

1000匹描くのに、半年かかった。そのあいだ、夜のファミレスにいっては、ちまちまと描いていた。それをやっても一円ももうからない。だけど、のちのちを考えれば、そのあと27年間も明和電機で食えてるのだから、やっといてよかった。

ここから学ぶ教訓がある。「暇なときは、自分を掘れ」

暇なときは、一般的には自分の外側にエンターテインメントを探しに行く。映画を見る、ネットを見る、本を読む、音楽を聞く・・・などなど、すでにあるエンタメを探す。これが普通。

でも、180度方向がちがう暇のつぶし方もある。それが「自分の中を掘る」である。僕の場合は、1000匹の絵を描いたが、それが小説を描くでも、映像を録るでも、音楽を作ってみるでも、なんでもいいから、外からの情報を「自粛」して、自分の中から何が出てくるのか、掘ってみる。

くりかえすが、僕はそれをやったおかげで、何十年も食えた。一見無駄なようだが、これはじっくりやっといたほうがいい。とくにクリエーションを仕事にしようとする人は、この自粛で暇なときにやっといたほうがいいと思います。

さて、そんな「オタクギョタク」をみんなもやってみよう!というワークショップをYOUTUBEのライブ配信で行います。

(上のイラストをクリックすると、YOUTUBEにジャンプします)

A4の紙とペンがあれば、誰でもできる発想法。お暇な方はぜひ見にきてください。

また、魚1000匹を描いた「オタクギョタク」(自費出版・2000円)も、明和電機のウェブショップで発売中。今なら、全種類ちがう社長による魚のイラストのサイン入りです。

>こちらから

 

 

 

 

 

明和電機ライブのスケッチ台本

のっけからパソコンがフリーズして、いきなり楽器が動かない、という香ばしい始まり方でしたが、無事に配信が終わりました!いやあ、よかったよかった。

さて、ライブの興奮が覚めやらないみなさまに、今回のライブの台本を公開したします。

 

 

絵コンテ

これは、音響、照明、カメラ、そして出演者のみなさんに、今回のライブの世界観を伝えるために描いた絵コンテ。

全部を見たい方は、こちらをクリック!>絵コンテ

配置台本

こちらは複雑な楽器の移動や、演者の動きを客観的な視点で把握するもの。とにかく明和電機のライブはモノが多いので、この台本が必須です。

全部を見たい方は、こちらをクリック>配置台本

 

こうしたビジュアル台本を作るのは、根本は「自分が理解するため」でもあります。あたまの中に漠然とあるイメージも、スケッチになると客観的に理解できます。これは便利!

みなさんも、漠然と頭にあることを、文字や絵にしてみると、案外、簡単に把握できたりします。うまい・へたなんて気にせず、やってみてください!

 

【明和電機ニュース】

明和電機ライブのDVDBOXを予約発売中!
収録映像と、モリアゲBOX&ヒラメキBOX、そしてメーキング映像、関連のさまざまな技術資料などをいっきにまとめた、豪華パッケージです。

>こちらで発売中!

 

【YOUTUBE 無料配信】

「ヒゲ博士とナンセンスマシーン」 4月12日(日)16:00-

「明和電機事業報告ショー2020」 4月12日(土)20:00-      

 

 

 

 

「ちゅうし」から「ちぇんじ」

明和電機のライブコンサート。コロナウイルスの影響から「観客を会場の動員する」ことが難しいと判断しました。となれば、「ライブ中止で無観客ライブ」ということになります。 しかし、この言葉がどうもひっかかりました。

まず「中止」という言葉が気に入らない。中止とは英語で「ストップ」です。この言葉を聞いたとたん、頭の中の「創意工夫」もストップしてしまいます。これが大嫌い。他に方法はないのか?「ストップ」ではなく「チェンジ」で行けないのか?

コロナウイルスは、どんどん「変異(チェンジ)」するという戦術を行い、それにより感染を拡大をした。ならば人間側もそれに対抗し、知恵をしぼって現状を「チェンジ」すればいいのではないか?

そして「無観客ライブ」という言葉も気に入らない。無観客でライブをやるって何?お客さんがまったくいない状態でライブをやるのは明和電機で言えば、それは「リハーサル」です。会場にお客さんはいなくても、ネットの向こうにいるではないか。無観客ではけっしてない。

会場にお客さんは来ることはできない。これは現実。でも、現代のテクノロジーや、明和電機ならではの方法を使い、新しいエンターテインメントをお客さんにお届けできないだろうか?

そこでピン!とひらめいたのが、ライブ応援グッズを一曲ごと作り、それをまとめてお客さんに送付し、ライブ配信にあわせてモリアゲてもらうという「モリアゲBOX」でした。

明和電機の本業は「ナンセンスマシーン」という3D(物体)を作ること。ライブ配信という映像表現(2D)だけではおもしろくないので、この3Dのミニチュアをお客さんにも届け、「映像+物体」のエンタメができないか?と思ったのです。2.5Dではなく、3Dです。

3月25日、このプランを発表することにしました。それが「明和電機 緊急会見」でした 。

 

この会見では、明和電機のライブコンサートを「劇場型」から「自宅型」へと変更し、DVDの収録、モリアゲBOXをそれにあわせて開発し、発送することを発表しました。

■ひたすら量産!

さて、方針はきまったものの、4月12日にライブ配信に間に合わせるためには、遅くとも4月7日には「モリアゲBOX」が完成していないといけません。「モリアゲBOX」を一個作るのではなく、最低でも500個は作る必要があります。本のような印刷物であれば、500個は簡単ですが、今回は「物体」の量産です。

500個か・・。

計算すると、

3月25日~4月1日 設計作業
4月2日 ~4月7日 量産作業
4月8日 発送作業

となります。

曲ごとのアイテムを新しく18種類考える。それを500個量産する。

 


無理やん。

と思うでしょうが、僕には勝算がありました。明和電機はこの1年間、品川区のアトリエの中だけの工作機械を駆使して量産ができる「マイクロファクトリー計画」を進めていたのでした。

この産物として「ベロミン」「電動ノックマン」や「寿司ビート」「ゴムベースポータブル」などの製品を開発・量産していました。このノウハウをいかせば、「一週間で500個の量産はいける!」と思ったのです。

この「マイクロファクトリー計画」のベースにあるのは、CADによる設計と、レーザーカッターや3Dプリンターといったデジタル工作機の使用といった「デジタルテクノロジー」です。しかし、もっとも大事なのは、量産を行うための「治具」の開発と、無駄をできるだけ減らした設計&制作方法でした。これは人間の「知恵」を使う作業です。デジタルテクノロジーも大事ですが、量産にとっての「キモ」は、この「人間力」です。

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明和電機のアトリエでは、こうして怒涛の「モリアゲBOX」の設計と量産作業が始まりました。工員さんと社長が知恵をしぼりまくり、無事に4月7日に500個の量産ができ、発送作業が開始されました。(つづく)

 

 

 

【明和電機ニュース】

モリアゲBOX 発売中

明和電機の動画鑑賞が100倍おもしろくなる、モリ上げBOXを明和電機ネットショップで発売中です。 >こちらから!

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4月11日、12日に品川区のひらつかホールで開催予定の明和電機主催「明和電機事業報告ショー2020」「明和電機ライブ2020 BEHIND THE MASK」「ヒゲ博士とナンセン☆スマシーン」 は、内容を変更し、YOUTUBEにて無料配信することを決定いたしました。

【配信日時】

「明和電機ライブ2020 BEHIND THE MASK」 4月11日(土)17:00-

「ヒゲ博士とナンセンスマシーン」 4月12日(日)16:00-

「明和電機事業報告ショー2020」 4月12日(土)20:00-      

コロナのシミュレーション

東京都にも非常事態宣言が出ました。

明和電機は、観客を動員してのライブから配信へと切り替えていました。何回かにわけて、これまでの経緯をまとめてみたいと思います。

■病床でシミュレーションしてみた

3月21日に、コロナウイルスではなく、水疱瘡のウイルス(帯状疱疹)に感染しました(正確には子供の頃に感染したものが、大人になって再発)。痛いとの抗ウイルス薬でぼーっとした頭の中、寝込んだ布団の中で、「ウイルス」についての本を読んだり、ウイルスの行動について考え事をしました。 そのとき考えたシミュレーションです。

赤がコロナに感染した人、青がしてない人です。

感染が発生したとき、それを止める確実な方法は、「全員、その場から絶対に動くな!」です。体力があり、抗体を作れた人からウイルスは消滅します。体力がない人は死にます。死んだ人の体の中でウイルスは複製できないので、これも消滅します。 しかしこれは倫理的にアウトです。また消滅までに2週間かかるとしたら、人間はその間に餓死してしまいます。なので、このシミュレーションは現実的ではありません。

次は「ウイルス感染者のうち、重体になる人を治療する空間を作る」です。つまり病院です。死ぬ人は減らせます。しかし一方で、病院に「集中する人々」の間で感染が広がるというデメリットがあります。現代はスマートフォンなどで情報拡散が早いため、この「集中する人々」が発生する確立が高くなっています。重体の感染者が増えすぎた場合、治療できる能力を超えてしまい、病院の機能がストップします。いわゆる「医療崩壊」です。実際に武漢やイタリアでこの現象は起きました。

次のシミュレーションは、「生命維持装置のある最小の空間に人々を閉じ込め、重体患者だけ、病院に送る」です。

「生命維持装置のある最小の空間」とは、わかりやすく言うと「自宅」です。自宅には、水道がきており、ガスや電気で暖もとれます。また冷蔵庫や台所の棚には、保存食があります。この生命維持装置の中にいれば、とりあえず何週間も生きていけます。 自宅の中に感染者がいなければセーフ。いた場合は同居者も感染しますが、抗体をつくれれば回復、重体になれば、病院にいけます。また、このシミュレーションのメリットは、「自宅」にはアドレス(住所やメールなど)が紐付けされているので、医療機関や政府などのマクロ側からの管理がしやすいことです。ウイルスの追跡ができます。また、病院の医療崩壊も軽減できます。

最後に未来的なシミュレーションです。

このモデルでは、ウイルスの治療薬が開発され、それが安価に量産され、普及しています。また、各人はスマートフォンなみに小型の「パーソナル診断システム」を持っており、自分が感染したかどうかを「自宅で」判定することができます。感染と判定された場合は、ネット経由で情報が医療機関に届き、薬で対応するか、または病院へ行くかが決まります。病院ではさらに高度な治療システムでウイルスを消去します。

残念ながら現代のテクノロジーは、この段階ではありません。



以上のシミュレーションから考えて、現代は、「C」からやっと「D」に行きかけた時期となります。

この状況を踏まえ、明和電機が観客動員のライブコンサートをやったらどうなるか、考えました(E)。

このシミュレーションでは、点線でかこまれた場所が「劇場」になります。 自宅から劇場に人々が集まった場合、劇場内で感染がおきます。そしてその感染は自宅へと移動します。「ウイルスの治療薬」も「パーソナル診断システム」もない場合、感染は拡大します。そして感染者のうちの重体者は病院へ移動します。しかし病院にも確実なウイルスの治療薬はないので、対応がオーバーします。「医療崩壊」が起き、死者が増えます。

以上のシミュレーションから、「観客動員のライブは止めたほうがいいかもな・・」と寝込んだ布団の中で思いました。 そんなことを考えていたタイミングで東京都より4月12日までのイベント自粛要請が発表されました。あくまでも自粛要請でしたが、自分の中のシミュレーション的には「観客動員」は厳しいと判断しました。 そしてそれが「明和電機 緊急会見」へとつながりました。(つづく)

 

【明和電機ニュース】

4月11日、12日に品川区のひらつかホールで開催予定の明和電機主催「明和電機事業報告ショー2020」「明和電機ライブ2020 BEHIND THE MASK」「ヒゲ博士とナンセン☆スマシーン」 は、内容を変更し、YOUTUBEにて無料配信することを決定いたしました。

【配信日時】

「明和電機ライブ2020 BEHIND THE MASK」 4月11日(土)17:00-

「ヒゲ博士とナンセンスマシーン」 4月12日(日)16:00-

「明和電機事業報告ショー2020」 4月12日(土)20:00-  

 

 

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48年前のウイルスにやられました。

人類がコロナウイルスでビクビクしている今日このごろ。朝起きると、妙に体がだるい。「まさか・・」と思い、熱を測ったが、36.5度の平熱。ほっとしつつも、ではこのだるさは何?と悩んだ。しばらく考えて、一昨日に明和電機のライブリハーサルで一日中踊ってたことを思い出した。

筋肉痛か、なるほどね。

歳をとると後からくる、というやつだと納得してアトリエに向かった。家を出て歩き始めたら、なんだか右足がおかしい。どうも筋肉痛ではない。右足の表面に5Vぐらいの電圧が流れてる感じでなんだかピリピリする。12Vというより5Vだ。わかるだろうか。

その日はデザイナーの中村さんと新しいオタマトーンのパッケージ打ち合わせがあった。作業のあとにふと「そういえば足がなんだかピリピリするんですよね・・。」と打ち明けたところ、健康に敏感な中村さんから「信道さん!それは脳の病気の可能性ありますよ。右足だけピリピリなんておかしいですよ!」と指摘が入った。

ええ!まじか!とちょっとびびりつつも、疲れかもしれん、寝れば治るだろうと、その日は床に入った。

そして明け方、すごく気持ちの悪い夢を見た。

僕の右足のうしろ、おしりの下あたりから黒い小さな蜂が十数匹、皮膚から出ようとしている。蛾の幼虫にタマゴを産み付けてエイリアンのように飛び出してくる寄生蜂というのがいるが、そんなかんじだ。ジンジンとした焼けるような痛みもある。ワラワラと皮膚の中で動く蜂を必死でつまみ出そうとするが・・

と、そこで目が覚めた。夢か、と思ったが、現実にするどい痛みがある。まさかほんとに蜂か?と思い痛みのあるあたりを触ってみると・・ぷくりとした膨らみがいくもできていた。

「なんじゃこりゃああ!」と驚きで目が冷めた。昔からアトピー体質なので、皮膚には炎症が起きやすいが、今回のはあきらかになにかがちがう。ここ数日の体がだるい原因はこのせいかもしれない。そういえば毎日快便が自慢なのに、この2日ほど便通も止まっている。ぜったいなんか変だ。変すぎる。やっぱり脳か?まさかほんとに寄生蜂か?

すぐになじみの皮膚科に飛び込んだ。

カルテを見たお医者さんはいつものアトピーのことだろうと思ったのか「どうですか、その後の経過は・・」と話しかけてきたが、「ちがうんです、アトピーじゃなくて、へ・ん・な・も・の・が足にできてるんです!」と前のめりで説明した。

ここ2日前から体がだるく、右足がピリピリする(5Vとは言わなかった)と思ったら、へんなぷくりとしたものができた。そして便通も止まった・・・

先生は一連の僕のたどたどしい説明をうんうんと聞いたあと、「ちょっと見ましょうか」と実際に患部をチェックし、一呼吸おいてから、

「帯状疱疹ですね。まちがいありません」

と答えた。

・・・帯状疱疹?なんですかそれ? という顔を僕がしていたからだろうか。先生は「子供でもわかる帯状疱疹」という感じの、マンガ入りのパンフレットを取り出し、丁寧に説明をしてくれた。

「帯状疱疹とは、ウイルスによる病気です。このウイルスは水疱瘡のウイルスと同じです。日本人の多くは子供のときに水疱瘡になりますが、このとき完治してもウィルスは神経節の中に潜り込んで潜伏します。人間の体には抗体という監視システムがあるので、水疱瘡のウイルスは暴れようにもすぐに見つかって攻撃されるので、じっとそのまま潜伏します。ところがストレスや老化などで体も抵抗力が落ちると、この潜伏してたウイルスが神経を通って表面に出てきます。これが帯状疱疹です。80歳までに3人に1人がかかると言われています。」

世の中がコロナウイルスで大騒ぎのときに、僕は水疱瘡のウイルスにやられたのか・・・。

先生によると、最初のピリピリ感は、ウイルスが神経節から表皮に飛び出しはじめたからであり、便秘も排便の神経系をおかしくしているからだそうで、どれも典型的な帯状疱疹の症状だそうだ。抗ウイルス剤と痛み止め、そして便通をうながす処方をしてもらって帰宅した。

アトリエの工員さんたちにも「帯状疱疹になりました。わかりやすく言うと、水疱瘡です。今日は休みます。あと、水疱瘡に子供のときにかかったことがない人は10日間は僕に近づかないでください」と連絡をした。幸い明日から3連休である。プチ隔離状態で、自宅でゆっくり休もうと決めた。

布団に入って、読みかけの「ウィルスの意味論」を読破。ウィルスの世界の全体像をわかりやすく解説した本で、人間とウィルスの複雑な関係性が理解できた。

ふと「僕は子供の時、いつ水疱瘡になったんかな?」と思い、兄ちゃんに連絡してみると、「わしが六歳のときに水疱瘡になって、それをうつすために母ちゃんが隣で寝かせてたから四歳とちがうかなあ。水疱瘡になっても、河でザリガニとって遊んでたね。」と返信がきた。

四歳に水疱瘡になったとしたら、僕の体の中で水疱瘡のウイルスは48年間も潜伏していたことになる。ウイルスは食物を食べ排泄をするとか、光合成をするとか、そういう代謝はいっさい行わない。DNA、RNAという遺伝情報しかなく、感染した細胞の中のリボゾームのような「タンパク質の3Dプリンター」を操作して自己をコピーする。今回は僕の体の中で、「大昔にフロッピーディスクに保存しておいたCADデータを発掘し、48年後に3Dプリンターで読みこんだら、エラーもなく立体ができた」みたいなことが起きたわけだ。すごいな、水疱瘡ウィルス。

今から48年前のデータか・・。そいえいばあの時代は、だれか子供が水疱瘡になったら、「はよう水疱瘡になりんさい」と、わざと感染するように親たちが近づけたなあ、と思い出した。のんびりした時代だ。今のコロナウィルスでは絶対にありえない。たとえば近所の子供がコロナにかかり、その親が近所の子供たちの家に「うつしましょうか?」と子供をつれていったら、警察に通報されるだろう。

これは、水疱瘡が広く感染し、親もおじいちゃん、おばあちゃん世代も感染によって抗体をもっているからだ。社会が集団免疫を獲得していて、かつ、水疱瘡で子供が死ぬことがめったにないからできることだ。

コロナウィルスも子供の死亡率は極端に低い。多くの死者が出た武漢でも、9歳以下の死亡者数は0だった。しかし、水疱瘡とちがい、おじいちゃん、おばあちゃんになるほど死亡率のカーブは急上昇する。抵抗力が落ちている人の死亡率も高く、社会は集団免疫を獲得していない。

一方で、コロナウイルスは生きている人間の細胞の中でしか増殖できない。人間を破壊することは自らの首をしめることになる。もしかしてこの先、コロナウィルスの感染が本当に広がり、社会が集団免疫を獲得し、かつ、ウィルスそのものが変異していき、死亡率が下がって人類と共存の方向に向かったなら、遠い未来、「あら、お隣さんのぼうや、コロナになったの?じゃあ、うちの子にもうつしてもらわなきゃ」となるかもしれない。

水疱瘡ウィルスを抱え、痛み止めでぼんやりしてきた布団の中で、ふと、そう思った。

 

 

【4月の明和電機イベントのお知らせ】

今年の「明和電機事業報告ショー2020」はイベント盛りだくさんの2デイズ!!
2019年の明和電機の激動の1年間を社長のパワポ芸で振り返る「明和電機事業報告ショー2020」、ナンセンス楽器と役員が大集合する「明和電機ライブコンサート」から、大人も子どもも楽しめるメカニカルミュージカル「ヒゲ博士と☆ナンセンスマシーン」の豪華三本立て。
また、明和電機社歌を大勢のブラスバンドで演奏する「明和電機ブラスバンドプロジェクト」や、全国にいるオタマニストによる「オタマトーンオフ会」も開催予定。

■日にち:2020年4月11日(土)、12日(日)
■会場:スクエア荏原(東京都品川区荏原4-5-28)

1日目(4月11日)
15:00-16:30 明和電機事業報告ショー2020
17:30-19:00 明和電機ライブコンサート2020
19:00-20:00 サイン会
20:00-20:30 春の大プレゼント大会

2日目(4月12日)
13:00-14:00 ヒゲ博士とナンセンス☆マシーン
14:00-15:00 サイン会
16:00-18:00 オタマトーンオフ会&明和電機社歌ブラスバンドプロジェクト

チケット情報

■販売期間
2020年2月22日(土)~4月7日(火)…前売り一般チケット販売期間
販売は明和電機STORESにて>
https://maywadenki.stores.jp/

■チケット価格
<1DAYチケット>
4月11日
大人…6000円
小人…2000円
※3歳以下は無料です。但し座席が必要な場合は小人チケットをお買い求めください。

4月12日
大人…3000円
小人…1500円
※3歳以下は無料です。但し座席が必要な場合は小人チケットをお買い求めください。

<2DAYS通しチケット>
大人…8000円
小人…3000円
※3歳以下は無料です。但し座席が必要な場合は小人チケットをお買い求めください。

 

【明和電機キット567円引きセール開催中】

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世間のコロ休にともない、明和電機の「工作キット全品567円引きセール」、3月31日まで開催中! 寿司ビート、電動ノックマン、文庫楽器キットなど、すべて567円引きです

こちらから!>明和電機STORES

超!技能訓練所 クリエイター対談

「モノを作って、売って、暮す」

大昔から人が行っているシンプルなことですが、これを独立したクリエイターとして実現するのは簡単ではありません。

僕は美術大学出身なので周りには芸術家になりたいというクリエイターの卵がたくさんいました。また明和電機はソニー・ミュージックエンターテインメント、吉本興業に所属していたので、ミュージシャンやお笑い芸人を目指す人もたくさんいました。みなさん自分の才能で食っていくクリエイターを目指していましたが、100%自分が生み出したものだけで暮らしていける人はほんの一握りでした。多くの場合、それとは別な仕事で得た収入で暮らしをおぎなっていました。

なぜクリエイターにとってむずかしいのでしょうか?そのことを理解するために、給料をもらう仕事をしているひとをざっくりと「サラリーマン(給料をもらうひと)」、自分が作ったものを自分で売る人を「クリエイター」と定義して比較してみます。

 

サラリーマンが作るものは「会社が考えたもの」です。たとえば家電メーカーに就職すれば、会社が考えた家電やサービスを作ります。社内デザイナーや社内エンジニアも「自分が考えたもの」を作りますが、その課題は会社から与えられたものであり、会社の方針からはずれたものは作れません。そして作るための環境(機材や空間、人員)も会社のものなので、そのことを心配せずに作ることができます。

また、会社は「モノを売るプロフェッショナルな組織」なので、作ったものを売るためのマーケティングを行い、お得意さんや、宣伝の経費などを持っています。サラリーマンはそうした基盤をもとに計画的に売ります。

一方クリエイターが作るモノとは、「自分が考えたもの」です。たとえば芸術家の場合、それは自分の内なるインスピレーションから湧き出たものであり、極端な場合、それは他人が理解できないモノだったりします。ここが問題で、他人が理解できないものは、価値が伝わらないのでとても売りにくいのです。理解しにくい部分をうまく大衆にむけて翻訳できなければ「なんだか難しい商品」となって売れません。(現代美術の市場では、難解さというものも一種の商品価値になりますが、それもそれを説明できる画商の力量あってのことです。)

また独立したクリエイターは個人事業主(フリーランス)なので、自分が作ったものを自分で売らなければなりません。作ることが一番やりたいクリエイターにとって、これは大変な作業です。そのため画家やミュージシャンや小説家など、クリエイターは「売る」仕事を画廊やレコード会社や出版社という外部にお願いすることがあります。しかし、そのときも、自分の作ったもののすばらしさを「売り込む」必要があります。一発でOK、契約しましょう、となることはほんの一握りの才能がある人で、多くは何度も作品を作り、プレゼンしなければなりません。

独立したクリエイターの作業の50%は「売る」作業、といってもいいくらいです。作ることだけに専念したい方は、むしろ会社にいたほうが実現できます。売ることがにがてだ、やりたくない・・と思う方は、独立したクリエイターには向いていません。

そしてもうひとつ、大きな問題は「出費」です。

クリエイターがモノつくるとき、「材料費、機材費、作業場所の家賃」などの出費があります。人に作業をお願いする場合は人件費も発生します。そしてモノを作っている時間は、考えている時間も含め、まったく収入がありません。

一方サラリーマンは、モノつくっているときにも給料が入ります。自分の知能労働、肉体労働を会社に売り、ときには作りたくないものも作るので、これは当然です。

よく脱サラをして独立したクリエイターの方がぶつかる壁はここです。会社にいたときよりもいきなり出費が増える。しかも売る作業にも時間をとられる。そんな条件下なのに前よりも稼がなけばならない。どうやっても無理だ、暮らしていけない・・・となります。

なんだかクリエイターの暗い話ばかりになりましたが、良い面もたくさんあります。まず「自分が作りたいものを作れる」という自由さです。これは楽しい作業であり、まったくストレスがありません。

また、「他人が理解しにくいもの」とは「ナンセンス(超常識)」なものであり、いままでになかった「新しい価値」でもあります。もしそれを大衆が理解したときには競合するものがないので、爆発的に売れます。クリエイターはそれを自分が売っているのですから、会社経由とちがってマージンを取られることがなく、総取りになります。

「作ること」と「作り続けること」は大きくちがいます。作ったものを商品として売り、そこで得た収入で日々を暮らし、その時間の中で次の作るもののアイデアを練り上げ、次なる新作を作る、というのが「作り続けること」であり、これはクリエーションのサイクル(上図)を回し続けることです。

クリエイターがこのサイクルを回し続ける方法にはいろんなパターンがあると思います。100%自分の努力でサイクルを回す人、足りない分のエネルギー(お金)は別な仕事でおぎなう人、サイクルをチームを組んで実現する人・・など多様です。

「明和電機 超!技能訓練所」の関連企画の「クリエイター対談」では、10名のまったくパターンのちがうクリエイターの方にお越しいただき、そのみなさんがどのような方法で「モノを作って 売って 暮す」ということを実現しているのか、明和電機社長がじっくりお聞きします。

これからクリエイターを目指す方、クリエイターという生き方に興味のある方など、ぜひぜひご来場ください。

 

■開催日:2019年7月20.21日、27日
8月10.11.12日、17.18日、24.25日
■開催場所:ラジオデパート6階
■参加費:各回1500円
■参加方法:明和電機STORESから>https://maywadenki.stores.jp/

 


 

対談するクリエイターのみなさんのご紹介

 

土佐正道(明和電機会長)

「シンセから はじめて今は 笛作り」

クリエイター対談の一発目は、明和電機会長。実兄です。兄ちゃんです。兄ちゃんの楽器歴は長く、中学のブラスバンドでユーフォニウムやトロンボーンを吹き始め、高校でバンドを始めてベースを弾きはじめましたが、一方でシンセサイザーにどはまりしました。時代はニューウェーブということもあり、家族から「アンタきちがいになるで」と言われながらも、朝から晩までYMOのシンセサウンドを聞き続けていました。大学のときは弟の僕と「TOSA」というユニットを組んで、当時YAHAMAが売り出したばかりの打ち込みができるコンピューターとシンセで曲を作り、POPCONに出場してたりしました。「テクノ兄弟」とか言われました。

しかし1993年に明和電機を始めるときは、アナログシンセサイザーの貴重なコレクションを涙を流しながら売りさばき、そのお金で明和電機の電動楽器を作りました。そして2000年に定年退職後は、タミヤと組んで「楽しい工作シリーズ」を使って、モーター駆動のおもしろ楽器を作りはじめました。そして最近では、電動からもはなれ、お菓子の空き箱などで「笛」を作ることに凝っています。

「シンセサイザーを突き詰めると、空き箱で笛を作るようになる・・・。」なんだか遠い関係のように見えますが、両者に共通しているのは「パラメーターをいじくると音色が変わる」ということです。一方はそれを電子で、もう一方はそれを紙細工という物理的な方法で行います。兄ちゃんが一貫して探求しているのは、こうした楽器の音の面白さなんだろうなあ、と思います。深いです。

今現在、普段は会社員としてはたらきながら、余暇の時間を自宅で楽器作りの研究にそそぎこんでいるようです(家のリビングから隣の作業部屋へ行くことを「出勤」というらしいです)。まったく欲がなく、作った楽器でもうけようとか、いっちょ紅白に出たろうかとか、一切考えてないように見えます。俗世からは超越した場所におるのう・・仙人みたいじゃのう・・・と弟ながらいつも思います。

のっけから「モノを作って 売って 暮す」という、今回のクリエイター対談のテーマからもっともっと遠い世界にいる会長。トークショーではとくにテーマはもうけず、「・・・で、最近どうなん?」という話を聞こうと思います。

土佐正道会長のトーク対談の参加希望の方は>完売となりました。

伊藤尚未さん

「工作も メディアアートも はんだ付け」

メディア・アートが「メディア・アートで町おこし!」とか「メディア・アートで健康になろう!」など一般化したこのごろ。80年代ごろ、メディア・アートという分野は「テクノロジーアート」とか「ハイテクノロジーアート」と呼ばれていました。

僕が筑波大学の総合造形というコースに入学したころは、まさに「テクノロジーアート」が盛んで、僕が一年生のときには伊藤尚未パイセンは大学院生で、光と音を使った作品でテクノロジーアートのコンテストでグランプリを受賞するなど、バリバリ活躍していました。

その後、伊藤パイセンは2001年からは雑誌「子供の科学」で、テクノロジーアートで培ったノウハウを「子供が作れるレベル」まで落とし込み、電子工作をして連載を開始しました。以後、さまざま電子工作の本の出版やワークショップを各地で開催しています。伊藤パイセンの電子工作本を見ると、まさに現代のメディアートでも登場するネタを無駄のない設計で紹介していて、さすが!と思います。

筑波大生の基質を端的に言うと、「おかしなことをくそまじめにやる」ですが、伊藤パイセンもそんな感じで、アートというおかしな世界に足をつっこみながら、もう一方では、きちんとそれを子供が理解できる部分まで噛み砕き、本まで出してます。

(ちなみに、もっと上の先輩の岩井俊雄パイセンも、後輩のパンタグラフの井上くんも、絵本作家のヨシタケシンスケくんも、みんなおかしなことをくそまじめに描いた「本」を出してます。もと教育大だから?)

最近はメディアアートも、STEAM教育のような子供を対象にしたテクノロジー教育も盛んですが、それが流行るはるか前から伊藤パイセンはそれを行ってきました。そしてその伊藤さんを創造の基礎になったのが筑波大学の総合造形のカリキュラムであり、その基礎をたどればドイツのバウハウスまでたどりつきます。トーク対談では、そんなメディアアートの歴史に触れつつ、伊藤さんが最近の傾向をどういうふうに見てるのか?そしてパイセンとして後輩の明和電機をどうとらえてるんだろう・・などのお話をお聞きしようと思います。

伊藤尚未さんのトーク対談の参加希望の方は>こちら

 

藤原麻里菜さん

「無駄作り 量を作れば 質になる 」

藤原さんはもともと吉本の芸人をめざし、よしもとのお笑いの学校に行ってました。フリーメーソンをテーマにしたネタをピンでやったりしてたそうです。その後、吉本のプロジェクトでYOUTUBEでなんかやる芸人さんの募集があったとき、「毎日へんなものを作ってアップします!」と企画を出したそうです。それまでモノ作りなんてやったことがないにもかかわらず。

しかし、それがいまでは「無駄づくり」という人気コンテンツになり、いろんな企業とタイアップしたり、本を出したり、台湾で個展を開いたりするまでになっています。

藤原さんがすごいなあ、と思うのは、とにかく「数を作っている」ということです。これは僕の解釈ですが、「質より量」ということわざは、量をつくれば、そこからやがて質が生まれるんですよ、そのくらい作りなさいよ、とういことだと思います。まさに藤原さんがそれ。若い人にありがちな、「考えすぎて、手がうごかない」のではなく、ガンガン作ってます。それによって技術力もどんどんあがっている。

藤原さんにあっていつも思うのは「文学少女だなあ」ということです。藤原さんがなんの本を読んでるのか、そもそも本を読んでるのかも知りませんが、うっすらと醸し出す、自分の内面世界を見つめている感じがそう思わせるのです。僕はそこになんとも言えない「怖さ」を感じてしまい、合うたびにビクビクしてしまいます。バイバイワールドの高橋くんも「ぼくも怖い」と言ってました。

藤原さんは一方で、ベースギターがうまいです。なんどか僕はドラムでセッションをしたことがありますが、そんなときは「あ、怖い人じゃなかった」と、コミュニケーションできた喜びがあります。

トーク対談では、藤原さんの作品を紹介していただきつつ、明和電機の所属していた吉本興業というマネージメントの会社との付き合い方や、セルフマネージメントのポイントなどをお聞きしようと思います。時間があれば、楽器でセッションもやりたいです。

藤原麻里菜さんのトーク対談の参加希望の方は>こちら

 

高橋征資さん(バイバイワールド株式会社)

「変態と 理性が生んだ モノ作り」

僕が高橋くんに初めてあったのは2007年。彼が慶応の院生として藤沢キャンパスの薄暗い研究室で「ウンチのような、ウネウネ動く機械」を作っていたときでした。そのころ僕は「バカロボ」という、人を笑わせるロボットのコンテストをプロデュースしていて、その出場者である彼にインタビューに行っていたのでした。

そのときの高橋くんの印象は「こんなイケメンで頭のいい人が、なぜこんな変態なモノを作っているのか」でした。この「変態」というキーワードは、ずっと高橋くんのまわりにいまも漂っています。さらに彼の弟も変態な機械を作っており、「兄弟で変態か。土佐家と一緒だな」という、妙な親近感があります。

しかし一方で、高橋くんはビジネスマンでもあります。「変態」な研究から生まれた「音手(おんず)」という拍手マシーンはやがてマスプロダクトである「ビッグクラッピー」へとブラッシュアップされ、国内外で販売、さまざな企業とタイアップを行っています。そしてプロジェクトを実現するための会社「バイバイワールド」では、社長として経営もおこない、ソフトバンクや吉本興業などの大企業と仕事をしています。

「自分の考えたモノを作って 売って 暮す」という点で、高橋くんはその達成例であると思います。そしてその中心には「変態」をコントロールする「理性」があります。僕もそういう面があるので、「わかるわー」といつも思います。

トークショーではそんな「変態」と「理性」のせめぎあいのお話を聞きつつ、一方でテクノロジーを使ったエンターテインメントビジネスの未来についてお話を聞こうと思います。

バイバイワールド高橋征資さんのトーク対談の参加希望の方は>こちら

 

ザリガニワークス

「ボツからの V字回復 新基軸」

今から20年ほど前。ザリガニワークスの武笠くんは、かつてオタマトーンを作っている㈱キューブの社員でした。そのころ、明和電機の担当として「ビットマン」「ジホッチ」「ガチャコン」などのおもしろメカ系トイを一緒に作っていました。

その一方で武笠くんは「太郎商店」という屋号で、おかしなグッズもいろいろ作ってデザフェスで売っていました。秋葉原のラジオスーパーの㈱キューブさんのコーナーで売っている「自爆ボタン」の原型は、すでにそのときありました。その後武笠くんは大学の先輩である坂本嘉種さんとタッグを組み、2004年には脱サラして「ザリガニワークス」を設立、コレジャナイロボをはじめとして、数々のキャラクターや映像、オモチャをプロデュースしています。

コレジャナイロボのコンセプトを最初に聞いたときは、大爆笑しました。「おとうさんが息子の誕生日プレゼントでロボットのおもちゃをあげようと思ったが貧乏でお金がなく、一生懸命手作りでロボットを作って子供に渡したら、”これじゃない!!”と息子が泣きながら床にたたきつけた・・・そんなロボットです。」

普通に考えたら、そんなロボットを作っても売れない。ボツアイデアです。しかしザリガニワークスさんの作品には、「ほんとうにそれはボツでしょうか?ほら、よくみたらおもしろくないですか?ほら、だんだんおもしろくなってきたでしょう!」という。「ボツからのV字回復」な説得力があります。これはその後の土下座ストラップを最初に見たときの「顔が見えないフィギュアはボツでしょう!・・・いや、ありかも!」とか、ごはん怪獣のバップを最初に見たときの「TVでこのゆるさはボツでしょう!・・・いや、ありかも!」など、この「ボツからのV字回復」を感じました。それは納豆やパクチーのように「最初はダメだったのに好きになったらやみつき♡」な中毒性があります。

いうなればザリガニワークスさんは、この独自の視点を武器にしてビジネスをしているクリエイターです。その視点にクライアントとかメーカーさんもやみつきになり、商品を作っています。トークショーでザリガニワークスさんのお仕事を紹介していただきつつ、「自分が作りたいものを、クライアント仕事の中で、いかに組み込んでいくのか」というノウハウをたっぷりお聞きしようと思います。

ザリガニワークスさんのトーク対談の参加希望の方は>こちら

 

伊豆見香苗

「LINEにて スタンプ作って ハイジャンプ」

「ああー、LINEスタンプで一発あてて、ドンとお金が入ってこないかなー」と、あなたは一度は考えたことがあるでしょう?僕はあります。

そんなことは夢のまた夢、と思っていましたが、なんと身近な人がそうなりました。それが伊豆見さんです。動くLINEスタンプで、いま、大人気のイラストレーター、アニメーターです。LINEの動くスタンプ部門の月間ダウンロード数で1位になりました。

伊豆見さんと出会ったのは今から5年前。明和電機のアルバイトとして作業の手伝いでアトリエに来ました。当時はまだ美術大学の学生で、アニメーションの勉強をしていました。映像が専攻でイラストが得意でしたが、明和電機で工作機械を使った金属加工などをお願いすると、畑違いでしたが作業の飲み込みも早く、ひそかに「アニメをやめさせて明和電機の機械工作をしこんでやろう。いひひ」と計画していました。でも結果的にアニメでLINEで大当たりしたので、計画を実現しなくてよかったです。あやうく才能の芽をつんでしまうとこでした。

一言でアニメーションといっても、いろんなものがあります。10年かけて作るようなアートアニメーションもあれば、萌キャラが活躍するテレビアニメもあったり、CMのような短いものもあります。そんな中で伊豆見さんがみつけた金脈は、LINEのスタンプという、「とても小さく」「とても短い」アニメーションでした。

クリエイターにはひとそれぞれ得意な表現のスケールがありますが伊豆見さんは、LINEスタンプのスケールがピタリとはまったのだと思います。

トークショーでは、そんな大ヒットに至るまでのプロセスや、「キャラクタービジネス」というものを体感した感想などをお聞きしたいと思います。

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井上仁行さん(パンタグラフ)

「人生も 仕事もコツコツ コマ撮りで 」

井上くんはとにかく工作がうまい。筑波大学の後輩ですが当時から「いつかスターウォーズのようなコマ撮りアニメが撮ってみたい」といってましたが、まさにそれを実現し、GoogleなどのクライアントのCMを工作を駆使した立体アニメを作っています。

かつては明和電機が所属していたソニー・ミュージックエンタテインメントで働いていたこともあり、明和電機の「魚立琴基地」や「超合金明和電機」などの造形を手がけました。

絵本作家のヨシタケシンスケくんは井上くんの同級生で、彼と二人で1998年に「パンタグラフ」という会社を設立しました。そのときまわりの同期のクリエイターたちをあっといわせたのが、会社の工作スペースやギャラリーのある「自社ビル」を建てたことでした。

筑波大生の特徴である「おかしなものをくそまじめに作る」という、くそまじめさが自社ビルに結集したようで、「さすが・・・」と賞賛の目で僕も見つめた思い出があります。ソニー・ミュージックエンタテインメントから吉本興業へ移籍する間のブランクでは、そんな井上くんのビルの一部に明和電機のファンクラブの電話をおかせてもらったこともあり大変お世話になりました。

その後も「造形工作アイデアノート」などの本も3冊も出し、さすがもと教育大!という筑波大生っぷりを発揮しています。

トークショーでは、そうしたクリエーションを持続的に仕事にしていくノウハウや、時間がない中でクライアントの要求をビジュアルとして立体化していく工作術など、パンタグラフの「秘技」をいろいろお聞きしようと思います。

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ギャル電 (きょうこさん まおさん)

「勢いで 盛りますメイクと テクノロジー」

「ヤンキーと電飾」。これは日本の伝統文化で、明和電機もバリバリモードのときに武田丸のような楽器で探求しました。ギャル電さんはそこに「ギャル文化」というのをぶっこんできました。きた!これ!と思いました。

そもそもお二人の経歴がおかしい。まおさんはタイ育ちで、学生のときに日本のギャル文化にあこがれ、ネットや雑誌で情報を収集、タイという異国でひとり、ギャルメイクやギャルファッションをしてネットで発信していたそうです。いま工学系の大学院生として研究をしています。そしてきょうこさんは内向的な性格を矯正するのはポールダンスだろうと、いきなりそちらの世界に飛び込み(このチョイスからおかしい)、ギャル文化がより広がるには、テクノロジーをヤンキー感覚のように取り入れるべきだとひらめき、まおさんと意気投合してギャル電を作ったそうです。

ギャル電がつくるさまざまな工作の現物を見るといつも「すげえ!勢いで作っている!」と思います。ガムテープ、グルーガンなどが「こんなかんじじゃね?」という決断のもとで部品をつないでいます。LEDもそれを制御する電子基板も「イケてない?」という感覚のもと選択されています。

このファッション的なノリ一発でテクノロジーを使っているのがとても面白く、理屈で頭がこりかたまった理系男子がびっくりする様がおもしろい。

トークショーではギャル電が作った数々のアイテムを紹介してもらいつつ、ギャル電の理想「テクノロジーを使って当たりまえにギャルが盛りを実現していく世界」で、そこにむかう伝道師として歩んでいる。その大いなる理想をお聞きしたいと思います。

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マタタビ屋

「本業の 裏ではじける クリエーション 」

マタタビ屋のリーダーの岡田くんは、普段は某有名自動車メーカーの関連会社で、粘土削って車の原寸モデルをつくり上げるという、プロフェッショナルな仕事をしています。とにかく超人的に手先が器用で、彼が作るドクロの指輪など、その内面に1mmほどのドクロがびっしり造形されていて「ひょえーー!」となったりします。車の仕事以外にも原型師として、映画の怪獣やロボットのフィギュアの原型を作ったりしています。

頭ではなく手で考える、というタイプです。江戸っ子ではないはずですが、なんだか江戸っ子のような気風の良さがあり、「べらんめえ、つべこべいう前に、手をうごして作ってしまえ」という、気持ちよさがあります。

今では、会社内で役職もあがり、家庭を持って子供もでき、さまざな責任が暮らしの中に生まれていると思います。そんな中でもモノ作りをやめず、デザフェスやラジオスーパーに出品するエネルギーを持っています。

いまは、多くのひとがクリエーターを目指し、作品を作り、ネットで発表できるようになりました。トークショーでは、岡田くんにそんな「暮らし」とクリエーションをどうつなげていくのかを聞きしようと思います。ある意味、もっとも多くの人が抱えている問題意識に近いのかな、と思います。

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TASKO

「難題も 技能を集めて それ突破」

TASKOの社長の田井地くんは、かつて吉本興業で明和電機のマネージャーをしていました。そして2012年に脱サラし、明和電機を卒業した工員さんをコアメンバーにしてTASKOを設立しました。いまでは社員も増え、さまざまな大型クライアントと仕事をする会社へと成長し、ときどき明和電機にも仕事をくれます。ありがとうございます。

明和電機の工員さんはこれまでほぼ3年スパンで入れ替わってきました。みなさんそれぞれクリエイターになりたい!という思いがある人たちなので、明和電機での経験を生かし、自分の技能を磨いて、それぞれの道を歩んでいます。TASKOがユニークなのは、そんな技能のある人たちが集まった「技能集団」であることです。

世の中には「こんなものが作りたい!」という漠然としたイメージを持っている人がいます。それが会社だったりすると、「イメージがあるけど、どうやって作っていいかわからない」となり、TASKOの出番となります。TASKOのそれぞれの技能者がプロジェクトの目的のもとに有機的につながって、期限と予算の制限のもと、作品をつくりあげます。それは中世のギルドのようです。

これからの未来は、ネットワークによって一人の個人の技能をつなぐことで、大きな仕事をすることが可能になって行くでしょう。それはこれまで会社という組織が作ってきた縦割り、囲い込みといった集団とはちがう、新しいタイプの創造システムです。

TASKOさんとのトークでは、「モノを作って 売って 暮らす」というクリエイターの営みを、チームを組むことで成し遂げる、そのしくみや、苦労についてお聞きしようと思います。

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■明和電機
明和電機の行うワークショプの一覧はこちら>
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■伊藤尚未、伊豆見香苗、ギャル電、ザリガニワークス、土佐正道、バイバイワールド、パンタグラフ、藤原麻里菜、マタタビ屋、necobit、Qux、㈱TASKO
アーティストごとのワークショップ詳細はこちら>
https://www.maywadenki.com/news/radio-ws-teacher/

■お申し込みは明和電機STORESにて>  https://maywadenki.stores.jp/

明和電機ショップ、ついにオープン!!

 

明和電機26年目にして、初の公式ショップを東京の秋葉原にオープンすることになりました。場所は、あの東京ラジオデパート!!

秋葉原には、ラジオデパート、ラジオ会館、ラジオセンター、ラジオガーデンなど、ラジオという名前がついた場所がたくさんあります。戦後、秋葉原という街ができていった牽引力となったのが、小さなラジオの部品販売店だったからです。当時は、そうしたお店にいけば、部品からそれを収める箱まで、ラジオを組み立てるための部品がすべてそろいました。

ラジオデパートはそんな老舗の部品屋街のひとつです。明和電機のショップはラジオデパートの2階、電気部品屋さんと同じならびに出店します。

 

■電気部品の思い出

ラジオデパートの、明和電機が出店を予定している場所のとなりには、真空管を売っているお店、向かいには可変抵抗(ボリューム)を売っているお店があります。こうした電気部品を見ると、とても懐かしい気持ちになります。

小学校のころ、父親が「明和電機」という電気部品工場を営んでおり、一階が工場、二階が住居という家で育ちました。その一階の工場では、東芝の下請けで、真空管のガラスを切る仕事をしていました。真空管の中のキラキラした雲母の薄い板なんかもあって、きれいだなあ、と思っていました。

その後工場は大きくなって別な場所にうつり、そこでは松下電器の下請けで、テレビのボリューム(可変抵抗)を作っていました。忙しいときなどは、小学生だった僕もベルトコンベア流れ作業の中に入って、女工のおばちゃんたちと電気部品の組みたてなどをしていました。小学生の遊び盛りなので、その作業がとても嫌だったんですが、今になればそのとき「量産とはなにか?」ということを体を持って体験でき、今日の明和電機の活動にとても役に立っています。

その後、小さいころから絵描きになたい、と思っていた僕は、1987年、筑波大学の芸術専攻に進むと、そこで機械を使った芸術作品を作るようになりました。絵描きになりたい、という自分の中の「芸術家」の部分と、工場の中で育ったという「エンジニア」の部分が合体したからだと思います。

大学時代は、電気部品をもとめて、筑波からバスにのって秋葉原に行きました。駅を降りたらラジオストア、ラジオガーデン、ラジオ会館をぐるりとめぐり、信号を渡ってラジオデパート、千石電商、秋月電気、鈴商あたりをチェック。そうすると「あれも欲しい、これも欲しい、」という、物欲が頂点に達するので、それを鎮めるために、角にあるドトールに入ってコーヒーを飲みました。「ほんとに買わなければいけないものはなんだっけ?」と冷静になってから、逆方向にお店をめぐって買い物をする、いうのが基本コースでした。

とりわけ「ジャンクパーツ」と呼ばれる、ほとんど廃棄処分になったような電気部品を漁るのが好きでした。当時は今よりもたくさんジャンク屋さんがあり、まるで宝さがしのように、ホコリの箱の奥から、欲しいものやなんだからわからないけれど形がカッコいい部品を探しまくりました。

そうした掘り出しもののひとつが「ソレノイド」と呼ばれる、電気が流れると直道する電気部品で、学生のときにそれを使って電動楽器を作り、そこから明和電機の活動の根幹となる「ツクバシリーズ」というナンセンス楽器が生まれました。

 

■パソコンにハマる

僕が秋葉原に通い始めた1980年代の後半は、すでにラジオの街から「パソコンの街」へと変化していました。そこらじゅうにパソコンや関連する部品、ソフトウェアを売る店がありました。僕が最初に買ったパソコンはAppleの「LC」というパソコンで、たしかRAMが4MB、ハードディスクが40MBという、現在のスマホの能力と比較すると米粒みたいなパソコンでしたが、家に届いたときは「未来がきた!」という感動がありました。

Appleのパソコンには当時、「ハイパーカード」という、ソフトが必ずインストールされていました。インターネットでは当たり前になっている[ハイパーリンク」という情報要素を飛び交う仕組みが簡単に作れるマルチメディアソフトだったんですが、これがすばらしく、「思考支援ツール」として、まるで自分の脳みそを外在化させることができそうでワクワクしました。

世の中にはこの「ハイパーカード」を使って「スタック」と呼ばれるソフトを作っていた人がたくさんいました。しかし、インターネットなんてなかった時代なので、その情報は雑誌からしか得ることができません。しかし、秋葉原のパソコンショップに行くと、そんなあやしいスタックの情報が手に入り、また、それをコピーさせてくれるお店があることを知りました。

そうしたお店では、「ひとり10分」とか時間が決まっていて、スタックが大量に載っている怪しいチープな印刷の本が置いてあり、それを見ながら欲しいスタックを決め、1.44Mのフロッピーディスクを店内で買い込み(=店で買うルール)、自分にあたえられた10分という制限時間の中で、ひたすらフロッピーの中にガチャコンガチャコンとコピーをしていました。

苦労してコピーを家まで持ち帰り、自分のパソコンにインストールして立ち上げてみたら、しょぼい内容だったりしてがっかりすることもありましたが、それも含めてなんともいえない「ジャンク感」があり、惹きつけられました。

そのほか秋葉原には楽器店もあり、MIDI関係の機材やソフトウェアなどもよく買いました。ジャンクな電気部品から、細かな電子部品、素材、ソフトウェアなど、すべてそろう秋葉原は、明和電機の活動にとって、なくてはならない存在でした。

1990年代になると秋葉原は、アニメショップやメイド喫茶、アイドルの劇場などがどんどん増えていき、電気部品の街にプラスして、日本独特のオタクカルチャーがあふれる街へと変化し、外国人観光客もたくさん訪れる名所になっていきました。

 

■あれ?シャッター街が増えている・・

2016年、老舗の電気部品街であったラジオストアが閉店するという出来事がありました。時代はラジオからパソコンを経てスマートフォンの時代になっており、「自分で部品を買って、自分で作る」という時代ではなくなっていました。今日のデジタル機器を見ればわかるように、分解することもできず、中に何が入っているかわからない「ブラックボックス」になっています。治すよりも買ったほうが安いし、またインターネットの普及で、秋葉原にいかなくても、検索すればさまざまな部品が郵送で届く時代になっていました。

 

そして昨年の11月のこと。部品を探しにラジオデパートに行ったとき。地下から3階まで、すべての階で、シャッターが降りたお店が増えていることに気が付きました。

「え?なにこれ?ここもラジオストアのようになっちゃうの?」

と思いました。駅から徒歩2分というすばらしい立地で、まわりにはメイドさんが活発に路上で活動している場所です。外国人観光客もたくさん往来している場所です。本当にシャッターが降りてるんだろうか、もしかしてオリンピックに向けた再開発だろうか、と公式ホームページを見ました。するとそこには「出店舗・募集」の告知が掲載されていました。やはり営業を止めたお店たちが増えていたのでした。

秋葉原の小さな電気部品屋さんは、文化遺産で保存したいぐらい魅力的で、海外からも注目される風景です。その場所が秋葉原からどんどん消えていっている。なんか寂しすぎる、と悲しくなりましたが、そのとき、頭の中にピキーン!とひらめくことがありました。

「だったら、明和電機がお店を出す」

でした。

 

■マスプロ芸術

 

明和電機は1993年の活動の出発点から一貫して行っていることが2つあります。1つ目は「ナンセンスマシーン」というアートを作る、です。これは世界にひとつしかない一点モノ、つまり「オリジナル」です。一般的にアーティストはその「オリジナル」を売って利益を得ます。しかし明和電機はそれを売らず、「オリジナル」の持っているアイデアや仕組みを二次展開をして、さまざまなオモチャのような「マスプロダクト(大量生産)」を作ったり、ライブコンサートのような「マスプロモーション(大衆伝達)」をすることで利益を得ます。これを芸術のマスプロ化といういう意味で「マスプロ芸術」と呼んでいます。>詳細はこちら

マプロダクトは、大衆に向けて売るので、売り買いをする場所、「ショップ」が必要です。明和電機はこれまで、オタマトーンのようなオモチャは、製造販売元の㈱キューブさんから問屋さんを通して東急ハンズや楽器店、オモチャ屋さんなどの小売店で販売していました。またそれ以外には、展覧会などでは期間限定のポップアップショップを作ったり、ECサイトに明和電機ショップを開設して販売していました。

 

いずれも明和電機の商品だけがある、永続的なリアルショップではありませんでした。しかし、明和電機結成当時から、「いつかはリアルな公式ショップを街につくりたい」という夢はずっとあり、スケッチを描いたり、その実験的な店舗を展覧会で作ってみたりしていました。2020年の東京オリンピックが決まったときには、たくさん来日する外国人観光客が爆笑するような「おかしなおみやげ屋」を作りたいなあ、と漠然と思っていました。その夢がラジオデパートの空き店舗を見たとき、「ピキーン!」とひらめいたのです。

すぐにホームページに載っていたラジオデパートの事務所に電話をしました。そして現在の空き状況、家賃を聞いてみました。その家賃は、自分が予想していたよりも安く、「これならいけるかも・・」と確信しました。

 

■ラジオデパートと打ち合わせ

具体的にラジオデパートの状況がどうなっているか知りたく、2018年の12月末、ラジオデパートを運営している㈱ラジオデパートの事務所にお伺いし、担当の方からお話を伺いました。

いままで30年間通い続けたラジオデパートですが、店舗のある3階より上にはいったことがありませでした。足を踏み入れると、懐かしいロゴの看板などがあり、まさにそこは「昭和」の世界。打ち合わせをした部屋の窓をあけると目の前は中央線が走るJRで、鉄道マニアにはたまらないであろう絶景でした。

担当の方にまずはラジオデパートの歴史をお聞きしました。(こちらで見れますので、ご興味のある方はぜひ)。ビルができた1973年には、秋葉原でエスカレーターがある建物はめずらしく、まさに「デパート」のような華やかさがあったそうです。

「でも、だんだんテナントのお店も3代目とかになってしまってね。それに秋葉原で部品を買って何かを作る、という時代ではなくなってるし、インターネットでみんな買っちゃうし。ほんとはアニメショップやメイドさんのお店みたいなのもOKにすれば、すぐにテナントが埋まるだけど、うちは電気部品でやってきたらか、それはやりたくない。かといって、海外の電気部品屋を入れるというのも、なかなかモラルがちがったりしてむずかしい。そんなこんなで、気がついたら、シャッター街になっていた」

ということでした。長いこと秋葉原に通っているものとしては、時代の流れとはいえ、胸が痛くなるお話でした。

しかしお話をお聞きしながら、一方で、「電気部品を買って自分でなにかを作る人が減っている」という点には、そこはちがうかも、と思いました。自分のまわりには、3Dプリンターやレーザーカッターなどのファブ系工作機械や、海外の電子基板制作会社などを駆使して、オリジナルのユニークな製品をつくり、ECサイトやクラウドファンディング、SNSを使ってそれを広告・販売している人たちがたくさんいる。むしろモノ作りに関しては、むかしよりいまのほうがはるかに簡単になり、個人で販売できる環境ができています。メイカーのイベントやハッカソンはあちこちでやってるし、YOUTUBEを見ても、愉快なモノ作り野郎の動画がたくさんのビューを集めています。

ただ、そうした人々の多くは、ネットショップを使ってモノを買い、作りたいものに関するコミュニティで情報を得ていて秋葉原には来ていない、ということだと思いました。

■明和電機のような「おかしなマスプロ」を行う人がでてこないのはなぜか?

モノ作りの環境はととのっている。そしてそれを販売する環境も整備されている。しかし、そんな状況なのに、自分でいうのものなんですが、明和電機のような「おかしな商品」をマスプロ化して販売している人は、数えるほどしかいません。なぜでしょうか?

いろんな原因が考えられると思いますが、実はモノ作りがしやすくなったことそのものが原因のような気がします。

3Dプリンターやレーザーカッターのようなデジタル工作機械は、「誰でもモノ作りができる」という点でもてはやされています。しかし、なぜデジタル工作機械がなぜ素人でも簡単にモノ作りができるかといえば、実は「モノ作りのおもしろさや醍醐みをすっとばしている」部分があるからです。

たとえば木材を切るという作業は、レーザーカッターでなくても、手でのこぎりがあれば簡単にできます。そこには、いかにきれいに切るか、どうやって木材を固定するかなどの「創意工夫」のおもしろさがあります。物質にはエロスがあって「フェティシズム」といいますが、手で木材を触りながら加工すると、それを感じますし、その魅力が作るものにもにじみ出ます。しかし、いきなりレーザーカッターで木材を切ると、そうした面白さをすべてすっとばしてしまうので、「フェティシズム」を感じられないモノができあがりがちです。そうやってできあがった商品は、他者から見ても「物欲」を感じることがないので、買おうとは思いません。

また、ネットで部品が手に入る、作り方がネットを見ればすぐわかるというのは、とても便利だけれど、一方で「みんな同じようなものを作ってしまう」という状況も生み出します。マニュアルどおりに作れば、失敗することはないし、なんとなく「製品っぽい」ものが作れるので、「まるで自分が作ったとは思えない」という感動があります。しかしそうって作ったものは、どこかで見たことがあるものになります。世の中には同じようなもので安いものがたくさんあるので、わざわざお金を出してまで欲しいとは思いません。

例えば家庭料理であれば、ネットで材料を買い、ネットのレシピどおりに作ればいいと思います。その方が失敗せずにおいしい料理が作れます。実験的に作ったまずい料理を家族で食べるのはちょっときびしいです。

でも、オリジナリティが必要な創作活動では、むしろ失敗や実験が必要で、みんなとはちがうものを作らなければいけません。料理と同じようにレシピどおりにやっていたら「モノ作りごっこ」になります。ひどいものになれば、クラウドファンディングでありがちな、完成予想モデルをCGできれいに作り、お金だけを集め、いざリアルに量産する段階ではじめて現実のモノ作りの壁にぶちあたり「できませんでした!」と逃げ出すパターンを見かけたりします。

かつて僕が秋葉原のジャンク屋めぐりをしていたときには、そこはなんだかよくわからない部品がごちゃごちゃと混じった混沌でした。そこで見つけた「ソレノイド」などは、どうやって使うかよくわからなかったので、12Vに無理やり100Vを流して使うという危険なことをやっていました。もし、そのときにインターネットがあったら、検索で調べるのでそんなめちゃくちゃな使い方をしなかったと思います。でも逆にいえば情報がなかったからこそ、固定概念にしばられることなく自由に作れた、とも思います。また、お店で電気部品を手にしたとき、リアルに感じる「フェティシズム」がありましたし、手で作っていく粘り強さもありました。

固定概念にしばられない、モノのフェティシズムを感じる、粘り強く作るとか、こうした体験があったからユニークなナンセンスマシーンを作ることができたと思います。これらは、マスプロの商品を作るときにもにじみでるので、「オタマトーン」のような商品が生まれたのだと思います。

インターネットは便利ですが、そこで得られるのは音と映像の情報でなので物質感はなく、また検索で答えが見つかってしまうので寄り道も減ります。そうしたことに飽きはじめた人たちが、たとえばマニアックなレコードショップにわざわざ行って、アナログ・レコードやカセットテープなどのリアルな物体を買ったりするような、「先祖返り的な最先端」を求めているのではないでしょうか。

「秋葉原にリアルなお店を出すという行為は、一見、過去にもどるようだが、物体のコミュニティーという点では、実は最先端ではないか?」と思うようになりました。

■ラジカルなオブジェ

ラジオデパートや、秋葉原の歴史を調べていくと、かつて「ラジオ」というのは本当に時代を作り上げた商品だったんだなあ、思いました。ソニーもシャープも東芝も、かつてはラジオの販売がその企業成長のきっかけでした。

戦後の何もない時代、ラジオから流れてくる音楽や、ドラマや、トーク番組や、ニュースは、キラキラしたコンテンツだったんだろうと思います。そしてそれが、部品を集めて、「自分で作ることができる」、というのもすごい魅力だったのだと思います。

今のスマートフォンも、映画、音楽、カメラ、メール、SNSなど、あふれんばかりの魅力的なコンテンツを安価に提供してくれます。そういう点では魅力的ですが、かつてのラジオのように「自分で作ること」ができません。片手で数えるぐらいの企業だけがスマホを作り、世界中で販売し、巨額の収入を得ています。

面白いことに、秋葉原をモデルに作られたという中国の巨大電気屋街の「華強北路(ファーチャンペー)」に行くと、iPhoneの部品屋や修理屋さんなどで、昭和のころに秋葉原でラジオを売っていたようであろう風景を見ることができます。ごちゃごちゃしたお店の中、お母さんが幼児がごはんを食べさせてる横で、お父さんらしき人が見事な手さばきでiPhoneを分解し、正規部品でないパーツを組み合わせて安価に修理してくれます(もちろん非公式)。そんなワイルドな場面を見ると、かつてラジオの部品を屋台で売っていた戦後は、こんな感じでエネルギッシュだったんだろうなあ、と思います。

ラジオという装置は、かつての時代にとって「急進的」で、かつ時代を作り上げる「根源的」となる物体だったのだと思います。おもしろいことに、英語では「急進的」も、「根源的」も、おなじ「ラジカル(RADICAL)」という単語で表現します。そこでひらめきました。

「ラジオ(RADIO)は、かつて“ラジカル(RADICAL)”な“オブジェ(OBJE)”だったのだ」

それでは今の「RADIO」って、なんだろう?スマートフォン?すごい装置だけど、自分でいじくることができない。というか、みんなが同じ価値感を共有する時代じゃないし、自分のものは自分で作れる環境も整ってきたから、これからは自分自身の価値観で「RADIO」を作る時代になったんじゃないか?明和電機もそんなノリで、これまで25年間、ナンセンスな「RADIO」を作ってきたし。ラジオデパートの明和電機ショップが、そんな“新しいRADIO”を発信する場所にならないだろうか?

 

■出店を決める

 

さまざまな状況を考え、2018年の12月、明和電機ショップをラジオデパートに出店することに決めました。さらに「新しいRADIO」の考えをベースに、明和電機だけでなく僕のまわりいるおもしろ工作をしている人たちにも参加してもらえないだろうか?と思いました。そこで閃いたのが、レンタルスペース「ラジオスーパー」でした。

「ラジオスーパー」は一定料金で棚を借りる、いわゆる「レンタルスペース」です。一品ものを預かって置いて売ってみるという場所もあります。ここに、おもしろ工作をしている方々や、その部品を供給したり、コンテンツを作ったりした人がごちゃごちゃっと集まれば、「ジャンク屋」的な魅力のある混沌が作れないだろうか?と思いました。

また、「ラジオギャラリー」という、アートを展示する場所も作ることにしました。アートには得体のしれない不可解なエネルギーがやどっています。それを秋葉原のどまん中に展示したら、おもしろかろう、と思ったのです。さらに秋葉原なので、それにそのアートを作るための部品も秋葉原でそろいます。展示にそうした「購入マップ」のようなものをつければ、「おもしろいな、僕もなにか考えて作ってみよう」と刺激を受ける人が増え、秋葉原の活性化につながるんじゃないか、と思いました。

こうして「明和電機 秋葉原店」「ラジオスーパー」「ラジオギャラリー」という3つの空間で構成される、実験的な店舗を、3月30日にオープンすることになったのです。

■夢は・・

「明和電機 秋葉原店」は、畳三畳ぐらいしかない、とても小さなお店です。でも、明和電機の哲学や、アート、トイ、本、音楽コンテンツなどがぎっしりつまった、社会の中に存在するひとつの「ナンセンスマシーン」にしようと思っています。そしていつかは「明和電機 パリ店」「明和電機 上海店」「明和電機 ドバイ店」など、世界各地に展開できたらと思っています。

ラジオスーパーも、荒削りでも、ジャンクなおかしな商品が集まったら楽しいなあ、と思います。日本だけでなく、海外のからも出店があったら愉快です。

世の中に「ラジオ(ラジカルなオブジェ)」がどんどん作られて、「ナンセンス(超常識)」なものが増え、人類の未来が、少しでも明るく和やか(=略して明和ね)になれることを期待しています。

明和電機代表取締役社長 土佐信道

 

明和電機秋葉原店、プレスリリースは>>こちら

ラジオスーパーの「応募要項」は>>こちら

 

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【明和電機 事業報告ショー2019】

今年もやってまいりました、事業報告ショー。2018年度の明和電機の活動報告と2019年度の野望を、小粋なパワポ芸と音楽でお送りする、お金を取る会社説明会です。今回のゲストは「ブラックベルベッツ」。高い音楽性を無駄遣いしている四人組が、高い技術力を無駄遣いしている明和電機とコラボります。どうなることか!明和電機会長・土佐正道も、たぶん紙工作の新作をもってやってきます!

日時 :2019年4月13日(土)

時間 :
「事業報告ショー2019」16:00~17:30
「明和電機コンサート」18:00~19:00

会場 :スクエア荏原
(〒142-0063 東京都品川区荏原4丁目5-28)

ゲスト:ブラックベルベッツ、土佐正道(会長)、ヲノサトル(経理)

BLACK VELVETS

 

■チケット販売

チケットは「事業報告ショー2019」と「明和電機ライブ」を両方楽しんでいただけます。

<チケット販売期間>
■明和電機協同組合先行販売
2019年02月08日(金)20:00~ 2月17日(日)まで

■一般販売
2019年02月25日(月)10:00~ 4月12日(金)まで

販売は明和電機STORES> https://maywadenki.stores.jp/
明和電機協同組合新規入会受付中! >申込はこちら

<チケット種類>
一般前売り ・・・5,000円
子ども前売り・・・2,000円

一般当日  ・・・6,000円
子ども当日 ・・・2,500円

※3歳以下は無料。ただし座席が必要な場合は子ども料金のお席が必要です。

 

 

 

魚コードのコピー問題

 

昨年、話題となったフライングタイガーによる魚コードのコピー問題。

その後、あの事件はどうなったの?ということですが、その経緯をもとに「芸術と著作権」の問題について明和電機ジャーナルにまとめました。

生物とコピーの関係から出発し、著作権法とはなにか、魚コードの歴史など、網羅的にまとめました。

このたび、無料公開しましたので、ご興味のある方はぜひお読みください。

こちらからダウンロード>NACORD_BOOK

紙で読みたい!という方はこちら。付録もついてきます。>明和電機ジャーナル