「弓魚とはなにか」(文字原稿)

先日配信した「弓魚(ゆみな)とはなにか?」を文字で起こしました。理解しにくい点などを最小限で補足・訂正しています。お暇なときに読んでみてください。

 

 

■弓魚の紹介

今日は「弓魚」という魚の形の弓のお話をします。前回の「魚打棒」「弓魚」、そして「肺魚」、この三つは魚器シリーズの中で、一番最初に作ったもので、僕は「三種の神器」と僕は呼んでいます。この三つを、とにかく語り尽くしたい、ということで今回配信をやっています。前回は「魚打棒」だったので、今回は「弓魚」、次回は「肺魚」と、この三本柱でお話ししていきたいと思っています。

とにかく「弓魚って何ですか?」と、今日初めてご覧になったみなさんにはわからないと思いますので、「弓魚」の基本的なところからお話ししたいと思います。今日は実物の「弓魚」を持って参りました。少々お待ちください。

<箱に入った弓魚を持ってくる社長>

「魚器シリーズ」はこういう感じで箱に収納しているんですね。取り出します。ちょっと箱を下げますね。これが「弓魚」ですね。弓の形の魚です。背中がマジックハンドのような仕組みになっていて、にゅっと伸び縮みします。グッとしっぽを引っ張ると、ワイヤーが一本背骨に入っていて右側の弓に繋がっていて、また、裏側を通るワイヤーは左側の弓へつながっているので、弓の弦が引かれてこの矢がスパン!と飛ぶ・・・・飛ぶわけがないんです、これは。まあいわゆる造形物として作ったものです。

これを作ったのは1992年、大学院2年生の時24歳の時に作ったんです。ちなみに弓魚は骨が一本ないんです。一本骨が欠けているんです、なぜかというとこの欠けた骨を使って「弓魚2号」を作ったんですね。アダムの肋骨からイブが作られたような感じです。

「弓魚2号」はいわゆるボーガンです。今、日本で非常に巷で話題になっていますね。これはいわゆる組み立て式のボウガンで、畳んでいる手を広げると弓の形になります。これを作っていた1992年は「矢鴨ブーム」だったんです。どっかの池にいる鴨に、誰かがボウガンで矢を射矢を発射して、その鴨に矢が刺さって、まだ生きてたんですが、それを見つけた人たちが「一体誰がやったんだ!」と大騒ぎになったんです。

これはグリップですね。グリップを本体に取り付けると。折りたたんでいたものがボウガンの形になります。クリッとネジを閉め、矢をセンターに入れます。これで完成。しっぽを引っ張ると弓の弦が引かれて、離すと、これは飛びます。威力はないんですが、これは飛ぶ仕様になっています。こんな感じで「弓魚1号」「弓魚2号」を作ったわけです。

言ってみればこれは武器なんです。「弓の形の魚」「魚の形の弓」、まあどっちでもいいんですが、なんでこんなものを思いついて作ったんですか、ということなんですが、今日はそのお話をしていきたいと思います。

じゃあちょっと危ないのでこの武器を片付けさせていただきます。(うしろにかけたいところだけれどもかからないな。チラリと見えるようにしておきたい。)

■学生時代のイメージの魚

魚器シリーズというのをかつて明和電機は作っておりました。1997年まで作っていたんです。ご存知の人いるかな、魚の骨のコードで「魚(な)コード」という骨の造形の製品もあります。弓魚というのは、その魚の骨の造形の、一番最初の製品なんです。これは明和電機を思いつくよりも前に大学時代に作ったものなんですね。

その頃僕は筑波大学の総合造形というコースに入っていまして、機械を使った芸術作品を作る、ということを目指していたんです。

現在は、明和電機というスタイルが出来上がってます。本当に沢山の製品群を作りましたから、明和電機の世界観というものが出来上がっていて、そういうものを作ったことが自信と言うか、リアリティがあるので、生きることに不安は全くないんです。しかし、大学時代というのはですね、前回もお話ししましたけれども、本当に芸術家になれるのかな、自分は一体何なんだ、ということを悩みまくっていた時期だったんです。自分が何になるかわからない、という時期に、弓魚を作りました。

では、基礎的な話から行きたいと思います。「そもそも何で魚なんですか?」と皆さん思いますね?

僕は芸術家になりたいという夢があって、小さい頃から全く変わりませんでした。芸術家と言うか絵描きなんですが、絵を描く人になりたいと言う、思いがずっとあって、そのまま美術大学に進みました。

しかし、これまで何度も話しているんですが、大学院の時に自分とはなんだろうと悩み始めた時に、「絵を描くとは一体どういうことなんだ」という、悩んでしまったんですね。、最終的には「オタクギョタク」という本を作ることで、自分の中のイメージを絵にするというのはどういうことかということを、自分なりに理解するんですが、これは大学院の1年生(24歳)ときにやったんです。

まだそんなことすら思いついてもいない大学3年生(23歳)の時に描いた絵がこれですね。これは魚ですね。気持ち悪いんです。なんだこれは、目がギラッとしている。これはエイかな。

僕は魚の悪夢というのを小さい頃からよく見るんです。それは奇形の魚が絶対出てくるんですがそういう夢は、小さい頃からよく見ていて、まあそれは怖いと言うか気持ち悪い夢なんですが、この絵はそのイメージですね。とにかく目がギョロっとしていて。こういうものがイメージとしてありました。

「それは魚ですか」と聞かれると、非常に難しい。魚に見えるけれども、悪夢の魚、もしかすると魚に似ているけれども魚なんじゃないかもしれない、でもまぁイメージとしてそういうものがどうしても浮かんでしまう。その時は、頭の中のイメージを釣り上げる方法は、絵を描くことしかできなかったんです。当時は。

■コンピューターで魚を作る

ただ筑波大学の総合造形というコースは、、新しく生まれたテクノロジーとか、、新しい概念の芸術、コンセプチャルアート だとか、パフォーマンスとか、とにかく新しい領域の芸術をやりましょうというコースだったので、そこで機械加工とか、コンセプチュアルな現代美術の考え方、それからコンピューターグラフィックスなどを、学んだんだです。

そうすると、それまでは頭の中のイメージを外に取り出す方法は、とにかく絵を描くという方法しかなかったんですが、だんだんそうではなくて違う手法で、違う釣具ですね、それを使って頭の中から取り出すという方法をできるようになってきたんです。それで魚もだんだん変わってくるんです。

これは大学4年生の時の作品だな。これもまあ気持ち悪い魚なんですが。何でしょうね、突起物がびょーんと飛び出てるんですね。ここは何だろう、銀色の塗料塗っているんですが、イメージは電子回路のようなイメージで。これは実際に発泡スチロールや樹脂を使って作りました。この絵と全くおなじ彫刻作品というかフィギュアを作りました。その時に頭の中の魚を立体化するということをやったんです。それはこの元絵です。

これは何でしょう、魚なんですが、機械的なフォルムも入っていて、この部分はミュート飛び出るんです。なんだかうんこみたいですね。肛門がここにあるみたいな感じですかね。こういうものを作ったわけです。

これを作った頃(1990年)、コンピューターグラフィックスのワークステーションが大学に入った時で、CGは楽しい!とはまった時だったので、魚も CG にしたのがこれです。当時のコンピューターグラフィックスなので、これをレンダリングするだけで後6時間かかったかな。今だったらこれだったら3分ぐらいで綺麗なレイトレーシングでレンダリングできると思います。当時はそのぐらいぐらい重たかったです。

これは作った時、コンピュータグラフィクスは本当に面白いなと思ったのは、ここには立体情報がちゃんとあるんですね。一匹作れば複製も簡単にできるし、動かすこともできるし、光の向きを変えれば違う雰囲気にもなるし。まあ絵なんですが、一方でリアルなものに近いと言う。紙に描いた魚も、同じ魚なんですが、これは一回描いていてしまえばおしまい。CG はとにかくデータなので、あとでそういうことができると言う。これは楽しいと思って、大学4年生の時かな、これで遊んでたんです。ちなみにこのシリーズで他にも動物を作ったのでお見せします。ちょっと待ってください。

(作品集を持ってくる)

これは4年生の時に作ったものですね。「Creature in the circuir」。回路の中の生物。これは当時 CG で作ったものです。これはアイコン今の魚器シリーズと一緒だな。

これは何だろう、象みたいなものかな。お尻がピカとひかると言う。イカが合体したみたいなもの。

そしてこれが魚ですね。この人ねにゅーと飛び出てくるという。むにむにうって。うんこかなこれ。うんこみたいだな。

それからこれはエイだね。機械が詰まって。ここは階段かな。階段がついてるからでかいのかな

これは羊かな。これはちょっと顔がサバオの目をしていますね。いろんな髪型がありますね。

これは犬だ。頭がつつある犬。だんだん大きくなっていく。

これは鳥と蝶が合体したようなものですかね。卵がありますね。

まあ、こういうもの作っておりました。今見れば「魚器シリーズ」に繋がる要素は既に出てきていて、これが一番わかりやすいかな、ここはいわゆる肌色、ここは銀色です。僕のイメージでは。この肌色と銀色というのは、明和電機が現在よく使う、ABS の肌色、そしてアルミニウムの銀色、それと同じなんですね。ただこの時はABS樹脂もアルミニウムも、その組み合わせがまだ見つかっていない時でした。まだ ABS樹脂に出会ってないころなので。ただこの時はこの色の組み合わせはいいなーと思っていたんです。そしてこの背景の青。肌色と黄色には青が合うなぁと思っていたんです。その後、この青が制服の青になるわけです。ABS 色、アルミニウムのシルバー、制服の青。その出発点はこの時にすでにあったんですね。ただし、イメージとしてのものがあっただけなんです。当時はこういうものを作っていました。

■生物学を学ぶ

出てきたもので分かると思うんですが、生命をモチーフとしたイメージをよく作っていたんです。ただそこには「しくみ」というものがない、単なるイメージとして作っていました。これは何かと言うと、現実ではないイメージとしての生物を作る、という感じは、「シュルレアリスム」ですね。現実にはないが、リアリティ持ってこういう生き物たちを作る、みたいなことを絵画的にやっていたんです。

ところがですね、イメージとしてこういうことをやってることに対して、何か不満がずっとありまして。生き物を作っているとするならば、生き物はイメージもありますが、必ず複雑な「しくみ」を持っている。メカニズムを持っている。それが欠落しているただのイメージだけのものを作っていると、何かが足りないなとずっと思っていました。その後スランプにつながっていくんですが、それを解決しなければいけないなと強く感じたのが、23歳の大学院の1年生の頃からなんですね。

何度も話しますが、その突破口となったのが「オタクギョタク」。1000匹、魚を書いてみようという。そもそもイメージって何だろうということで。頭の中にあるイメージをとにかく出し切ってみようということで、こういうことをやりました。

と同時に、生命そのものをの「しくみ」を勉強しようと思いました。筑波大学は総合大学なのでとても便利なことに、他の学科の授業受けれる受けることができます。そこで生物学の授業を受けまくったんです。大学の1年生が受講する基礎生物学などを取り、受講しまくりました。

生物学なので当たり前なんですが「しくみ」なんですね。生物によって脳もこんなに違うかとか。循環器系はこんなになっているのか、ということ生物学の授業で。「しくみ」ですね。生物学はイメージなんて教えませんから。「しくみ」すごいなと思って。僕そういうの大好きなんで。すごく考えさせられたんです。

要するに、自分がこれまでやってきたイメージを作るという芸術は、「しくみ」がない。CG の魚も、そこにデータはあるけれど「しくみ」がない。

■イメージの芸術への不満

ちょっと話がずれるんですが、絵を描くということについて僕なりに、落としどころを僕なりに感じていたことは、やはりベースは「シュルレアリスム」なんですね。まとめて言うとそこに集約されることが非常に多いんです。どういうことかというと、「シュルレアリスム」とか、マルセルデュシャンの「レディメイド」とか、20世紀に登場した芸術というのは、大量生産・大量消費という時代が訪れて、人々の周りに物質がどっと出てきた時に、芸術家たちが物質物体というものに対して、自分の中で昇華していくということをやり始めた時代です。シュルレアリストたちは、私たちのまわりにある物体をモチーフにして、かつての芸術家たちが神をモチーフにしたように、まなざしをそういうものたちに向けて、再解釈して、物体をすごく芸術のモチーフに取り入れ始めたんですね。

そこで彼らがやったことは、やはりイメージなんですね。例えばすごくわかりやすい例で言うと、 皆さんマグリットの絵をご存知ですか?そこには鳥とか、りんごとか、すごく具体的な物体が描かれているんですが、どう考えても現実的な状況では描かれていないので、現実を超えた「シュルレアリスム」、「シュルレール」、超現実なものと描かれています。すごく面白いので僕も大好きなんですが、やっぱりイメージなんです。自分の観念でこう見えた、自分のイメージでこう見えたという。主観で判断して描いているイメージなんです。

それからちょっとずれますが、「デュシャン」のレディメイドもそうですね。便器を美術館において芸術作品ですという。便器というのは、ものすごく機能的な「しくみ」しかないただの物体です。それを美術館と言うホワイトキューブに置くことで、いきなり意味が変わってしまう。超現実的な変なものになってしまう。それはすごいいいんですけれども、それはやはり主観のイメージであり、作家なり、鑑賞車の中の観念でしか成立していないものなんです。そういうことを感じていたんです。大学時代に。

■「しくみ」のある芸術としての道具

「イメージとはなんぞや、自分の中で主観的で感じてしまうこととは何か」ということで、現代美術の歴史をそのようにたどっていくと、そこに行きつき、そこを出発点として様々なオブジェが出来上がっているということが始まっているんですが、そこがどうしても引っかかる。芸術作品が主観的な観念、作者と鑑賞者の間の約束事の中でしか存在しないものということ。しかし、僕がやりたいのは、もっと現実的なものだった。そこで言う現実とは超現実ではなくて、私たちの日常に飛び出してくるものです。それをもっとやりたいなあと思った時に、どうすればいいんだろう?と悩みました。

おそらく現代美術の中でこの問題は非常に大きくて、現代美術の流れはなかなかそこから逸脱できない、それが今の流れで、やはりそこに呪縛があるんですね、そこから飛び出したい。そういうことを考えていた時に、生物学、など魚をモチーフに色々考えていた時に、いけるんではないかと思ったのが、「しくみ」だったんです。

「弓魚」は単なる造形物です。と思いきや矢が飛ぶんです。それは道具なわけです。道具というのは日常で使うことができる。これで公園の鴨を射ったら大変なことになりますが、意味として使える道具なわけです。自分で手で持って毎日毎日使う、現実空間の中で使うことができる。あれっと思いまして、。それ「しくみ」だと思いました。生物とは違うんですが、「しくみ」、メカニズムがある芸術だと思って、すごくしっくりきたんです。僕なりに「レディメイド」とかの、デュシャンの呪縛からことができたんです。それが「道具」というものです。単なる鑑賞物としての芸術作品ではなくて。「道具」という、使えるものを作る。ここにブレークスルーがあったんです。

■弓魚の開発

しかしすぐそこにたどり着いたわけではなくて、そこに至るプロセスがあるんですが、「オタクギョタク」を描いた時にすでにめばえがあります。本を見て行くと気持ち悪い魚のようなものがたくさん並んでいるんですが、弓の魚が時々出てくるんです。「しくみ」を持ってる魚ですね。こうやって見ていくと単なるイメージだけではなくて、また出てきましたが、機能を持ったのイメージが登場してくるんです。

じゃあ作るかと、なんとなく思い始めました。そして最初の形のイメージが、これで。最初はこんな感じですね。頭がもろ魚ですが、魚がいて魚の体に弓が装填できるようになっていて。バスバスと口から発射するという。危ないので頭が檻の中に入っていて、前面が「的(まと)」になっていて。他の人には刺さらない安全設計になっています。

最初はそういうイメージが出てきましたが、その後は生物学の影響を受けて、弓の形は非常に骨にいているので、これは合体させたら面白いな、と思いまして、指の形の魚を考え始めました。魚の骨の美しさと弓が持ってる機能的な美しさは似ているな、と思ったんですね。

そしてだんだん現在の「弓魚」のに近くなってきましたが、こういう絵を描きました。背骨が、がっと伸びるといいなと思った時に、背骨はマジックハンドのようにクランクの機構にすればいいと思い、このようなスケッチを描きました。これをもとに「弓魚」を作って行きました。最初に見ていて頂いた方の「弓魚1号」です。こちらを作ったんですが、やはりまだ造形要素が強い。これは矢が飛ばないですね。機構はあるんですが、飛ばない。これは違うと思って、こちらの飛ぶ方の「弓魚2号」を作りました。

この「弓魚2号」を作る最初は、その時はコンピューターグラフィックスやCAD もやっていましたので、「弓魚2号」の形も CAD で設計して、「円弧」で全て形が出来上がっているという。これを元にモデリングをするんですが、まず図面を書いて、それをもとに CG で形を起こした。そういう感じです。

大学時代に作った「回路の中の生物」の魚も CG ですが、最初のこの魚と大きくちがうのは、最初の魚はやはり造形であり、イメージだけなんです。しかし、こちらの魚は同じ魚でも、弓の形をしていてちゃんと飛ぶと言う、機能が追加されています。機能があることで現実世界に飛び出してくる。それはシュルレアリスムのオブジェのようなものではなくて。こちら側の、私達の世界の方にガッと飛び出してくることが、面白いと思ったんです。

■弓魚と海

もう一方で考えたことがあって。イメージのことではなくて「考え方」の方ですが・・・あのですね、海について考えていたんですね。これは言葉でご説明しますね。魚というのは海に住んでますから、「弓魚」という魚を作りながら弓魚が住んでいる海のことも考え始めたんです。それはやはり動物というのは必ず環境の中で生きているので、これを作るならば、海というのはどういう意味かなということを、色々考え始めました。その時思ったのが「メディア」ということなんですが、というかメディウムかな。何かを満たしているという意味の「メディア」です。

「メディア」としての海ってすごいなと。魚にとっての海というのはすごいなと。何がすごいかと言うとですね、たとえば魚にとってごはんは、プランクトンというものが既に海の中に溶けているんです。そしてよ。口を開けて前に進めば、どんどんごはんが入ってくる。そしてうんちですよ。うんちをしたら、勝手に海が拡散してくれるわけですよ。そして寝てても体を支えてくれているし、温度も一定だし、口開ければ酸素も入ってくるし。後はクジラで有名ですが、音を遠くまで伝える。クジラは、地球の裏側のクジラと更新ができると言われていますが、音波をすごく遠くまで伝達してくれる。これはすごいぞと。僕らがやろうと思ったら、口を開けててもごはんは飛び込んで来ないです。口を開けていたら「何ですかあなた?」と言われます。僕らがもし同じことを地上でやろうと思ったら、コンビニに買いに行くかな?でもコンビニに行ってコンビニのおばちゃんの前で口を開けていても、ごはんは入ってこないんですけどね。

後はうんちね。流すためにトイレがいるでしょ、下水とか。この辺でするわけにはいかない。そういう下水というものも作らなければいけない。水を飲もうと思ったら上水も作らなければいけない。それから音を伝えようと思ったら携帯とか電話とか、手紙を書くとかねメールを打つとかね、何かしらのメディアが必要になってきますよね。しかし魚は海が全部それをやってくれる。それはすごいなと。

■沖縄の海でのガイア体験

このことすごく思ったことがありました。あ、ここで人生初の暴露話をしようかな。明和電機でバイトしていた人で沖縄出身の人がいたんです。ある時その人のお家に皆で遊びに行ったことがありました。沖縄です。明和電機チームで遊びに行ったわけです。じゃあ夜の海に行こうということになりまして、みんなで「楽しい楽しい!」と夜の海に入っていったわけです。僕は泳ぐが大好きなので、真っ暗な夜の海に入って、「凄いなあ」と、かなり沖の方まで泳いでいった。ところが、多分夕方のご飯で食べたものが良くなかったんでしょうね、急激にお腹が痛くなっちゃったんです。

うわーっ痛いと思って、どうしようこれは非常にまずい痛さだと。で沖から戻って行ってトイレに入るのではもう間に合わないと。これはもう、この海の沖で出すしかないと。それで近くにいない人がいないことを確認して、海水パンツ下ろして、小じゃなくて大きい方を、ブリブリブリと出したわけですよ。

その時にですね、海すごいと思ったわけです。ごはん中の人がいたらごめんなさいね。海というのは世界にひとつしかないんですよ。大陸というのはあちこちにありますが。海というのは、すべて水で繋がっていますからひとつ。この壮大な地球の海に、自分が出したものが拡散していると。何か「ガイア」を感じたんです。すごいな海!と言う。やがて僕のうんちは拡散され他の生物の糧となっていくんだろう・・・と、満天の星空の下、夜の海でガイアみたいな事を感じたんです。

これは初暴露話です。この話を聞いた工員さんは今、「マジか」と思ってると思うんですが・・・よかったね近くで泳いでいなくて。まあそういう感じです。海ってすごい。

■弓魚の絶滅の物語

そういうことを考えていた時にこの「弓魚」と海の物語を思いついたんです。どういうお話かと言うと、この「弓魚」という魚はですね、今度はおしっこの話なんですが(けっこうスカトロの話が多いな)この「弓魚」がするおしっこです。動物はみんなおしっこをしますが、「弓魚」は音の伝導率を非常に高めるおしっこをし始めるわけです。何のためかと言うと、他の「弓魚」と交信するために。おしっこの中に音の伝導高める物質を尿として排出すれば、非常に遠くの「弓魚」とか、たくさんの「弓魚」と一気にコミュニケーションができる。そちらに進化を振って自分の意思がメッセージが伝わる伝わりやすいようにに、海をおしっこで変えていくわけです。どんどん変えていくんですけれども、どんどん成分量が増えていくと、社会も発展していくんですが、そのためにとにかく音が伝わりやすくなってしまう。もうひそひそ話ができない。「あのね、今日ね」というだけで、それが海に伝播して、広がってしまう。そうすると内緒話すらできなくなってしまうんですね。全部聞こえてしまう。

その時にある魚が・・・何でしょうね、好きになってしまった魚ができた、でもいいです、別な魚に「好きです」と言おうとしても、全員に聞こえてしまい「お前はあいつが好きなんだ」とバレてしまう。周りに聞こえてしまうので、こらは困ったと。そこでどうしたかと言うと、この魚だけに伝えたいという思いがぐわっと高まり、あるとき自分の脊髄が「弓の軸」に、そして脳が「矢じり」に変化するんですね。そして思いを届けたい魚に向かってそのパンと発射する。すごく思いが詰まっているわけです、もともと脊髄と脳なので。はっと飛んで行ってがーっと刺さって、その人に思いが伝わる。しかしその思いが伝わった魚も死んでしまう。そういうこと弓魚じゅうがやり始めたために、この「弓魚」という魚は絶滅してしまう。

魚器図鑑の中に絶滅した「弓魚」の絵がありますが、みんな死んでしまう。僕が作るものには絶滅するものが非常に多いんですが・・・こういうこと思いついたんですね。これはメディアの比喩ですね。これ思いついたのが今から28年前なので、まだインターネット何てまだ全然ない時代でしたけれども、インターネットとが出始めて。ネットワークというのは広まれば広まるほど人間を近づけていくものだろう。それは音声だけではなくてゆくゆくは味とか匂いまで人々に簡単に伝えられるようになったら、便利ではあるけれど、みんなに伝わるということで、「ダイレクトにあの人に伝えたい」ということが希薄になっていて、フラストレーションが高まるんではないかと、ということを考えました。。

■暴力というコミュニケーション

その時に弓矢というものでコミュニケーションを伝えることは暴力なわけです。暴力によって自分の思いを伝えるというのは。暴力は一種のコミュニケーションだと思うんですが、人間はそれをずっとやってきているんですね。ちっちゃい子もそうですが、思いを伝える時に、言いたいことがあるけれども伝えられなくて、ガッと飛びかかってしまう。とかね。そういうことはよくあると思うんですが、

それは原始的な人間の衝動なんですけれども、すごく思ったのは、大阪の民族博物館(民博)に行った時。僕の話ははよく民博が出てくるんです。学生のとき、悩んでいる時に旅に出て民博に行ったんですが、やはり民泊というのは道具だらけなんですね。そこにはいろんな面白い道具があって。そこには、はり弓矢とかね、棍棒とかね、どの民族にも必ず武器というものがあります。ただそこで展示されている昔の武器というものは、顔が付いていたりとか、トゲがたくさん出ていたりとか、見るからに痛そうな姿をしています。「それで殴られたら痛いだろうな」とか「その神様の顔が描かれているもので殴られたら、呪われるだろうな」という武器が沢山あるわけでです。

それらは道具なんですが一方で神具でもあります。神具としての武器がそこにはあって、なるほどねと思いました。暴力というのはコミュニケーションで、武器というのはそのコミュニケーションの道具なんですが、昔はそういう暴力を振るう前に、「痛そう」であるとか「怖そうであるとか、そういう精神的な暴力コミュニケーションがあった。それで相手を「威嚇」するんですね。「威嚇」することによって本当に命に関わるような暴力まではいかない。そういう機能が昔の道具にはあったんだなぁと、なるほどと思いながら見ていたんです。

それは動物もそうですね。動物も武器としての爪とか牙とかすごくありますが、喧嘩する前には牙を見せて、犬もそうですが「威嚇」というのを必ずやる。本当の喧嘩になって殺し合いになるその前に、「威嚇」というのをやります。それと一緒で原始的な人間も、道具に「威嚇」の意味を込めて使っていたんだと思います。

その道具としての武器がどんどん進化していくと、弓になると威嚇ではないんですね。遠くにある獲物または敵を遠隔でやっつけることができるので、威嚇ではないんです。まだ棍棒ぐらいまでならば、ダイレクトに1対1でやり合えるんですけれども、飛び道具というものが登場すると、いきなりコミュニケーションが希薄になります。それが拳銃になって、大砲になって、僕らの時代になって核兵器になっていて、今だったらドローンですかね、相手が見えない距離感というものが出てきて、威嚇というものが通じない。低エネルギー低コストでどれだけ効率よく人を殺せるかという武器が登場してくる。そういう道具の出発点として、民博に行くと「そうではないもの」が見れて面白いんですが。そういうことを「弓魚」を作る時に思ったんですね。つまりダイレクトコミュニケーション。弓矢に思いをのせて相手を射抜くと言うことで絶滅するという魚の物語を思いついて書きました。

矢鴨もそうだし、今回のボウガンの事件もそうですが、これは僕の考え方ですけれども、明和電機も武器のようなものをたくさん作るので、でもやはりそれはコミュニケーションのものであって、もうちょっと本当の武器を使わずにダイレクトなコミュニケーションをする方法はなかったのかなー、ということを考えさせられますね。このあいだも銃で自殺してしまった中学生いましたけれども、威嚇ではないですけれども、プロセスを飛ばしてしまっていることに、につまらなさと言うか、「もっと工夫の仕方があるよ」ということを思ってしまいます。

■造形としくみ

「弓魚」を作って僕にとってエポックだったのは、芸術でありながら仕組みを持ってるということだったんです。これは例えばオタマトーンにもつながっていくんですが、オタマトーンもおたまじゃくしという造形物、ぬいぐるみるみのようなものなんですが、ちゃんと音が出る。メカニズムと造形というものが合体している、ということが面白くて作いるんですが、明和電機の製品はそういうものです。造形的にも面白いけれども必ずそこに仕組みというものを持たせると言う。そういうことで作っています。「弓魚」はその出発点となったものです。これとかも度々イメージで出てくるんですが、矢を自分に向かって飛ばす「弓魚」なので、自殺というやつですね。ナルシズムという。自分自身に向かって矢を放つ魚ですね。

これは「弓魚」を本当にリアルに書いたらどうなるかなーと言うテーマで描いた絵ですね。これは後々レース編みのようにして書いた「弓魚」ですね。これは。EDELWEISSシリーズというものに「魚器シリーズ」から移って行く時に・・・魚のシリーズから花シリーズになる時に、魚の象徴として描いたレースの「弓魚」です。こういうものも描いたりしました。

今日は「弓魚」という製品にまつわるお話をしました。繰り返しますが単なるイメージとしての造形作品を作るのではなく、「魚器シリーズ」につながる仕組みメカニズムを持った造形や芸術作品を作ると言うことにジャンプすると言うきっかけとなったものでした。おそらく僕は今後もずっとこのやり方でやって行くと思います。

来週はいよいよ「魚打棒」「弓魚」ときて「肺魚」。三種の神器の三つ目ですが、「肺魚」は今までの話とちょっと違うんですね。一言で言えば「シミュレーター」の話です。何に近いかと言うとゲームですね。神の視点から世界を操ると言うことにはまって生まれた製品の話を来週は策をまとめていきたいと思います。

 

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「弓魚完全資料集」
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