暇なときは自分を掘る

最近、自粛で家にこもることが多い。必然的に自分自身に向かう時間が増えるのだが、「これ、なんだか懐かしい時間だ」と、ふと思い出すのが、今から27年、まだ僕が大学生のころ。

いまでこそ自信たっぷりに明和電機ではしゃぎまわっているが、大学生のころは、そんな余裕はなかった。とくに大学院の1年生(23歳)のときなど「いったい自分はこれからどうなるんだ?」と謎だらけの日々だった。

とにかく小さいころから芸術家になりたい、という夢は変わらず美術大学の大学院まできたが、自分が何を作ったらいいのかわからない。行き詰まって、手も足も出ない。そのころの自分を「原人間」と呼んでいた。原始人ではなく、原人間。なにに成長するのまったくわからない原点の人間、という意味だ。

とりあえずなんかやらなきゃ。山口勝弘先生も授業で「スランプになっても、手を動かすことは止めるな」と言っていたし。

いろいろ悩んでいた中で、ふと気になったことがあった。自分は芸術家になりたい、とくに絵描きになりたいと思っているのだが、それは頭の中にあるイメージを外に絵として取り出すことだろう。では、そもそも、その「頭の中にあるイメージ」とは何なのか?

そこで気がついたのが、小さいころから「魚の悪夢」を見ることだった。奇形の魚がどんどん出てくる夢だが、この魚はなんなんだ。どこから来るのか?どんだけ頭の中にいるのか?

そこである日「よし、空想の魚を1000匹描いてみよう」と決めて、紙とペンを持って、夜のファミレスへ向かったのだった・・・

と、ここまでが、あちこちで話している「オタクギョタク」というスケッチ集の誕生秘話である。ここから実際に魚1000匹を描きあげ、それがきっかけで「魚器(NAKI)」というナンセンスマシーンを作りはじめ、それを世に出す方法として「明和電機」を思いついた。

とにかく、この魚1000匹を描く!ということをしなかったら、今の明和電機は生まれてなかったかもしれない、というぐらい、自分にとってエポックな作業だった。

では、なぜ、あのとき、魚1000匹が描けたのか。

理由は明白。

「暇」だったからである。

1000匹描くのに、半年かかった。そのあいだ、夜のファミレスにいっては、ちまちまと描いていた。それをやっても一円ももうからない。だけど、のちのちを考えれば、そのあと27年間も明和電機で食えてるのだから、やっといてよかった。

ここから学ぶ教訓がある。「暇なときは、自分を掘れ」

暇なときは、一般的には自分の外側にエンターテインメントを探しに行く。映画を見る、ネットを見る、本を読む、音楽を聞く・・・などなど、すでにあるエンタメを探す。これが普通。

でも、180度方向がちがう暇のつぶし方もある。それが「自分の中を掘る」である。僕の場合は、1000匹の絵を描いたが、それが小説を描くでも、映像を録るでも、音楽を作ってみるでも、なんでもいいから、外からの情報を「自粛」して、自分の中から何が出てくるのか、掘ってみる。

くりかえすが、僕はそれをやったおかげで、何十年も食えた。一見無駄なようだが、これはじっくりやっといたほうがいい。とくにクリエーションを仕事にしようとする人は、この自粛で暇なときにやっといたほうがいいと思います。

さて、そんな「オタクギョタク」をみんなもやってみよう!というワークショップをYOUTUBEのライブ配信で行います。

(上のイラストをクリックすると、YOUTUBEにジャンプします)

A4の紙とペンがあれば、誰でもできる発想法。お暇な方はぜひ見にきてください。

また、魚1000匹を描いた「オタクギョタク」(自費出版・2000円)も、明和電機のウェブショップで発売中。今なら、全種類ちがう社長による魚のイラストのサイン入りです。

>こちらから

 

 

 

 

 

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