ロケットと教会     メディア芸術総合センター 考察

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5年前、アメリカ国務省のインターナショナルビジタープログラム(IVP)に
選ばれ、アメリカ横断の旅をしたことがあります。

そのときの自分の中のテーマとして、「アメリカの生の宗教を感じたい」
というのがありました。

いろんな教会などを巡りましたが、、一番すさまじい宗教的体験をしたのは、
なんと、スミソニアン博物館の、「アポロ計画」の展示でした。

めちゃめちゃ恐ろしかったのです。

日本でいうと、なんだろなー。
恐山とかかな?
こちらと、あちらが、つながりかけてる感じの場所でした。

一番、震え上がったのは、宇宙空間から戻るための、
ちいさな帰還船を見たときでした。
それはそれは狭い空間に、体をねじまげて入って、
一人ぼっちで、宇宙から落ちてこなければならない。
死を覚悟で。

映画「ミッション」で、ロバートデニーロの神父が、
樽に入って、巨大な滝から落ちるシーンがありますが、
なるほど、月面探索も「ミッション」なんだと。

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すごく納得したことは、

アポロ計画とは、巨大な教会を宇宙に打ち上げ、
たった一つの棺を、地球に落とすことである。

ということでした。
そこにキリスト教の宗教観を、強烈に感じたのでした。

そしてそれを感じさせたのは、アメリカ人が作り上げた、
アポロ計画のための

ロケットや、宇宙服や、計算機や、スコップや、食べ物や
ノートや、タンクや、ケーブルや、鉛筆や、コンパス

といった「オブジェ」たちでした。

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さて、日本は八百万の国なので、アポロ計画のような、厳しいミッションは
ありません。

でも、もしですよ、
スミソニアンのアポロの展示なみに、国家が
マンガやアニメやゲームやフィギュアやオモチャや、
そんな、そんな、いろんな日本人が作り出した「オブジェ」を
壮大なスケールで展示したら、

かつて僕がスミソニアンで感じたような、「日本という国の宗教」
の強烈な体験をするのではないか?という気がするのです。

それはたぶん博物館の洗練されたモニター展示ではぜったいに
感じられない、

「あ・・・なんか・・・・わかりそう・・・あ・・・・これ・・これ!これこれ!!」

という、がーんとくる体験だと思うのです。

なんだろうなあ。

モノが、集大したときに、

その雑多なるものを通り越して

見えてくる世界というか・・・

 

今日は感覚的な話だなああ。
伝わったかなあ、このお話。

クリエーションが集まると、そういうオーラが

立ち上がってくる。

そんな場所に、メディア芸術総合センターがなると、

外国人はもちろん、日本人もお参りすると

思うんです、という話でした。

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歌う機械のエロスについて

メ芸センターの現世の話が続いたので、今日はちょっと本業の芸術の話。

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現在、21_21デザインサイトの骨展で、新作「WAHHA GOGO」を
出品しています。
これは、人工声帯で笑う機械なのですが、以前から人間のように声を出す
機械の開発を続けてきました。

その実験として2002年に、「SEAMOONS」という歌う機械を作りました。
女性型の歌う機械です。

なぜ女性なのか?

には、明確に答えられないのですが、機械論的な声の分析だけではすまない、
どこか呪術的で、甘美な体感が、声の装置を作るときに、いつも自分に
まとわりついてきます。

単純なことを言えば、人間の声帯は、おそろしく女性器に似ていて、
それが空気圧で振動するとき、まるで鳥が羽ばたくような
なまめかしい動きをします。

かつて、魚に喉を奪われる漁師の夢を見たことがあり、
ユング的な夢分析になってしまうのですが、性の化身である魚が
喉から奪われるというのは、なんだか去勢のような気もします。

作品制作の中心にいつもシンボリックなイメージを置くことは
僕の定石であり、手馴れたものなのですが、
いまだに声に関しては、パイルのひとつも打てていません。

で。

そろそろ本気で向き合うか、ということで、イベントを企画しました。

Maymamain

横浜のブリリアショートショートシアターで、声に関す製品の開発スケッチを
すべてたどりながら、朗読、楽器の演奏を行います。

多分、これは、怪談です。

いままでやったことがないタイプの実験的なイベントなので、
なにが見つかるかわかりませんが、
とりあえず必要要素だけを追いこんだ舞台で、
証拠のひとつでも見つかれば、と思います。

お暇な方はぜひいらしてください。

http://www.brillia-sst.jp/event/2009/07/-a4size-brainnovmichi-sketchbo.html

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「じゃぱんマン物語」  国立メディア芸術総合センター 考察

117億円は「高い」のか?「安い」のか?
自分でも理解するために、物語にしてみました。

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   題して、「じゃぱんマン物語」

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「やなせのぶみち」は、貧乏なクリエーターでした。
なぜか「じゃぱんマン」というキャラクターにとりつかれ、
誰にいわれるでもなく、せっせと「じゃぱんマン」の
マンガや、フィギュアや、主題曲を作って、暮らしておりました。

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ところがある日、この「じゃぱんマン」がネットで話題になり、
彼が作ったキャラクター商品が、ばんばん売れ始めたのです。
注文は、国内だけでなく、海外からもきました。
「やなせのぶみち」は、グッズ制作に大忙し!
うれしい悲鳴をあげました。

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預金通帳をひらくと、巨額の入金がありました

国内での売上・・・・・・1億5000万円
海外での売上・・・・・・1億1100万円

これには、「やなせのぶみち」も、面玉が飛び出るほど
驚きました。

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そこで、「やなせのぶみち」は考えました。
「さらに売上を伸ばすために、じゃぱんマンの資料とグッズを
 全部あつめた、”じゃぱんマン・センター”を作るのはどうか?
 ポケモンセンターみたいに!!」

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「やなせのぶみち」は、2億6100万円のなから、
117万円を使って、「じゃぱんマンセンター」を作りました。

めでたしめでたし。

さてさて。

この物語の「万円」の部分を、「億円」にしたのが、
今回のさわぎです。

文化庁から頂いた資料を見ると、漫画、アニメ、ゲーム、映画を
あわせた日本のコンテンツ産業の市場は、平成21年度で

国内・・・・1兆5032億円
海外・・・・1兆1139億円

合計・・・・2兆6171億円

のようです。

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日本のこの市場をさらに伸ばすために、(特に海外)
投資をする。そのひとつが、今回の「メディア芸術センター構想」
なのだといえます。

ちなみに、

JST(科学技術振興機構)が、「新技術創出研究」
つまり、新しい科学技術の開発のために
「研究費」として支出している予算が、597億円。

http://www.jst.go.jp/pr/intro/yosan.html

です。

597億円という額は、一見とてつもない額に見えますが、
この投資によってたくさんの特許が得られ、
それを産業化することで、膨大な売上がカムバックするので、
「日本商店」としては、たいした額ではないのです。

それを考えると、2兆6171億円という市場を作り出している「日本商店」が、
先行投資として、「ショールーム」のひとつも作ってないのは
どうかな?と思うのです。
だって、その市場からも、たっぷり税金が国にいってるのだから。

懸念することといえば、117億円で、みてくれだけがよくで、中身が
ガランドウのショールームができてしまうことですね。
その可能性は十分にあります。
だって、東京都現代美術館の建設費だけで415億円ですからね。
作品の購入費を除いてです。

できるだけ、建物の予算をおさえて、コンテンツ資料のアーカイブ、
研究施設、サロン、企画展示室などの「中身」の充実にかけたほうがいい。
秋葉のラジオセンターとか、建物はぼろくても、十分面白いし、
商売になってますから。

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わたしって、意外とキレイ? メディア芸術総合センター 考察

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大昔、自分の顔を見たいときは、甕(かめ)に水を張って、それをのぞいていました。

これが「水鏡」。

その後、青銅が発見されると、これをピカピカにみがいて「青銅鏡」ができた。

水鏡の時代は、なんとなーく自分の顔が見えるから、

そうそう気にしなかった顔のディテールが、

「青銅鏡」になったとったん、くっきり見えてしまった。

「わー!!こんな顔だったのか!自分!」

ということになった。

かくして、地球上に化粧品が誕生するのである。

日本人は、メディア芸術が世界で大ウケしているのを、意外と知らない。

政治家までが「マンガ喫茶」発言をしてしまうレベルである。

「文化の自己確認」ということでいえば、まだまだ

「水鏡レベル」

なのだろう。

しかし、世界を見ると、

「青銅鏡レベル」

なのである。

韓国も、中国も、フランスも、「うちのメディア芸術が世界一」という

自己確認を国民のみなさんに納得させるため、

巨額の予算を割いて、「青銅鏡」を作っている。

国が。

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さて。

機械では、「自分がどれだけ動いたか、自分に教える」

というシステムがあり、これを「フィードバック」という。

 

フィードバックシステムがあると、例えば車であれば、

ガソリンの噴出量を調整でき、とても燃費がよくなる。

 

なにが言いたいかというと

創造的社会において、

自らが作ったものを世界基準で確認できるシステムは、

機械における「フィードバック」と同様、

創造性の効率を上げるのである。

日本人は、世界的にみても、「文化レベル」は「超美人」なのである。

だから鏡を作って、自意識過剰になって、

さらなるモノ作りにはげんで欲しいと思うのである。

 

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ゴボ天モデル    国立メディア芸術総合センター 考察

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メディアアーティストってなんだっけ?ということを考えていて、

「ゴボ天モデル」

というのが浮かんだ。

まず、中心にあるのが「科学技術」。

ここから、写真やテレビやコンピューターといった、

新しい「メディア技術」が生まれます。

これがゴボ天でいう、「ごぼう」。

そしてそこから「メディアコンテンツ」が生まれ、大衆の中で

「ポップカルチャー」が生まれます。

マンガやアニメやゲームは、ここになります。

これがゴボ天でいう、「すり身」。

で。

メディアアーティストは、

「ごぼう」       を   モチーフにする人

「ごぼう+すり身」  を   モチーフにする人  

に分かれる。

工学系メディアアーティストは、「ごぼう」系が多い。

アート系、デザイン系メディアアーティストは、「ごぼう+すり身」系が多い。

「村上隆氏はメディアアーティストですか?」

という問いを、このモデルで考えると、

欧米現代美術の文脈で、アニメをモチーフにし、絵を描いた

画人としての彼は、「すり身」だけをモチーフにしているので、

メディアアーティストではない。

しかし、オモチャのような量産、CG、アニメーションに

チャレンジしている村上隆氏は、「ごぼう」もモチーフにしているので、

メディアアーティストといえる。

となる。

さて、

「ごぼう系」メディアアーティストを考えるとき、

欧米・・・ごぼうに対して、対立意識 (もしくは征服心)

日本・・・ごぼうに対して、同化意識 (もしくは遊び心)

があるように思う。

もし、僕が国立メディア芸術総合センターの展示スペースを設計するなら、

「同化意識」たっぷりの「ゴボ天モデル」にするだろう。

ごぼう = 技     WAZA

すり身 = 遊び心  ASOBI

というゴボ天です。

 

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花火と大砲    国立メディア総合センター <考察>

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江戸時代といえば鎖国と天下泰平。

日本人はその中で、戦争で生まれた「火薬」というテクノロジーで

大砲のような兵器を作るのではなく、

ひたすら「花火」を作るのに熱中しました。

どっかああああん!と爆発する火薬を見て、

「おお、きれいだなあ、、花みたいだなあ、、」

と感動するそのセンスがすごい。

そして、

「オレ、作るよ。空にでっかい花をね!」

と、その持てる技術とテクノロジと技を(=全部同じ意味か)

を総動員して、「花火」を作りました。

で。

結局どうなったかというと、黒船がアメリカからやってきて、

どっかああんと、大砲で攻撃されても、応戦できなかった。

だって、花火しかないから。

好きだなあ。この話。

でも、そのおかげで、現在は世界において日本の花火技術は

群を抜いています。

さて。

2009年の現在の日本に、新たに「火薬」があったら、

「大砲」を作るべきでしょうか?

「花火」を作るべきでしょうか?

これは、「ソフトパワー」の議論でさんざん言われていますが、

資源のない日本は、「花火」を作るべきなのです。

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その花火を作るには「遊び心 (ASOBI)」と、「 技術 (WAZA)」

が必要です。

この二つは、漫画、アニメ、ゲーム、メディアアート、

すべてに必要な要素です。

どんなに小さくてもいい。

国立メディア芸術センターという「花火」を

日本の真ん中に、ドーン!!と打ち上げることは、

今の日本を元気にするきっかけになると、

僕は思います。

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オレの考えた  国立メディア芸術総合センター

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本日二回目の設立準備委員会に行ってきました。

個人的には、松本零士氏の「漫画家とは”永遠の浪人である”」のお言葉に、

心の中で、号泣してしまいました。

クリエーターの覚悟。ですね。

さて、文化庁が「国立メディア芸術総合センター」に
ついて、広くみなさんからアイデアを募集しています。

http://www.bunka.go.jp/oshirase_other/2009/mediageijutsu_iken_boshu.html

そこで、明和電機のホームページでBBSで
「オレの考えた国立メディア芸術総合センター」
を募集してみました。
文化庁に提出するには、あまりにバカバカしい
(いや、そこに本質があったりするのだが)
ネタを募集。

以下、BBSから抜粋です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、文化庁が「国立メディア芸術総合センター」に
ついて、広くみなさんからアイデアを募集しています。

http://www.bunka.go.jp/oshirase_other/2009/mediageijutsu_iken_boshu.html

え?どういうこと?
もう「箱」も「内容」も決まってたんじゃないの?
と思われた方、多いでしょうね

いえいえ。ぜんぜんなんです。

「国立漫画喫茶」発言や、
文化庁の資料にあった「建築の仮イラスト」によって
みなさん、そうとう頭の中にイメージが
できあがってしまってましたね。
こわいですねー。
イメージって。

本日二回目の設立準備委員会に出席しましたが、
文化庁次官から
「名称すら変えてもOK!」
という発言がありましたから。

そこで!

「オレの考えたメディア芸術総合センター」

を、明和電機をよおおく知ってるみなさんから
募集します。この会議室で。

明和電機をよおおおく知ってるみなさんなら、
ふつうのアイデアはダメなのわかりますよね。

例のあれです。
ナ・ン・セ・ン・ス。

へたでもいいです。
建物の絵があるとうれしいです。
イメージに対抗するには、イメージですから。

とりあえず、ボクのアイデアを載せます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社長アイデアその1

施設名
「国立メディア芸術総合センター!!」

(びっくりマークをおしりに2つけるとこが味噌です。
 そんな公共の施設名、見たことないので)

建築イメージ
まずは王道、電光看板で表面を埋め尽くす。
建築は、低コストで住むし、外国人も大喜び。

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そもそもメディア芸術ってなに? 国立メディア総合センター <考察>

 

ひさしぶりに、ブログ復活!

本当はナンマシ展のみの特設ブログだったんですが・・・・

「メディア芸術総合センター」のことで議論があり、

ちょっと頭の整理に書いてみます。

とりあえず、まずは基礎ということで

「そもそも メディア芸術って何?」

ということを考えてみました。

 

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一般の方が「メディア芸術」っていう言葉を目にしはじめたのは、
1997年の文化庁が「メディア芸術祭」をはじめてからです。

しかし、それ以前に

「メディアアート」

っていう言葉がありました。

「メディア芸術」と「メディアアート」はちがうのです。

ややこしいですね。

それについて、僕の見解ですが、ご説明します。

 すべての芸術作品は、「イメージ+メディア」でできている

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芸術家が作品を作るとき、自分の頭の中にある「イメージ」を、

なんらかの物質に収めて作品を作ります。

画家であれば、イメージをキャンバスに。

彫刻家であれば、石や木に。

ざっくり言えば、こうしたキャンバスや石は「メディア」です。

芸術家のイメージを記録し、他のだれかに伝えるので。

だから「メディアアート」という言葉は、厳密に言えば、絵画も彫刻も入ります。
しかし現在は、そうした古来からある芸術を「メディアアート」とは呼びません。

なぜなら、現在のメディアアートは、20世紀以降の新しい機械技術によって生まれた


「ニューメディア」

を使ったアートのことを言うからです。

「メディアアート」は、だから本当は「ニューメディアアート」のことなんです。

「デジタルアート」「マシンアート」「ビデオアート」「コンピューターアート」「キネティックアート」
・・・呼び名は違いますが、これはすべて、20世紀以降に登場した写真や、
映画、テレビ、機械技術、コンピューターなどを、
かつてのキャンバスのように使って作った芸術。

だから、すべて「メディアアート」なんです。

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 マンガはメディアアート?

それでは、印刷技術を使ったマンガは、「メディアアート」でしょうか?

それはちょっと違うのです。

芸術家は、キャンバスに絵を描きますが、一方で、「キャンバスに絵を描くとは何か?」も考えます。

「ほんとうにキャンバスでいいのだろうか・・・・いけないんじゃないか・・・・
うーん、いけない気がしてきた・・・・・・絶対いけない・・・・・いけないにきまってる!!」

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とそこまで考えつめ、いきなりキャンバスに頭をつっこんだりします。

なぜそんなアホなことができるかというと、
芸術家にとっては、「メディア」そのものも

モチーフ

だからです。

そして穴の開いたキャンバスを「おもしろい!」と買う、

おかしな人々もいるのです。

だから食っていけます。

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ところがマンガ家は原稿用紙に頭を突っ込んで破ったりしません。
どんなに赤塚不二夫氏が、実験的であったとしても、原稿用紙は破りませんでした。
なぜなら穴の開いた原稿は、出版社は買ってくれないからです。

そしてもうひとつ大事なことは、
芸術家は一人のマニアックなコレクターが買ってくれれば生きていけますが、
マンガ家は、大衆が買ってくれないと生きていけません。

大衆に買ってもらうために、「コピー(複製)」をします。
それをたくさんの人に買ってもらうために「エンターテインメント」にします。

つまりマンガ家は、「アート」ではなく、

「メディア・エンターテインメント」を作っているのです。

このことは、映画やアニメやゲームにも共通することです。

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 「メディア・アート」と「メディア・エンターテインメント」の違い

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さて、ここまでの話をふまえて「メディア芸術」をもう一度みるとそこには

「メディア・アート」と「メディア・エンターテインメント」が二つの意味が

まざっていることがわかります。

このことが「メディア芸術」についての議論をややこしくしています。

西洋では、この二つの領域をきっぱり分けるようです。

余談ですが、明和電機が海外で公演をすると、ときどき

「お前がやりたいのは、アートなのか?それともエンターテインメントなのか?」

と言われるのです。
それには

「うーん、実は日本には、どっちつかずの“芸能”というジャンルがありまして・・・・
あなた方がアートだと思ってる歌舞伎も、本来はその“芸能”でして・・・・
実は僕、コメディアンの事務所、吉本興業に所属してるんです!!」

という流れになって、いつも相手をさらに混乱させてしまいます。

しかし、この「アート」と「エンターテインメント」が混在してしまっていることが、
実は、日本の特長だと思うのです。
というか、その区別すらないのです。

だから茶道や書道のように、日常生活がそのまま芸術に昇華できたり、
マンガやアニメが、単なる童話ではなく、崇高な思想を込めたものになるのです。

そして海外の人たちがそれを発見して驚くのです。

 メディア芸術という名前は・・・

さて、「メディア芸術」というあいまいな言葉は、そのなんともいえない日本人の特徴を
実によくあらわしていると思います。
カタカナと漢字。

英語に訳すと「 Media Arts 」と複数形にします。
ここから「アート」と「エンターテーメント」の混在というニュアンスをつかむのは、無理でしょう。

Brt

だからといって、英語でぴったりくることばあるわけではない。
その辺、僕も悩んで、

「日本にはA級のアートはなくて、みんなB級だから、ArtではなくてBrtでいいんじゃない?」

とも考えたことがありました。

とはいえ今回の「メディア芸術総合センター」の騒ぎのおかげで、
広く大衆が

「メディア芸術」

という言葉を見るようになりました。
いまさら変更しても、もったいないし、
このまま「メディア芸術」で言い切るのがいいんじゃないかな?
と僕は思います。

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