ミクロマン、赤ん坊に襲われる

クリスマスといえば子供はサンタクロースがオモチャを運んでくれているという「幻想」を持っています。大人になるプロセスで、それがばれてしまうのですが、僕の場合、その幻想が崩れる瞬間を模型屋さん「あけずみ」で体験しました。

ある日、あけずみにいくと、天井からぶらさがっている玩具に、見慣れないものがありました。それが「サイボーグ1号」。1972年にタカラから発売され、当時の子供たちを熱狂させた男の子向けの1/6サイズの人形玩具でした。すでにテレビCMや雑誌広告でその存在を知っていましたが、それがあけずみにやってきたのです。「ぎゃああ!」と思わずさけんでしまいました。

ところがこのサイボーグ一号、価格も高価で、おいそれと庶民が買えるものではありませんでした。当時幼稚園の年長だった僕は、兄ちゃんと「ほしいなあ・・」と指をくわえるしかありませんでした。(追記:兄ちゃんは入学祝いに買ってもらってたそうです)

そんなある日、いつものように安いプラモデルを買いにいくと、店の奥で、あけずみのおじさんと、とある夫婦が会話をしています。プラモを物色しながら聞き耳をたてると、衝撃の会話が耳の中にとびこんできました。
「こんどのクリスマスにね、うちの子に、このサイボーグ1号を、サンタクロースを装ったお父さんがプレゼントしようと思うんですよ」

・・・え?なんだって!?
「サンタクロースってファンタジーじゃなくて、お父さんなの?」でもって「サイボーグ1号を買ってもらえる家庭があるの?」。この会話から二つのショックをうけ、子供の夢を現実がうちくだいてしまいました。

当時、サイボーグ一号が買えず、指をくわえている少年が日本にはたくさんいましたが、タカラさんもその指の数には気がついていたようで、そんな彼らの心を満たす玩具を発売しました。それが1974年に発売された、サイボーグ1号をきゅっと小型にしたような1/18サイズの人形「ミクロマン」でした。価格も一体700円と、がんばれば買える値段でした。そのミクロマンもある時あけずみに置いてあり、「ぎゃあああ!」と叫び声をあげました。

テレビに頼らないオリジナルストーリーを展開し、なぜか七三わけのアダルトなヘアスタイルのこのオモチャは、価格もサイズも、子供にぴったりでした。ミクロマンの面白さは、なんといっても「アタッチメント」。小さな人形に、武器や乗り物といった「アタッチメント」を取り付けることで機能が拡張します。ジョイント部がよくできていて、好きなように組み合わせて、オリジナルのマシンを作ることもできました。

しかし、このミクロマンには悲しい思い出があります。(このブログ、悲しい話しかないな・・・)

兄ちゃんとこづかいを出しあって、そのころミクロマンを集めていました。きわめつけが「ミクロマン・タワー基地」。ミクロマンのための秘密基地ですが、「基地キチ」としては大興奮です。これがあれば、ミクロマンの世界の「ジオラマ」が作れる! 手に入れるやいなや、本来なら掛け軸とか生け花とか飾るための「床の間」をジオラマのための空間として占拠し、集めたミクロマンの世界を展示しました。これはもう「すばらしき世界を作った!」という、神の視点の喜びがあり、熱狂しました。

そんなある日、知り合いが赤ちゃんを連れて家にあそびにきました。ちょうど僕も兄ちゃんも外出していました。赤ちゃんにとって床の間にあるミクロマンのジオラマは、「すばらしき世界」でもなんでもありません。ただのオモチャです。赤ちゃんだから手加減なく、ミクロマンに噛みつき、つかんでは投げつかんでは投げ、暴れまくりました。人間にとって赤ちゃんはミクロマンですが、ミクロマンにとっては怪獣でした。

夕方になり、ただいまーと居間に入って床の間を見た兄ちゃんと僕は、青ざめました。そこにひっくりかえったタワー基地、と大切なジョイント部からぼっきりおれたマシンと、よだれまみれでぐったりと横たわるミクロマンたちがいました。

「だ、誰や!誰にやられたんやああ!」

とオレンジ色のボディの「ジョン」を助けおこして聞きいてみましたが返事しません。するとおばあちゃんがすっと現れ言いました。「おまはんらがおらんときに 赤ちゃんが来て あそんだんや」。

兄ちゃんと号泣です。「なんてことをするんやああ!なんでとめんかったんやああ!」。

相手が赤ちゃんだから、怒るに怒れず。とにかく大事なジョイント部が折れているので「アタッチメント」で遊ぶことができません。この事件があった日から、ミクロマンのコレクションに対する熱意はすっかりさめてしまいました。
しかし、このミクロマンは、もろに明和電機の製品に影響をあたえています。現在、僕はさまざまなナンセンスマシーンを作っていますが、その多くは、社長というキャラクターに、ナンセンスマシーンを「アタッチメント」することで機能が拡張します。これは人間の機械化ですが、ロボットのように機械の擬人化でもなく、サイボーグのように人間を機械化することでもなく、あくまで人間と機械が「アタッチメント」で結びつき、協力しあうことで、なにかの仕事をこなすという姿です。この機械と人間のあり方に、僕はとても共感するんですが、その元にはミクロマンの影響が大きいと思います。

 

ちなみにこれは「スーパーミクロマン」のですが、ボタンを押すとウィングが開くというギミックがあり、今見ると明和電機のパチモクにそっくりです。

小さいころの影響ってホントに大きいのだと思います。

<社長と模型 その1 プラモほしさに親の財布から100円盗む> 

<社長と模型 その2 プラモと出刃包丁>
<社長と模型 その3 マジンガーZを砂場で失くす>

 

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【おしらせ】

明和電機ナンセンスマシーン1/6モデル STORESにて受注中!!
>こちら

 

■明和電機ワンフェス報告会

ワンフェス2017に初参加した明和電機。イベントに向けて開発された「ナンセンスマシーン 1/6モデル」の開発秘話や、海洋堂とのコラボレーションアイテム「パラボラくん」の展開、そしてマルセル・デュシャンの「トランクの箱」から、GM(量産型ガンダム)までつながる社長のミニチュア模型にかける思いなどを明和電機のアトリエにて、たっぷり2時間お話します。

当日は、オリジナル製品と、その1/6モデルも展示します。
土曜日の夕方、お酒を飲みながら、みなさまどうぞお楽しみください。

◎とき 3月4日(土) 17:00~19:00

◎場所 明和電機 アトリ工

(東京都品川区荏原3-7-14 アルス武蔵小山1F)

◎定員 50名

◎チケット 1000円 (1ドリンク付き)

当日の11:00からアトリ工にて発売します。

※電協組合員の方は先行でSTORESにてご購入できます。

こちらから

◎お問い合わせ mail@maywadenki.com

 

■明和電機処分市

毎度好評をいただいています「明和電機処分市」を、同時開催します。製品開発のプロトタイプから、材料の端材、買ったはいいが使わない工具など、明和電機ならではのへんなものがたっぷり。

ぜひみなさま、お越しください。

◎とき 3月4日(土) 11:00~16:00

◎場所 明和電機 アトリ工

(東京都品川区荏原3-7-14 アルス武蔵小山1F)

入場無料

カテゴリー: 未分類

マジンガーZを砂場で失くす <社長と模型 その3>

「秘密基地」。この4文字を見るだけで、昭和世代の男子は、なぜかドタバタと心が踊り、居ても立ってもいられなくなります。この症状を「秘密基地キチガイ」、略して「基地キチ」と呼んでいます(僕は)。

僕に「基地キチ」の洗脳をほどこした出発点は、なんといっても「サンダーバード」。このイギリスの科学特撮人形ドラマが日本で放映されたのが1967年。この年に僕は生まれたのですが、再放送もなんどもあったので、それを見ました。子供なのでドラマのストーリーはよくわかりませんでしたが、科学的な考証にもとづいて作られたメカと、そのメカが格納された秘密基地からの発進シーンには心躍りました。

このサンダーバードの秘密基地は、南の島の地下にあって、プールが割れて中からロケットがとびだすのですが、直射日光がまぶしいハワイみたいなリア充な世界から、いきなりオタクなメカの世界が躍り出るギャップは衝撃で、子供たちを「基地キチ」の世界へと歩ませました。

その後、この「秘密基地」の設定はアニメにも影響をあたえ、マジンガーZも光子力研究所の地下に格納されており、出撃するときはプールが割れて飛び出しました。こどもながらに「水道代、たいへんやな」と思いました。

男の子にはどうやら、機械に囲まれるとテンションがあがる、という症状があるようです。「基地キチ」もそのひとつですが、その他に、飛行機や車の操縦席でテンションがあがる「コクピット・キチ」や、電子楽器に囲まれてうっとりする「シンセ・キチ」、パソコンや周辺機器にかこまれる「デジ・キチ」、最近では3Dプリンターやレーザーカッターにかこまれる「ファブ・キチ」など、いろんなタイプがあるようです。これはいわば「子宮にもどって包まれたい」という胎児的要求と、好きなマシンに囲まれたいという文明的欲求が合体した、人類ならではのキチ(ただし男子限定)ではないか?と思います。

さて、マジンガーZといえば、1972年、画期的なオモチャがバンダイから発売されました。それが「超合金マジンガーZ」です。それまでのプラモデルやオモチャはプラスチックなので、軽かったんですが、この超合金は「重い」という付加価値がついていました。つまり重力という地球を味方につけた商品でした。

これはもう欲しくて欲しくてたまらなかったのですが、いかんせん高価。「一生のおねがい。勉強がんばるから。みんな持ってるんだよね。」という無責任三重奏で親をくどき、なんとか買ってもらいました。

ずしりと重いその超合金を手ににぎりしめると、「基地キチ」の洗脳をうけているのでじっとしてられません。「砂場や!」と公園に直行しました。砂場の砂をかためて「光子力研究所」をつくり、砂場に穴をほって地下格納庫をつくってマジンガーZを埋め、そこからズキューンと飛び出す遊びをやりました。

しかし、ここで僕は大きな失態を犯してしまいます。「基地キチ」としては、「光子力研究所」の作り込みに熱心になってしまいました。そしてあろうことか、研究所を完成させたことに満足し、マジンガーを埋めたまま家に帰ってしまったのです。

家について、なにか忘れてるな・・・・と思い返し、「マジンガアアア!」と気づいてダッシュで日が暮れて暗くなった公園の砂場へ走りました。しかしそこには墓荒らしにあったピラミッドのような光子力研究所と、むざんにも掘り出された穴があるだけでした。おそらくどこかのクソガキが、「地面からお宝が出てきた!」と大喜びで鼻を垂らしながら持って帰ったのでしょう。

とっぷりと日がくれた砂場で、「マジンガアアア!」と砂をにぎりしめながら号泣しました。いつまでも、いつまでも・・・・

さて、それからやく35年後。

1995年に明和電機の初の楽器の展覧会「ツクバ展」が開催されることになりました。このメインビジュルを作ることになり、どうしよう?となりました。「ツクバ」とは架空の研究都市の設定だから・・と思ったとき、「秘密基地や!」とひらめきました。兄ちゃんも、ビジュアルデザイナーの中村さんも、ドンピシャ「基地キチ」世代なので、「そや!秘密基地や!」となりました。

ここからは「失われたマジンガーZ」へのリベンジです。光子力研究所をモチーフにした「明和電機 ツクバ研究所」のイメージを描き、筑波大学の学生さんの力を借りて、そのジオラマを作りました。また、明和電機の魚器シリーズである「魚立琴(なたてこと)」が、ロケットに似てるからということで格納基地も作りました。これはもう、大人の力をつかって子供時代の夢を再現する作業だったので、楽しい楽しい!

このジオラマ作りには、現在、人形コマ撮りアニメなどで活躍中の「パンタグラフ」の井上くんや、絵本で売れっ子のヨシタケシンスケくんも、当時は学生として参加していて、見事にイメージを再現してくれました。

 

2004年、バンダイが超合金シリーズの30周年を記念して、ラフォーレ原宿で「超合金EXPO2004」を開催することになり、そこで明和電機に参加のオファーがありました。すぐさま「“失われたマジンガーZ”のリベンジや!」と思い、「超合金・社長」を作ることにしました。僕が描いたイメージスケッチを、ここでもまた、井上くんとヨシタケくんが見事に超合金にしてくれました。

ウィングの開閉から、ロケットパンチ、オプションの「サバオ」まで、夢にまでみた超合金のエレメントを注ぎ込まれていました。ふたりの造形もすばらしく、また紹介映像も格納庫におさまる社長ロボのシーンから始まる「基地キチ」のツボをつきまくったものでした。

この展覧会場にはオモチャのコレクターで有名な北原 照久氏も訪れ、「超合金・社長」を見て「コレクションしたいなあ~」とおっしゃったそうです。でも「これは、あげられへん」と、かつての公園の砂場で号泣した僕は思いました。

小さい頃の不満が、どこで創造力につながるかわかりませんね。

過去記事
<社長と模型 その1 プラモほしさに親の財布から100円盗む> 
<社長と模型 その2 プラモと出刃包丁>

 

 

さて、そんな明和電機社長の、模型やミニチュアに対する熱い思いや、先日初参加した「ワンダーフェスティバル2017」の報告、そして1/6モデルの制作秘話を語るいイベントが開催されます!

 

 

ワンフェス2017に初参加した明和電機。イベントに向けて開発された「ナンセンスマシーン 1/6モデル」の開発秘話や、海洋堂とのコラボレーションアイテム「パラボラくん」の展開、そしてマルセル・デュシャンの「トランクの箱」から、GM(量産型ガンダム)までつながる社長のミニチュア模型にかける思いなどを明和電機のアトリエにて、たっぷり2時間お話します。

当日は、オリジナル製品と、その1/6モデルも展示します。
土曜日の夕方、お酒を飲みながら、みなさまどうぞお楽しみください。

◎とき 3月4日(土) 17:00~19:00

◎場所 明和電機 アトリ工

(東京都品川区荏原3-7-14 アルス武蔵小山1F)

◎定員 50名

◎チケット 1000円 (1ドリンク付き)

当日の11:00からアトリ工にて発売します。

※電協組合員の方は先行でSTORESにてご購入できます。

こちらから

◎お問い合わせ mail@maywadenki.com

 

 

毎度好評をいただいています「明和電機処分市」を、同時開催します。製品開発のプロトタイプから、材料の端材、買ったはいいが使わない工具など、明和電機ならではのへんなものがたっぷり。

ぜひみなさま、お越しください。

◎とき 3月4日(土) 11:00~16:00

◎場所 明和電機 アトリ工

(東京都品川区荏原3-7-14 アルス武蔵小山1F)

入場無料

 

 

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プラモと出刃包丁 <社長と模型 その2>

 

ワンダーフェスティバル2017、いよいよ来週末!

明和電機のアトリエも、追い込み作業で社長&工員さんの笑顔が消えはじめました。まにあうんかな・・・・・まにあわせな!

さて、そんな作業の合間にブログをちまちまと更新。社長のプラモやミニチュアに対する思いをお話する、第二話です。

第一話はこちら!

僕は昭和42年生まれ。一番最初の家の記憶は、幼稚園のときに住んでいた、赤穂市にあった工場&住居の家でした。

一階が工場で、父親の「明和電機」がそこで稼働していて、東芝の下請けで真空管のガラスなんかを切ってました。グラインダーがあったので、鉄の削れて焼けた匂いがしてました。作業してるおじさんやおばちゃんたちは、普通に工具や工作機なんかも使っていたので、「へええ、道具っておもしろいなあ・・」と小さいながらも思ってました。

工場には、油でよごれた部品を洗うためのシンナーの洗浄曹がありました。おおきな箱にたっぷりシンナーがはいっていて、独特のやばい香りがしてました。思春期だったら、ヤンキーのように吸っていたかもしれません。幼稚園児でよかった。

あるとき、そこに発泡スチロールを入れると「シュワシュワ~」をあっという間に溶けていくことを発見しました。

それがおもしろくて、梱包用の大きな発泡スチロールとかを見つけると、すぐさまシンナーの洗浄槽につっこみ、ガンガン溶かして遊んでました。なんだかウルトラマンで、倒された怪獣が溶けていくみたいで、おもしろかったのです。それを見つけた工場の工員さんに「なにしょんなら~っ!!」と怒られたなあ・・・。

幼稚園のときには、すでに、家の中に父親が買ったとおもわれるプラモデルがありました。覚えているのは、ゼンマイ歩行する「ガメラ」と、二式大型飛行艇のプラモ。

ガメラは歩行の安定が悪いので、父親が足に油粘土をつめて重心を下げてました。二式大型飛行艇は、もともと父親がその飛行艇を作った新明和工業(川西航空機)では働いていたので、買ったのだと思います。飛行艇の方は、作りかけがずっと箱の中にありました。子供ながらに、銃座や透明パーツの窓なんかをみながら、「こまけー!よくできてるー!」と関心してました。

さて、そんな幼稚園のとき、第一話でご紹介した近所のプラモ屋の「あけずみ」に、入り浸ってたわけですが、自分が買えるのは50円のガキ向けプラモだけでした。

あるとき、宇宙船のプラモを買ってきて、作ろうとしたら、プラモの周りにくっついている「ランナー」がやたら丈夫で、幼稚園児の力だと、なかなか本体からねじ切れません。

「これは、なんか他の方法をかんがえな、無理やな。」

と、幼稚園のちっさい脳味噌で考えた結論が、「道具をつかおう。」でした。一階が工場なので、ニッパーからドリルまで、なんでもあったんですが、さすがにおっちゃんたちの道具なので、勝手に使うのは気が引ける。

なんかないかな・・とあたりを見回すと、目の中に飛び込んできたのが、台所にあった「出刃包丁」でした。

「これや!これをつこうたら、一発で切れるわ!」

と、その出刃包丁を幼稚園児のちっこい手でつかみ、おもむろにプラモのランナーをがしがしと力まかせに切り始めました。客観的にその風景は、

「3秒後にはぜったいに指を切る、おさなご」

という、世のお母様方が貧血でぶったおれことまちがいなしの光景だったと思います。

案の上、3秒後には「スパン!」と左手の人差し指を出刃包丁で、ざっくりと切り、鮮血が吹き出したのでした。

ぎゃああああ!という絶叫に近い泣き声に、おばあちゃんが「どうしたんなら!」と飛んできました。そこには血まみれになった幼稚園児。

「なしたまあ!(赤穂弁で ”なんということだ” )」

とおばあちゃんもたまげましたが、さすが戦中派、すぐさま洗面所から洗面器をもってきて、したたりおちる血を洗面器で受け、ぐっと関節をおさえて止血し、赤チンと絆創膏で傷口をぐるぐる巻きにしました。(いま思えば、すぐに病院に行き、縫うはずですが、そこが戦中派)

「なんで出刃包丁やねん!あぶないやろが!」

と心配半分で怒られましたが、

「だって作りたかったんやもん・・」

アホな答えしかできまんでした。とぐじゅぐじゅに泣きながら。

 

あれから45年。いまではあらゆる工具や工作機械を指を切らずに操作できるようになりました。でも心のどこかにあのときに痛みや恐怖心が残っています。結構それが大事で、この恐怖心があるから、怪我をしないのだと思います。

左指の傷を見ながら、ときどき今でもそう思います。

 

 

 

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プラモほしさに親の財布から100円盗む <社長と模型 その1>

2月19日、明和電機がワンダーフェスティバルに出展します。

これを記念しまして、社長の”模型への思い”を、つづっていこうと思います。今回はその第一弾、幼少のときのプラモデルの思い出をご紹介します。

僕は小学校の6年生まで、兵庫県の赤穂市に住んでいました。城下町の小さな街でしたが、一軒、プラモデル屋さんがありました。名前が「あけずみ」。店の正面にはショーケースがあり、店長のおじさんが作ったと思われるプラモがならぶという、典型的な海洋堂インスパイヤ系の模型ショップでした。

幼稚園のときから、おこずかいをもらうと、そのプラモ屋に行き、当時は50円の小さなプラモデルをわくわくしながら買っていました。

お店には気難しい店長のおじさんの他にネコがいて、プラモの匂いと、ネコの匂いがまじった、独特の魅力的な香りが漂っていました。

おじさんはとにかく気難しい人で、長居している客がいると「買わないなら帰れ」と平気でいう人でした。しかし、プラモにかける情熱は熱く、あるとき兄ちゃんとタミヤのジオラマ談義になったときなど、小学生の僕らにタミヤの分厚いカタログをタダでくれることもありました。

さて。

小学校3年生のときのこと。一週間のおこずかいが210円と決まっていた当時、駄菓子屋でおかし屋を買って残った100円硬貨をにぎって「あけずみ」にいきました。店内を物色していると、何やらいままで見慣れないサイズのプラモの箱がありました。「なんだこりゃああ!すげえええ!」と、一発で心をわしずかみにされました。

それがこれです。

 

 

吉野正裕さんのページから引用

 

 

・・・ダサい!今見ると悶絶ダサい!

しかし、当時の僕にはこれがイカすロボットに見えたのでした。まず、プラモメーカー「青島」がオリジナルで生み出した、TVでは放映されていないキャラクターという珍しさ、かつ、合体ロボットなのに、一体が100円、つまり「頭」「胴体」「手」「足」の、4体の完全合体を全部そろえても、400円という安さに、衝撃を受けたのでした。

当時、コンバトラーVの超合金の合体ロボが、全部そろえると7000円以上していたので、これはもう、「値段のケタが、ひとつ少ないやんけ!」というほどの激安感だったのです。

100円しかもっていなかったので、おもわず、「頭のパーツ」を買って帰りました。そして、兄ちゃんに「すごかろう!これすごかろう!」と見せると、兄ちゃんも「すごい!すごい!」と興奮したのでした。

しかし。

頭のパーツだけあっても、やはり物足りません。ディアゴスティーニ・システムと同じく、どうしても全体をそろえたい欲望がガキの胸中にうずまきます。まんまと青島の商売にハマったわけですが、残念ながら、お小遣いは0円。

「・・・・・・これは・・もう・・・親の財布から100円しっけいするしかない。」

ここで小学3年生の僕は、生まれてはじめて「ねこばば」という悪の道に手を染めることを決意しました。でも、親の財布からそのまま盗んだら、すぐにバレてしまう。何かいい方法はないか・・と、小学3年生のしみったれた脳で考え出したのが、

「偶然100円を見つけた作戦」

でした。その手法は以下になります。

・・・・・

①台所の引き出しにある、親のがま口の財布から、100円をこっそり抜き出す。

②100円を本棚と床のすきまに隠す。

③兄ちゃんを呼ぶ。

④なんか自分でギャグを言って、笑い転げるて床に倒れる

⑤「あああ!床のすきまに100円があるよ!兄ちゃん!」と発見する。

⑥100円にぎって「あけずみ」へゴー

・・・・・

兄ちゃんを発見時の目撃者として巻き込むという、かなり呼息な作戦でしたが、見つけたときは兄ちゃんも「ほんまやああ!」とまじで驚いていたのでした。

さっそく「あけずみ」に走り、「胴体のパーツ」を買ってきて組み立てる。このキット、接着剤を使わない、現在のガンプラみたいなシステムだったので、組立もあっという間にできる。すると、今度は「手のパーツ」が欲しくなる。

そこで上記の①から⑥を、次は「テレビの下に100円を隠す」ことで行いました。2回だから兄ちゃんも「・・お、おお、また見つかったんか。」と首をかしげてました。

最終的には「足のパーツ」も欲しくなり、次は「机の下に100円を隠す」ことを行いました。つまり「偶然100円を見つけた作戦」を、3回繰り返しました。「あけずみ」のおじさんも、一日になんども買いにくる僕に「またきたんか」という顔をしていました。兄ちゃんも最後は「・・おまえ、ネコババしたやろう」という細い目で、僕をプラモ屋へと送り出したのでした。

親の財布から300円を盗んだことは、まず、おばあちゃんにバレました。夕飯の買い物をしにでかけたとき、財布のお金が減ってることに気がついたのです。そして家にもどると、部屋の中では、合体ロボットで楽しそうに遊ぶ僕。

「おまえか」

とおばあちゃんのまなざしがロックオンしました。すぐさま「のんちゅん(ぼくの幼少の呼び名)、ちょっとおいで」と、家の奥の、裏庭の入り口に呼び出されました。「おまはん、財布からお金とったやろ」と言われ、全身がピキーーン!と硬直しました。「偶然100円」が「必然100円」に変わった瞬間です。

「なんで盗ったんなら。ゆうてみ」

と言われ、

「・・・ほしかったんやもん」

とアホな回答しかできませんでした。結局そこから母親にも伝わり、あとでこっぴどく怒られました。

とにかく今見れば、ダサいとしか言いようがないプラモデルですが、オモチャには魔法があるようで、本当にそのときは欲しくて欲しくてしかたがなったのです。不思議ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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