社長にとっての理想的な「世界史のノート」と「地理のノート」は?

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「社長の考える、理想的な歴史のノートは?」と聞かれたら、「巻物でしょう!」と答えます。

イメージはこんな感じ。小学校の入学のときに、ものすごく丈夫で軽い巻物を先生から渡される。それに授業で教わったことを、年表としてに書いていく。当然、小学校でならう歴史は軽いから、年表もスカスカ。その巻物を使って、今度は中学校の歴史の授業を受ける。もう少し専門的だから、年表がちょっと詳しくなる。そして高校でも同じことをする。けっこう高校はくわしく習うから、年表も充実!

かくして、卒業のときには、自分が12年間かけて作った年表の巻物が手に入る・・・・・ほ、ほ、欲しい!いや、欲しかった!そんな巻物ノート。僕だけかもしれないが、自分の手垢にまみれたノートっていとしい。せっかく子供から青年期にかけて3回も繰り返し歴史を学ぶのなら、そんなノートが欲しかったな。

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「では、社長にとっての理想的な地理のノートは?」と聞かれたら、「巨大な一枚の白地図!」と答える。

そんな白地図、教室では広げられないから不便なんだけど、その制約がなかったとしたら、大きな白地図がいいなあ。小学校に入学したとき、先生から折りたたんだ巨大な白地図を渡される。そこに授業でならったことを書きこんでいく。できるだけイラストとか使って。そう、昔NHKでやってた「たんけんぼくのまち」でチョーさんが書いてた「たんけん地図」みたいに。あれ、そそるんだよなあ。

で、同じことを中学、高校でも繰り返す。すると卒業のときに、自分の思い入れがたっぷりでわかりやすい世界地図が手に入る。これも巻物同様、手垢まみれだから、大事にすると思う。欲しかった!

ときに工業製品は、人間の思考を規定する。現在、文房具屋さんで売られているノートは、紙の束を何十枚も重ねて閉じたもの。そこに「時間的」な勉強である歴史、そして「空間的」な勉強である世界史を閉じ込めようとすると、どうしてもズタズタに切られてしまう。各ページにランダムアクセスできるのは便利だけれど、一番大切な「ものごとの全体感」は、そのノートからは感じにくい。

ちょっと話がズレますが、カーナビを使い初めてから、道がまったく覚えられなくなった。拡大縮小で地図を見れるのは便利なんだけど、頭の中にかっちり固定された地図のイメージが描けない。むかし、マップルの印刷された地図を見ながらドライブしてたときは、しっかり頭の中に道のイメージがあったんけどなあ・・・。

だから、「Googleマップを、地理の授業で使うが、社長のイメージのノートに近いんじゃない?」と言われても、NO!です。それは、顕微鏡と望遠鏡を持って世界を眺めるようなもの。小さい世界も広い世界も見れるけど、のぞいたレンズの境界の外はまったく見えない。

ま、欲しければ自分で作れ、ということなんですけどね。今なら技術もあるし!

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