1/xサイズから、1/1サイズへ

高校から大学時代中学校2年生でガンプラの「GM」を作ってから、プラモデルや玩具などで遊ぶことはぴたりと止まってしまいました。そしてこのころから「将来自分は芸術家になりたい」という小さい頃からの夢を、現実的に考えるようになっていました。

それまでは変身サイボーグ1号の「1/6」サイズや、ミクロマンの「1/18」サイズ、田宮のミリタリーの「1/35」サイズ、ガンプラの「1/144」サイスなど、いろんな「1/x」サイズで遊んできました。しかし芸術家になるためには、「1/1 サイズの自分の物語」を作り上げなければなりません。そのため、アニメや玩具の世界の「1/x サイズの他者の物語」に費やす時間が減ってしまったのです。

最初に自己表現としてのめり込んだのは、意外にも「絵画」ではなく、「音楽」でした。中学はブラスバンド、高校はバンドとコンピューターミュージックにどっぷりはまりました。海洋堂の宮脇社長は、「色気づいてくると、模型やってた子らも、バンドとか“ モテ” の方へいってしまう」と嘆いていましたが、僕はモテたいという欲求よりも、打楽器のメカニズムや、コンピューターミュージックのプログラムという「1/1 サイズの機械」に触れるエンジニアとしての楽しさにはまりました。そしてオリジナルソングを作るという「物語つくり」の面白さからも音楽活動にはまりました。

「芸術家になりたい」という夢は持ち続けていたので、その後、筑波大学の芸術コースへ進学しました。専攻したのが「総合造形」という、テクノロジーアートと現代美術が混合したコースで、そこで生まれて初めて「1/1 サイズの機械」を自分の手でつくりはじめました。それまでアニメや特撮、オモチャなど、鑑賞者としてしか体験してこなかった「マシン」を、こんどはオリジナルとして自分が作るという行為は、とてもエキサイティングな体験でした。

 

最初に作ったのは大学3年生のときの自動人形(1988年)でしたが、ここで金属加工のほかに、エポキシ樹脂とシリコン型を使いました。ホビージャパンなどでは中学校のときから見てきた技術でしたが、それを本当にやることになりました。当時はアマゾンなどの通販サイトはないので、樹脂を手に入れるには、つくばから高速バスに乗って東京まで行き、渋谷の東急ハンズで購入するしかありませんでした。学生にとっては高価な素材だったので、ちびちびと使い、古いシリコンは細切れにして再利用したりしました。

 

大学3年のとき、大学に1億円近くするCGのコンピューターが入り、それを使って空想の動物などのモデリングをしました。当時は3Dプリンターなどなかったので、それを実際に手で樹脂モデルに起こしたりしました(1989年)。ちなみにそれを見た後輩に「土佐さん、これワンフェスに出せますね」と言われたのが、初めて” ワンフェス“ という言葉を知ったできことでした。

 

 

そして卒業制作では、1/1 サイズの、音楽にあわせて踊る妊婦のロボットを作りました(1989年)。ここでも樹脂成型を多用しました。「1/1 サイズの自分の物語」を探しつづけた大学4年間でしたが、この妊婦のロボットを作ったとき、スランプになってしまいました。自分の作りたいものとは違う、「ハリボテ」に見えてしまったからです。

「造形」とは形を作ることですが、僕はその形に必然性を求めました。たとえば弓矢の弓の形は、弾性エネルギーをためこむために、あの形以外にはありえません。そうした機能性のある形を、自分の中にいるエンジニアとしての自分が求めていたのですが、それまで樹脂成型で自分が作ってきたものは、素材感も形も、自分にとって表層的だったのです。

結果的には一年間のスランプを経て、僕は「機能性のある造形」を作ることにたどりつきます。それが魚をモチーフにしたナンセンスな道具「魚器シリーズ」でした。それは、ABS樹脂とアルミという限定された素材で作られた「1/1 サイズ」の道具たちでした。

かつてミクロマンで遊んでいたとき、おもしろかったのは、機械と人間が「アタッチメント」で合体する、という点でした。それはロボットのように機械が人間のように擬人化することではなく、またサイボーグのように人間の身体が機械化することでもなく、あくまで人間と機械は対峙しており、「アタッチメント」で合体することで、ひとつの機能として働く、という点に惹かれたのです。

魚器シリーズはすべて「道具」ですが、この「アタッチメント」の方法とまったく同じです。土佐信道という人間がいて、そこに魚器という道具が「アタッチメント」され、ひとつのパフォーマンスを行う。その芸術表現にとてもしっくりきたのです。

大学院のとき、この方法のパフォーマンスをはじめたのですが、そのとき問題だったのは、「自分はどういうキャラクターとしてパフォーマンスを行うべきか?」という問題でした。たとえばミクロマンであれば、「宇宙から来た小さな巨人、ミクロマン」という明確なスタイルがあります。このおかげで、光線銃をアタッチメントしても、バイクをアタッチメントしてもおかしくありません。

しかし当時の僕はただの大学生であり、自分のキャラクターを見つけることができていませんでした。そこで最初はタキシードを着てパフォーマンスをしていたのですが、タキシードから読み取れる物語は、「マジシャン」であり、どうしてもうさんくさいパフォーマンスになってしまいました。

 

「 1/1 サイズのマシンが登場する、自分の物語はなにか?」ということを日々悩み続けたある日、ピーン!と閃いたのが父親が経営していた会社「明和電機」でした。父親の明和電機は1979年に倒産しており、それがあまりにつらい記憶だったので、自分の中で封印していました。しかし、自分がすでに大人になり、かつ、父親世代が作った物語を超えていかねばならない、と思ったとき、「あの明和電機に向き合おう」と思ったのです。

これがきっかけとなり、ミクロマンでもガンダムでもない、「明和電機」という自分の物語を手に入れました。(つづく)

 

<社長と模型 その1 プラモほしさに100円盗む>
<社長と模型 その2 プラモと出刃包丁>
<社長と模型 その3 マジンガーZを砂場で失くす>
<社長と模型 その4 ミクロマン 赤ん坊に襲われる>
社長と模型 その5 田宮のジオラマ 土のうに感動>
<社長と模型 その6 ガンダムのGM>

【おしらせ】

明和電機ナンセンスマシーン1/6モデル STORESにて受注中!!
>こちら

 

■明和電機ワンフェス報告会

ワンフェス2017に初参加した明和電機。イベントに向けて開発された「ナンセンスマシーン 1/6モデル」の開発秘話や、海洋堂とのコラボレーションアイテム「パラボラくん」の展開、そしてマルセル・デュシャンの「トランクの箱」から、GM(量産型ガンダム)までつながる社長のミニチュア模型にかける思いなどを明和電機のアトリエにて、たっぷり2時間お話します。

当日は、オリジナル製品と、その1/6モデルも展示します。
土曜日の夕方、お酒を飲みながら、みなさまどうぞお楽しみください。

◎とき 3月4日(土) 17:00~19:00
◎場所 明和電機 アトリ工
(東京都品川区荏原3-7-14 アルス武蔵小山1F)
◎定員 50名
◎チケット 1000円 (1ドリンク付き)
当日の11:00からアトリ工にて発売します。

※電協組合員の方は先行でSTORESにてご購入できます。

こちらから

◎お問い合わせ mail@maywadenki.com

 

■明和電機処分市

毎度好評をいただいています「明和電機処分市」を、同時開催します。製品開発のプロトタイプから、材料の端材、買ったはいいが使わない工具など、明和電機ならではのへんなものがたっぷり。

ぜひみなさま、お越しください。

◎とき 3月4日(土) 11:00~16:00
◎場所 明和電機 アトリ工
(東京都品川区荏原3-7-14 アルス武蔵小山1F)
入場無料

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