UME日記 愛知

愛知公演は豊橋市にあります「穂の国とよはし芸術劇場PLAT」にて、ライブコンサートを行いました。いや〜、素晴らしい劇場でしたね。いろんな劇団の方々が公演をされている本格的な劇場で、今回はその小ホールで演奏させていただきました。チケットは完売!たくさんのお客様にご来場いただきました。

東京公演は全ての楽器が動かなくなってしまい、社長である私がアカペラとパントマイムで乗り切るという、恐ろしい公演となり、お客様に本当にご迷惑をおかけしました。その大反省から、「壊れない演出」「無理のない構成」を心がけ、以降の静岡、愛知と続いたツアーではまったく問題なく進行しております。

昨日のライブも、大きなトラブルはありませんでした。しまった!と思ったミスといえば「スシビート」の電池を入れ忘れたこと。たまたま前に座っていたお客様がスシビートを持っていて、電池を分けてくださり、乗り切れました。まるで「元気玉」みたいに「オラに電池をくれ!」という感じで助けていただきました。ありがとうございました!

さて、公演を行った豊橋市と言えば、明和電機も産学協同プロジェクトでコイビートや100VのMIDIコントローラーを作っている豊橋工科高等学校があるところ。今回はOBの皆さんがボランティアとして全面バックアップしてくれました。搬入・搬出、セッティングなどなど、お手伝いいただき、本当に助かりました!

さて、UMEツアーのまだ3日目の会場ですが、日々、忙しいです。

昨日の流れを振り返ると、7時に起きて8時に静岡のホテルを出発。運転は2時間ほど。道中、ホームセンターなどにも立ち寄ってから会場入り。到着は11時。そこから機材の積み下ろし、セッティング、音出し、PAチェックなどをひとりで行うので、それが終わると大体14時。少し遅めのお昼を食べて、15時くらいからは現地のスタッフさんと照明の「きっかけ」の打ち合わせ。その合間にも修理や微調整もあるので、気がつけばもう17時です。そこから開演準備して、18時半にはライブがスタート。

ライブは20時半に終演し、そのまま公開撤収開始。22時完全撤収がルールなので、1時間半で全部ばらさなければなりません。PA機材もすべて私ひとりでやっております。もう無理やり詰め込んで、10時前にギリギリでラパンに積み込み、ホテルに着いたのは22時半ごろ。

夕食は、18時半から19時の間に食べられたらいいんですが、逃したので、そこから夕食。食べ終わるころにはもう0時近く。次の日は6時起きなので、なかなかハードスケジュールです。

むかし、宇宙ステーションの宇宙飛行士は、日々のタスクでめっちゃ忙しい、ということを聞いたことがあります。また船が難破して小さなボートで漂流している人も、ボートの修理や、魚を捕まえたり、水を確保したり、方角を調べたりとめっちゃ忙しい、という本を読んだことがある。

どちらにも共通しているのは、そうしたタスクをこなさないと「死ぬ」ということ。
道具の整備、ねじ一方の閉め忘れで、おしまい。この緊張感、今はなんだかすごくわかる。
僕も整備不良があると、ライブができなくなる、という「おしまい」がある。(実際に東京公演はおしまいになってしまった・・・)

なので、日々、生きてるって感じです。たしかにコンサートのことを「ライブ=生きる」と呼んでのもそういうことなのかな?と深く納得するこのごろです。

UME日記 静岡

いよいよUMEツアーの初日。場所は静岡のアクトシティ浜松 研修交流センター 音楽工房ホール。楽器博物館と同じ建物です。

東京公演はまったく楽器が動かず、全編パントマイムで行うという悪夢のようなライブでしたが、問題点を解決したので東京公演とはうってかわって、テキパキ動く機械たち。ああ、これを東京でもやりたかった・・・

今日からのUMEツアーは、がちでひとり搬入&組み立て。会場についてまずはラパンにぎっしり積んだ荷物の積み降ろし。荷物は

楽器のケース       2個

バックアップ楽器のケース  1個

メンテ工具&PAのケース  1個

スピーカー&スタンド  2台

モニタースピーカー   1台

です。ケースはそれぞれ30kgほど。それが4つあるので、120kg。なかなかの重量です。下手したら積み降ろしで腰を「グギ!」とやられる。

積み込みの練習をしてきてわかったコツは、「自分の体重の利用」と「テコの支点を見つける」です。あとは自分の身体も重要なの動力源なので、ツアーにむけてスクワットはやってきました。

ツアー終わる頃にはUME筋肉がついてるのだろうか・・

#UMEツアー2025

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UME日記 <東京公演>

まさかの大失敗である。いや、スーパー大失敗である。

UMEツアー初日の東京公演。電動楽器を動かす制御系が故障し、まったく動かなくなってしまった。そのため、演目の全編を、社長のアカペラの歌と、楽器が動いているフリのパントマイムで乗り切る、という事態になった。今回のツアーの予測で、「全編まった楽器が動かない」という、明和電機ライブでもこれまでに一度もなかった最悪のパターンも想定していたが、まさかのっけからそれが起きてしまった。

初めて明和電機を見たお客さまは、「なんだこれは。何を見せられてるんだ」とご立腹されたことと思います。また、この日のライブのために準備をされてきたお客様にも満足がいくライブをご覧いただけない結果になってしまいました。本当に申し訳ありませんでした。

明和電機の楽器は、これまで本番で何度も故障してきました。機械は動くことにより壊れていく存在なので、本質的に僕は機械の楽器を信用しておらず、また、一人ツアーなので、UMEツアーにむけて1年がかりで壊れにくい楽器の開発と、もしもの故障でもすぐに対応できるよう、同じ楽器と制御系をバックアップとしてステージの横に待機させてました。こうした体制のおかげで、本番前までの数々のリハーサルでは故障はありませんでした。よし、いける!と自信を持っていたのです。この過信が今回の結果となってしました。

イベントの第一部の事業報告ショーでは、経理のヲノさん、会長も登場し、感動イ・パクサさんとのコラボで「YMCA」を演奏、そして最後の明和電機社歌。ここでもUMEコースの楽器たちはまったく問題なく動いていました。

そして休憩を挟んで第二部は、前半松コース、後半に梅コースという内容。緞帳があき、会長とのコイビートとパチモクの演奏があり、さあ、いくぞと一曲目「イカリを揚げよう」の演奏データのスイッチを押したところ・・・え?まったく反応しない。

楽器は壊れていないので、真っ先に疑ったのが、楽器とPCの間にあるMIDIインターフェース。実は本番直前のリハでMIDIインターフェースが不具合が起きて対応したので、こいつか!と思い、すぐにバックアップのMIDIインターフェースに交換する必要があるが、それにはPCのデータを変える必要がある。

これは時間がかかる。ここはお兄ちゃんにお願いするしかない。「すんません!トークよろしくお願いします!」と、youtubeの生配信みたいな感じでつないでもらい、その間にデータの修正作業。チラリと舞台袖を見ると、イスに座っているパクサさんのクールな細い目がさらに細くなり、「大丈夫なのか?」という感じでこちらをみている。うわあああ。申しわけありません。

インターフェースを交換し、スイッチをオン!と入れたところ、イカリ揚げようのデータが無事に走った。よかった!と安心しました。

ここから前半の松コースの演目に。

27年振りのイ・パクサさんとの「俺は宇宙のファンタジー」で胸が熱くなり、会長の「君はエプロン僕はパンタロン」で涙し、「地球のプレゼント」で会場が一体となり、緞帳降りて大演壇で前半の松コースが終了して後半の梅コースへ。

しかしここまでですでに40分のロスタイム。後半の梅コースの演目を大幅に削らないといけない。緞帳の前で会長とつなぎのトークの間に梅コースのステージに転換。

「さあいよいよツアー初日の演奏だ。」

緞帳が開き、ひとりパチモクを背負って真っ暗のステージの中央へ。PCのスタートボタン押せば、仕込んでおいたライトが僕の姿を照らす・・・と思いきや、あれ?まただ。まったく反応しない。停電が起きた会場みたいになっている。

「まじか・・」と真っ暗闇の中、頭の中が真っ白になった。とにかくこの状況はまずい。会長の小粋なトークもない。そこでステージ後方の照明スタッフさんに「あ、明かりをお願いします」とマイクで伝えた。すると、なんと会場にいたお客さまが「明和電球(ペンライトの電球型)」をつぎつぎにつけていただき、会場がぱあーと明るくなった。なんてみなさん優しいんだろう!本当にありがとうございます!と心の中で号泣でした。

再びPCを確認し、ソフトを再起動してもやっぱりMIDIインターフェースを読み込まない。MIDIインターフェース自体はランプがついているので故障していない。

「(あ、そうか、USBハブの故障か・・おそらくまちがいない)」

と、ここでやっとすべての原因に気づきました。盲点でした。楽器やインターフェースやソフトウェアはこれまで故障が起きていたので万全のバックアップなどの体制でのぞんでいたが、まさかのUSBハブとは。これまで故障したことがないから、認識に入っていなかった。

ハブを交換をしていたら、もう本編の時間がなくなってしまう。それに交換をしても動く保証はない。目の前のたくさんのみなさんのまなざしがある。貴重な時間なのに故障修理を延々と見せるわけにはいかない。みなさんが見にきているのはライブだ。

「動く楽器はあきらめよう。完成した絵画ではなく、デッサンみたいに、今回のUMEコースの内容を伝えよう」

と心にきめました。

そのあとは、動かない楽器たちを使って、アカペラとパントマイムで、UMEツアーをやるという事態になってしまいました。ご来場いただいた皆様、本当に申し訳ありませんでした。

救いは、イ・パクサさんとのコラボでは奇跡的に楽器が動いていたことです。楽しいステージをできて本当に良かったです。

明日は静岡公演。夕方には東京を出発するので、それまでに制御系のバックアップ体制もつくって、ラパンに積んで行きます。

<浜松へ続く>

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ひとりでなんとかする 梅コース

明和電機のライブは、その規模によって「松・竹・梅」の3つのコースがある。梅コースがもっとも小さいサイズで、「社長ひとりが持ち運びできる楽器で、ライブをする」というもの。

梅コース、たとえるならば「敵国にひとりでひそかに侵入し、ミッションを遂行して、帰国する」という、ミッションインポッシブルみたいなものです。とにかく「ひとりでなんとかする」というコース。

「松」とか「竹」などの他のコースは、工員さんや出演者も多いので、なんとなく「バンド感覚」であり、ミスがあってもみんなでカバーできるが、この「梅コース」だけは、ミス(機材故障など)があれば、即、「死」になる。なので、とて緊張するし、サバイバル感もあって、トム・クルーズの気持ちがよくわかる。

ただ、この緊張感はけっこう好きで、最小の機材で知恵をしぼって30分ステージをもたせるというのは、ミニマルで、明和電機のステージの原点みたいものを感じるので、演奏していて面白い。根がドMなのだと思う。

先日、この「梅コース」を静岡でのイベント「ストレンジシード2021」で行った。そのときこれまでやったことがないパフォーマンスをしたのだが、それが「梅コースの公開組み立て」だった。梅コースの機材はすべてひとつのスーツケースに入る。それをステージに持ち込み、10分以内で組み上げて音を出す、というもの。

梅コースの機材を説明すると上図のようになる。ドラムにあたる「スーツケース音源」、キーボードにあたる「ピアメカ」、そしてベースにあたる「PC」。このPCからはベースの音が出てます。これで3ピースのバンドになってます。

ちょっとマニアックになりますが、MIDIまわりを説明すると、音はあえてダサい「Microsoft GS Wavetable SW Synth」のベースをつかってます。往年の打ち込み野郎にはおなじみGM音源の流れを組むアレです。そしてこのPCは同時に「MIDI信号」も出してますが使っているシーケンサーソフトは、AppleⅡの時代からある「Master Tracks Pro」という古いやつ。とにかくサウンドデータはつかわずMIDI信号だけ出せればいいので、古いシーケンサーソフトでOK。(逆に最近のシーケンサーソフトは機能増えすぎて困る)。

いちおうPCは落としても壊れないLet’s note。ほんとにこのPCは丈夫で、ステージ作業でばかすか落下してきましたが、ちゃんと動きます。これ、ほんと現場では大事。マックだと無理。このPCからUSBで「MOTU」のMIDIインターフェースに入り、それが「MADI」と呼んでるMIDI信号を100Vに変換するインターフェースにはいってソレノイドを動かし、音を出します。この「MADI」はもう28年も使っていますが、壊れません。むかし松任谷由実のステージの照明コントロール用につくったものらしく(製造会社はすでに倒産)、ほんと丈夫。昔の電子機器はデジタル化されてないからでしょうね。ちなみにピアメカに入っているには、モジュラーシンセでおなじみDOEPFER のMIDIコンバーターです。

「梅コース」の組み立て手順は、まず電動楽器を組み立てし、そのあと「MIDI」の配線と、「電源」の接続と、最後に「マイク」のセットを行う。これを10分以内におこなうために、今回は機材のセッティングを見直して、配線の単純化や、機材のセットが簡単になるような道具を作りました。

静岡のイベントでは、一回目のライブはPCトラブルがあって12分くらいかかったが、2回目は9分30秒にだったのでガッツポース。このセッティング作業、もっと練習して無駄のない動きになっていくと、「茶道」みたいになるのかな?と思いました。あと、「10分以内に組み立てる」という、どうでもいい時間の制約があるだけで必死になっている自分に対し、「なるほど、これのすごいのオリンピックか」と思いました。

ちなみにイベントの当日の静岡は、竜巻も発生するほどの強風で、ステージの楽器も倒れるため、工員さん二人がステージでそれをささえてましたので、一人ではなかったです。自然の前では、どうにもなりませんね。

 

 

 

錆をとるべきか、否か。

展覧会にむけた準備で、むかし作ったプチプチをいっきに潰す装置「プチプチパンチ」をひさしぶりに箱からだして驚いた。錆まくりである。アルミのボディなので、鉄ほどひどくはないが、それでもあちこち白く粉をふいたようになっている。

自然現象だからあたりまえなのだが、毎回、この「錆」には驚いてしまう。なぜなら自分の頭の中にはいつも作ったときのピカピカの状態のイメージがあり、それは錆ないからだ。とくに明和電機の製品は「機械」でもあるので、その機構や設計図のイメージも頭の中にある。それはまったく劣化しない。しかし、目の前にある物体はそれとはちがって古くなっている。このギャップに驚くのである。

たとえばむかしの自分のCDを聞いたり、本を読んだりしても、「うーん。90年代ぽいな」という古さは感じるが、あくまでのそれは今に時代に対しての古さであり、相対的である。音も文字もデータなので、それ自体は古くならない。しかし、金属で作った製品が錆びるというには、作ったときからどんどん変容していき、最後は朽ちる、という絶対的なものだ。

最近、ロシアから輸入したソビエト軍の懐中電灯を輸入したものを磨き、修理し、塗装して明和電機式で売っているが、これも輸入したときは「錆まくり」である。でも磨いていくのが楽しく、ピカピカになると達成感がある。「きれいになったね」というマイ・フェア・レディな気持ちになる。

では、同様に「プチプチパンチ」も磨いてしまえばよいではないか?となるのだが、そこではたと研磨剤をにぎった手が止まる。「この錆は、時間が作ったものだ。そこには明和電機の歴史がある。これをふきとってよいのか?それは古い仏像の侘び寂びな顔に、新しい絵の具で色を塗るのと同じではないのか?」と。

もし、「プチプチパンチ」を、いまだに明和電機のライブステージでつかっていたならば、躊躇なく磨くだろう。なんなら新しい部品をつけたり、配線をやりなおしたりと、ヤンキーがバイクをいじくるように改造しまくると思う。しかし、今の「プチプチパンチ」は、展覧会でしか御開帳しない歴史的資料となっている。

うーん。どうしたもんか。いまのところ、まだ磨かずにいる。気持ちの整理がつくまでは、そのままにしておこう。

 

 

 

 

 

 

HAKOシリーズ?

最近は、夏からの展覧会に向けて、梱包方法を徹底的にやりなおしている。
コロナの影響で、海外の展覧会は設営に明和電機チームが渡航できない可能性が高く、とにかく現地でのセットアップが簡単にすむようにする必要があり、そのためのには「製品を取り出す、設置する、そして片付ける」という梱包方法がとても重要になる。

ということで、日々、箱を設計する時間が多いのだが、ふと「あれ?最近、箱をよくつくってるなー」と思った。

SUSHI BEST、文庫楽器、電動ノックマンなどの小さい製品から、明和電機秋葉原展、ラジオスーパーなどの大きな空間、それから、梅コースのスーツケース、ELT3,などのパフォーマンス機材まで、とにかく「箱と、その中の世界」に関する作業がやたら多い。

美術では、ジョゼフ・コーネルやトム・サックスなど「箱」が重要な造形要素になってる作家は多いが、それともちがう。とにかく「きっちりおなじサイズに、ぴっちり収まっている」ということに、このところずっとこだわってるいる気がする。デフラグ感がたまらない。

魚器シリーズにしろ、EDELWEISSシリーズ、ボイスメカニクスシリーズにしろ、それが「シリーズ」となったのは、製品を手当たりしだいに作っていたあと、分類作業においてであり、作っていた当初は、「なんだかわからんが、気になるから作ってみる」ということをひたすらやっていた。

その「なんだかわからんが、気になるから作ってみる」が、最近ではどうも「箱」なのである。これはやがて「HAKOシリーズ」になるのだろうか?・・・・うーん、なんだかちがうな。いや、でも、気にはなる。

この傾向がいつごろから出てきたかな、と振り返ると、母の仏壇をベッドから作ったあたりからだ。そういえば棺桶も箱だよな・・・などと思うが、なんだかそれも因縁すぎて受け入れがたい。だけど、この傾向があることはたしかだし・・・。

結果は作りつづけたあとにわかるのだと思うので、とりあえずは「なんだかわからんが、気になるから作ってみる」を続けようと思います。

 

 

 

愛三電機さんとLANでつながりました

11月16日、ツイッターをながめていた僕は、不思議な画像に目が止まりました。それがこちら。

LANケーブルである。だけど短い!しかもキーホルダーになっている。「なんだこれは!かわいい!」と目が釘付けになりました。

LANケーブルは普通は長い。屋内を取り回すのだから当然だ。明和電機のアトリエにも、使わないのに10m、20mクラスのLANケーブルの束がたくさんある。

LANケーブルはその両端にインとアウトの口があり、その間に長い長い電線がある。インとアウトを見ようとしたらグルグル巻にするしかないが、ツイッターのLANケーブルには、その間をいさぎよくスパン!と切り離していた。インとアウトが直結。なんかすごく痛快だった。

誰が作ったのかなと見ると、「愛三電機」さんである。「あ!坂口電熱さんと並んでるお店だ!」と、僕もアキバ歴34年なので当然知っている。明和電機で使うテーブルタップも買ったことがある。がちのまじめなケーブル関係のお店である。いったい愛三電機さんになにが起きたのか?

明和電機も秋葉原にお店があり、「ラジオスーパー」という、ちまたの面白い電気・電子工作をしてるかたの販売ショップも併設している。ぜひこのLANケーブルキーホルダーを売って欲しい!と思い、ツイッターを通して「コラボレーションしましょう!」と、愛三電機の「中の人」に連絡をとりました。

さて。工業部品をそのまま芸術作品の素材にする歴史はながい。それまで神や王を描いていた芸術家は、近代になると人間そのものを描くようになり、20世紀になると、その人間が作ったもの、工業製品を芸術のモチーフとするようになった。

とりわけマルセル・デュシャンが、工業製品そのものを美術館において「これも、芸術じゃない?」ということをはじめてからは、大変なことになった。いわゆる「レディ・メイド」という手法である。これにより、日々世界中の工場の中で膨大な種類と量が生産されている工業製品たちが芸術になりえるとなり、ドドッとそれらが大洪水のように芸術の世界になだれこんできた。この混乱は、21世紀になった今も続いている。

 Dan Flavin : Another+

工場で作れられた電気部品そのものを「レディ・メイド」として芸術作品化するというのは、ダン・フレヴィンが蛍光灯そのものを彫刻のように使ったり、田中敦子が電球で服を作ったりと、現代美術の世界ではよく見かける。

明和電機も1994年に「コイビート」という製品を作った。これは松下電器(パナソニック)の100Vスイッチを64個ならべて鯉のぼりに見えるアナログシーケンサーを作ったものだが、ここにも「レディメイド」の手法が流れている。

明和電機 on Twitter: "ちまたのハンディファンがどれもファンシーすぎるので、明和電機仕様のごっついのを作ってみた。アルミダイキャストボディ。LED付き(電池食うけどビジュアル的に)。… "

最近、秋葉原にお店を出すようになって秋葉原に通うことが増えたので、当然、電気部品のお店を見てまわることも増え、おもしろし部品を発見することも増えた。今年の8月には、ラジオデパートの中の桜屋電機さんで、エフェクターを収めるシャーシを見て「ちまたのハンディファンはぜんぶファンシーすぎる!これでハンディファン作ったらおもしろい」と、業務用のようなごっついハンディな扇風機を作った。

明和電機 on Twitter: "おまたせしました!「つまみマグネット」、ネットで発売を開始しました。みなさんで計器回復しましょう! https://t.co/OY4WTSoRHc… "

また、同じく桜屋電機さんにあった計器のツマミを見て「かつてのメーターなどについた計器類が、どんどん世の中から消えいる。これで、ひっつけたらなんでも計器に見えるマグネットを作ったらおもしい!」とヒラメき、計器回復グッズ「つまみマグネット」を作った。(現在こちらで販売中!)

これらを作っていたおもしろかったのは、まるでお寿司屋さんのように、秋葉原という市場で魚(部品)を買って、アトリエでさばいて(量産して)、いきのいい状態で寿し屋(秋葉原のショップ)で売ったことである。これは「マスプロ(マス・プロダクション)」の一種ではあるが、オタマトーンのように何万個を中国で時間をかけて作って全世界で売るのとはちがう、「マイプロ(マイクロ・プロダクション)」だった。

こうした体験があったので、愛三電機さんの「LANケーブルキーホルダー」も、それとおなじ「マイプロ」だ!と思い、なにやら秋葉原で同志に出会ったようでうれしくなったのである。

11月24日、はじめて愛三電機のLANケーブルキーホルダーを作った「中の人」とラジオスーパーでお会いした。実物を見せてもらうと、本当によくできている。なんと「TOKYO AISAN AKIHABA」という印字を見せるために、長いケーブルの一部分しか使っていない。マグロでいえば「大トロ」である。さらにLANケーブル販売店として「短いケーブルは両端で信号の混乱がおきるので通常は使わないんですが、一応こちらは導通チェックもしています。」ということでした。

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部品に囲まれ、大はしゃぎする社長

二回目の打ち合わせは愛三電機さんの店舗で行うことになり、店内を案内してもらったのだが、これが楽しい。愛三電機さんはなんと今年で73周年。電気部品がたんまりあるのだが、地下がさらに濃厚で、明和電機がコイビートで使った100Vのスイッチはもちろん、三相の部品、海外の配線部品などもある。明和電機がお世話になった鳥居電器さんの電材もそろっていて、なにやら子供のころに通ったプラモデル屋さんを思い出してしまった。

愛三電機の「中の人」も、この電気部品に対する愛情がかなりのもので、「このスイッチたちがあまりにかわいいので、ランキングを作って発表しました」このスイッチを入れる音がサイコー」「ケーブル用のパイプで万華鏡が作りたい」など、独特の”電設の宇宙”の世界が広がっていました。

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画像店内の商品をいろいろご紹介していただいたとき、LANケーブルのカラフルな部品たちが目にとまった。ケーブル配線はもともと色で識別しやすいように、カラフルな仕様になっている。それらがまるでレゴブロックのようで、魅力的。「これで、なんか作れるかもです。持って帰ってもいいですか?」ということでサンプルをいただいた。

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アトリエに帰って、そうした部品たちを眺めました。LANのモジュラージャックは、愛三電機さんの「LANモジュラージャック」と、とうぜん合体する。その合体したアトリエで見ていたとき、「あれ?これって象じゃない」とぴきーん!。さっそくアクリル板を切って足のパーツを作って合体させ、目を描いたら・・・

なんとキュートな象ができた!僕の好きな画家のマックス・エルンストが、トウモロコシの貯蔵タンクを象に見立てた絵を描いてるが、そんな感じでモジュラージャックとLANケーブルがそのまま象になった。

 

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そしてもうひとつ。愛三電機の「中の人」が、LANケーブルカバーを指にはめて「この圧迫感がサイコーです」と”電設の宇宙”をくりひろげられているのを見たとき、「あれ、これって帽子みたいだな」と気になっていた。

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指に顔を描いてかぶせてみたら、もうこれは帽子にしか見えない。これはいける!

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さっそくアトリエで帽子をかぶるキャラクターをプラスチックをカットし、LANケーブルカバーをかぶせたら・・・・これまたキュートなキャラクターができた。名前はストレートにMr.LAN、と命名した。

まるでお寿司屋さんみたいに、愛三電機さんで仕入れた素材で、パンパンとできたので、さっそく愛三電機さんの「中の人」に写真を送ったところ、「かわいいです!これは爆誕ですね!」ということで”電設の宇宙”の仲間入りをすることができました。

「中の人」にいろいろお話を聞いていると、華道をずっとやっています、ということでした。そこで僕の中でいろいろなことが腑に落ちました。長いLANケーブルをばっさりと切ってお店に並べたあのセンスは、華道だったのかも、と。たしかにLANケーブルの屋内配線も、長いケーブルを要所のあわせて切っていき配置するので、華道にも似ているかもしれません。

ということで、このたび愛三電機さんと明和電機のコラボレーションアイテムを販売することになりました。メイドイン秋葉原のこちらの商品、どうぞよろしくお願いします!

【販売店舗】
愛三電機 秋葉原店
明和電機 秋葉原店

【ネット販売】

明和電機STORES・・・・・https://maywadenki.stores.jp/
愛三電機ネットショップ・・・・AISAN eショップ

明和電機 ナンセンスファクトリー

明和電機の新しい展開、明和電機ナンセンスファクトリーについてご説明します。

 

■「ナンセンスマシーン展」から「ナンセンスファクトリー」へ

明和電機はこれまで、国内外でたくさんの「ナンセンスマシーン展」を開催してきました。(国内10箇所、海外12箇所)。この展覧会は、明和電機がこれまで開発してきたユニークな機械「ナンセンスマシーン」を一同に展示する展覧会でした。

どんな創作活動のプロセスにも「考える」「作る」「見せる」という段階があります。街のケーキ屋さんからハリウッド超大作映画まで、創作活動にはざっくりとこの3つの段階があります。

ナンセンスマシーン展は、美術館で開催される展覧会なので、この三つのめの「見せる」という段階でした。「見せる」にはナンセンスマシーンを美術館の空間に展示する、という以外に、明和電機では「ライブパフォーマンスを行う」「商品を売る」ということも含みました。

この「見せる」ことがあるおかげで、お客様からの感想や批評があり、そして入場料収入や商品を売る収入があります。そうした意見や資金が次の制作の糧(かて)となり、ふたたび「考える」「作る」「見せる」というサイクルを回すことができます。

「明和電機ナンセンスファクトリー」は、この明和電機の3つの段階すべてをお客様にもっと近づけようというプロジェクトです。「考える」「作る」という段階を公開し、さらに「見せる」だけでなく「タッチ&プレイ(さわって操作する)」してもらおうというものです。

■「考える」の公開

僕はすべてのナンセンスマシーンの開発の出発点として、まずA4サイズのスケッチを描きます。明和電機の工場(アトリエ)で描くことはほとんどなく、午前中のゆったりした時間の中、ちかくのカフェ(ドトールが多い)で描きます。それはいわば紙とペンによる「アイデアの釣り」のような作業です。

明和電機ナンセンスファクトリーでは、このスケッチ作業を公開します。会場内にある「ARTBAY CAFE」では、明和電機とコラボのオリジナルドリンクが登場します。「アイデアが浮かぶオリジナルブレンド」のコーヒーを飲みながら、毎日11:00-12:00の1時間、社長のスケッチ作業を見ることができます。

■「作る」の公開

「明和電機ナンセンスファクトリー」では、明和電機のナンセンスマシーンの製造プロセスを公開します。普段は東京・品川にある「明和電機荏原工場」でもくもくと続けている開発・量産作業を、お台場に出張します。毎日12:00-18:00、明和電機社長がまるでそば屋がそばを打ってるように、そのプロセスを公開します。15:00から30分は休憩(おやつタイム)です。

公開制作する製品はふたつ、「サバオ」と「弓魚」です。サバオは1995年、早稲田にあったギャラリーNWハウスで公開制作&販売したことがあり40体作りました。じつに25年ぶりの公開制作です。

弓魚は、今回のナンセンスファクトリーに向けて新しく開発しました。魚の形をした弓ですが、頭部にひし形の「銃爪(ひきがね)」がついています。ここに外部から矢が刺さると、自らの矢を発射します。矢には糸がついていて、その飛翔の経路が視覚化されます。

この製品開発のインスピレーションとなったのが、新型コロナウイルスの影響で社会に起きた「ウイルス(物体)の感染」と「情報の感染」のズレでした。弓魚には「ダイレクトなコミュニケーションを求めて絶滅した魚の物語」があり、そのイメージがあコロナ期の世の中にダブりました。

■「見せる」から「タッチ&プレイ」へ

「明和電機ナンセンスファクトリー」では、サウンドガーデンという、明和電機のユニークな楽器たちを展示した中庭が登場します。これまでの展示会では、明和電機がナンセンスマシーンの動かすことを観客に見せることが主でしたが、今回は来場者が明和電機の装置をスイッチなどを押して操作できるようになっています。

■新型コロナウイルス対策

「考える」「作る」「見せる」という3つの段階で新しい試みをする「明和電機ナンセンスファクトリーですが、ここで新型コロナウイルスへの対応をどうするか?という問題があります。それに対しては場面ごとに「ディスタンス(距離)」を設定することで対応します。

●「考える」のディスタンス
スケッチは、閉鎖した作業はカフェ内で行い、来場者はガラス越しに作業を見学します。(観客とクリエーターの間のディスタンス)

●「作る」のディスタンス
公開制作は、会場内にあるガラス張りの部屋「多目的室」の中にで行い、来場者はガラス越しに作業を見学します。(観客とクリエーターの間のディスタンス)

●「見せる」のディスタンス
来場者は受付にて「指サック」をうけとります。これを装着してサウンドガーデンの装置のスイッチを押すことで、直接感染をふせぎます(観客と作品の間のディスタンス)

会場内の最大鑑賞人数を約20人とし、人数が多い場合は「整理券」を配布して時間制での鑑賞とすることで、過密状態を避けます(観客と観客との間のディスタンス)

 

明和電機の初となる試み「明和電機ナンセンスファクトリー」へのご来場をお待ちしています。