次のオタマトーンは何色?

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オタマトーン。いろんな人から「白と黒以外の色は、出さないんですか?」と聞かれます。出したいですわ。出したいんですが、そこは大量生産のシビアな世界。しくじった色を出すと、売れなくて大変なことになります。

過去にも「魚コード」のカラーバリエーションで、「時代は黒!ぜったい黒い魚コードを出したらいけますよ!」ということで生産したところ、まったく時代は黒ではなく、苦労だった・・・というニガい経験があるのです。

そればっかりはぜひとも避けたい!なんかいい方法はないか???、ということで、登場です。

「ツイッタ~」 (ドラえもんの声で)

ツイッターで、「みなさん、オタマトーンの色、次は何色がいいですか?」と質問をつぶやくと、4時間で500名ほどの方から返信がきました。すごい!!なんて便利な市場調査。これを街頭でやってたら、時間もかかるし、コストも半端なかったでしょう・・・・ありがというございます!返信をくださったみなさま!

で、結果が出ました。アンケートの一番は、

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ピーーーーンク!

圧倒的にピンクでした。2位が水色。これは明和電機のテーマカラー、ということもあるのでしょう。一番と二番が、「ピンクと水色」というのは、なんだか「人生ゲームの駒」みたいでかわいいですね。

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3位が、ゴールド(金)。これはやっぱり、金管楽器のイメージなのでしょう。そして4位がスケルトン(透明)。これはメカ好きにはたまらないですね。オタマトーンの中の仕組みがよくわかる。

意外だったのが、5位の「赤」。なんでしょう、情熱のオタマトーン?

そして6位のシルバー、これもやっぱり管楽器のイメージでしょうか?そして7位の黄緑。これはたぶんカエルの子供だからでしょう。さわやかに春らしいですしね。

その他にも「水玉(8名)」「木目(8名)」「寅柄(阪神?)5名」などの柄モノも多かったです。なるほどー。

これを参考にして、時期オタマトーンの計画を練ってみたいと思います!!


 

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兄ちゃんがお送りする「ロボガッキ」



明和電機会長・土佐正道が、ゆるうううく、たのしいいく、ロボット楽器を作る。どんなロボットかは、上のYOUTUBEをごらんください

今週の日曜日には、トレッサ横浜店にあるタミヤのお店でこのロボガッキのワークショップも行うようです、。定員にかぎりがあるので、ご興味がある人は、お早目に!!

それにしても、兄ちゃん、指きれいやな。

ロボガッキ 明和電機と作ろう!
開催地:タミヤ プラモデルファクトリー トレッサ横浜店
トレッサ横浜
アクセスMAP

・講師:明和電機会長 土佐正道
・開催日程:2010年3月28日(日)
昼の部(13:00~15:00)定員10名
夜の部(17:00~19:00)定員10名
・対象年齢:10歳以上(カッターなどを使用
するため)
・参加費:4,500円(材料費込み)
・申込:事前申込制・店頭にて受付
・問い合わせ:タミヤ
プラモデルファクトリー トレッサ横浜店 045-534-2406
・プログラムの詳細: http://www.tamiya-plamodelfactory.com/program.html

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明和電機 新工員募集 ~ 工員に求める六つの条件

明和電機の活動は工員さんで支えられています。このたび、その工員さんを新しく募集するのですが、僕が工員さんに求める六つの条件を、書いてみました。

①健康であること。

明和電機の製品は、重いです。ほんとうに重いです。まずは、それを上げ下げできる、「根性」と「腰」が必要です。

②創意工夫ができること

明和電機は日々、新しい製品開発やプロモーションを行っています。「これだけの仕事をすればいい」という状況は皆無です。なので、常に「どうすればより良くなるか?」という創意工夫が求められます。

③機械加工の技術を持っていること

明和電機が作っているものは「機械」です。そして、しょっちゅう壊れます。だから技術スタッフには、「機械を作る、そして治す技術」が求めれらます。機械に対する”勘”が必要です。

④さまざまなジャンルへの知的好奇心があること

明和電機はアートから音楽、映画、お笑い、教育と、あらゆるジャンルで仕事をしています。また、インターネットなどの新しいプロモーションツールの使用や、海外との英語でのやり取りなどの場面も多く、マネージメントスタッフは、それらに対応する「技術」と「知的好奇心」が必要です。

⑤舞台度胸があること

明和電機はライブ活動を行います。工員さんは、舞台に立ち、ダンスを踊ります。それも奇妙なダンスです。かなりの恥ずかしさです(慣れると快感になりますが)。それに耐えうる舞台度胸が必要です。自尊心の高すぎる人はつらいでしょう。

⑥おもしろいこと。

これは、単に僕が「よこにおもしろい人がいたらいいなあ・・・」という気持ちです。結構僕は、工員さんから影響を受けてしまうのです。

以上です。

明和電機という船は大型船ではなく、少数先鋭のヨットみたいな船です。それをみんなで動かして、「ナンセンス・マシーン」という獲物を捕まえ、世界中に見せびらかしに行ってます。

あらゆる職場がそうだと思いますが、楽しいことを現実化するためには、たくさんの大変な仕事があります。

それでもやってみたい!という方、ぜひぜひご応募ください!

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【技術スタッフ】

  • ■募集人員 1名
  • ■条件 35歳までの男子で、以下の業務内容についての実務経験をお持ちの方。
  • ■業務内容
    • 機械製品、アート作品の開発、制作
    • ライブ、展覧会に関する制作
      (簡単な楽器経験があれば尚良し)
    • 金属、プラスチックなどの機械加工
      (フライス盤、旋盤等)、及び電子回路配線に関する作業
    • Illustrator、Photoshop、CAD、Rhinoceros、
      CAM等のソフトウェアを使った作業

【マネジメントスタッフ】

  • ■募集人員 1名
  • ■条件 35歳までの男女。(日常会話程度の英語ができれば尚良し)
  • ■業務内容
    • 明和電機の広報、プロモーション、マネジメントに
      関する作業
    • Word、Excel、Illustrator、Photoshop等の
      ソフトウェアを使った作業
    • 簡単なウェブ管理作業
  • ○募集期間
    2010年3月23日(火)〜4月2日(金)消印有効
  • ○応募に関して
     履歴書と、自己アピール資料を、下記住所に送付してください。
    なお、資料は返却できませんので、履歴書以外は必ずコピーをお送り
    ください。
    書類選考の上、選考通過者のみ後日面接日をご連絡いたします。
  • ○書類送付先
     東京都品川区荏原3−7−14アルス武蔵小山1F
    明和電機アトリ工 宛
  • ○お問合わせ
    • メールにてお問合わせください。
    • mail@maywadenki.com
    • ※メールタイトルは「明和電機工員募集」としてください。
  • ○勤務・給与の条件等については、技術力等を考慮した上でご相談させていただきます。
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「つぶやきシネマ #movie140 」 の誕生秘話

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ツイッターで「映画を140文字内に圧縮」する!!という僕の発言が、飛び火してえらいことになってます。そもそもこアイデアの出発点は、昨日のふとんの中。ツイッター中毒のみなさんと同じく、「寝起きの一服」ならぬ、「寝起きのツイッター」を見てて、ふと

「もし、星新一が生きてたら、ツイッターで小説を書いてたな・・・」

と思った。ショートショートの神様だからね。やらないわけがない。そこでまてよ?と。SFをショートショートで書けるんなら、ちまたのSF映画も、ショートショートになるんじゃない?映画を140文字に圧縮してみようと思い、選んだのが、今話題のアバター。で、つぶやきました。

「そぼくな青組」を「いじわるな白組」が攻撃。みかねた「やさしい
白組」が「そぼくな青組」と組んで、「いじわるな白組」に反撃。勝利。<映画:アバター>

お!これは面白い!で続けざまに、

地球に侵略するが風邪ひいて全滅。<映画:宇宙戦争>

神が、人類に知恵を与え、道具ができ、しくじって道具に殺られる。木星辺りで。そして胎児になる。<映画:2001年宇宙の旅>

とつぶやいた。これを見ていた、明和電機もお世話になってて、映画にくわしい作曲家のヲノサトルさんからも

@wonosatoru:
ばくだんをばくはつしないようにするおしごとのおじさんは、まいにちばくだんにさわってるうちにやみつきになり、おしごとがおわってもおうちにかえらずつ
づけることにしました。たぶんそのうちしっぱいしてしぬ。<映画:ハートロッカー>

と返信が。ぎゃははは、さすが!面白い!そして続いて、坂本美雨さんからも、

@miusakamoto:
おおきな船が、氷にぶつかって、しずむ。<映画:タイタニック> 

と返信が。女性なのに、恋愛の部分をばっさり切ってるとこに、美雨さんの「男気」を感じました。そして、一般のみなさんからも、どんどん返信が返ってくる。中でも僕が感動したのは、コレ。

@fukutake555:
天才児が悪い奴に騙されて悪の親玉になるも、息子に殴られて会心して、息子と一緒に悪い奴をやっつける。<映画:スターウォーズ>

そうだったのか!!やっとスターウォーズの話の筋がわかりました!!あの長編映画を、一気に圧縮。感動すら覚えた。このつぶやきを20年前に読んでれば、混乱しなかったのに・・・そこからは、もう、名作がバンバン返信されてきまいた。

@mi2good
撃って刺して助ける<映画:ランボー>

@ktdysk
ただいま。おかえり。いってきます。<映画:男はつらいよシリーズ>

@kumichocopine
大統領が無茶して地球を救い、最後はアメリカ万歳。〈映画:インデペンデンスデイ〉

@gtlmn_loser:
止まれない。<映画:スピード> 

もー、みなさん、天才だと思いました。ゲラゲラ笑いながら、返信を読んでたんですが、あまりに数が多くなってきたので、これはまずいぞ、と。映画ネタ以外の大切な返信が、大量のつぶやきに交じって読めない。そこで、生まれて初めて、「ハッシュタグ」を作ってみようと思いました。

朝のシャワーをあびながら、何がいいかなあ、わかりやすいのがいいなあ、英語でも通じるのがいいなあ、と考えてつけたのが#movie140。で、そっこう登録。

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したらば、くるわ、くるわ、面白つぶやきが。読んでると、映画を見てなくても、映画館に行った気になれる。いそがしい現代人にぴったりではないか!!

で、そこからはウナギ登りに投稿数が増えて3月21日の夜9時の現在、投稿数「909」、ハッシュタグの人気ランキング、全国5位!!すっげえええええ!!まだまだ増えてるし!

もうね、思いましたよ。

これはすでに僕の手を離れたメディアだと。どんどん膨張してください、と。

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考えてみれば、「映画をツイッターで圧縮する」というのは、とても日本語に向いているんですね。たとえば、「スピード」という映画を圧縮した、gtmn_loser さんの、

@gtlmn_loser:
止まれない。<映画:スピード> 

これ。これがなんで面白いかというと、4文字の”スピード”を6文字で表現してるからなんですね。これを英語でやると、「can not stop」と、文字間もあわえて12文字になる。なんと日本語の倍の長さ。これじゃ簡潔な面白さがない!くどい!

日本語は、英語に比べるとウェブ世界では不利な言語ですが、ことツイッターに関しては、日本語の方がはるかに意味の圧縮率が高い。漢字やカタカナも利用できますしね。

「つぶやきシネマ」。

これは面白い遊びができたな、と思います。

みなさんもお試しください!! ハッシュタグは、

#movie140
 

上映中!!

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アートをマスプロダクト化するためには?

明和電機は、「アートを大量生産する」という試みを続けています。これを自分で「マスプロ芸術」と呼んでいます。

主にオモチャ会社のキューブさんと一緒に商品の開発をしているんですが、今日、打ち合わせで、「どうして明和電機みたいな、アートをマスプロ化するアーティストが、もっと出てこないんだろう・・・」という話になりました。

少数のアートの量産ということでは、リトグラフ版画やブロンズ像のような方法で、芸術家は複製された芸術をむかしから作ってきました。しかし、20世紀に登場した工業技術によるマスプロダクトを利用して、大衆相手に商品を作った芸術家は、数が少ないのです。僕がぱっと思いつくのも、日本だと岡本太郎が東レと組んで作った「鯉のぼり」ぐらいです。

どうしてかな?と思ってることに、キューブのH氏が答えてくれました。

「芸術家のアートピースを複製して、オモチャとして大量生産しても、難解な芸術がミニチュアになっただけなので、大衆にとってはわけがわからない。それだと売れない。売れるものを作るには、芸術家さんも、大衆を相手にした大量生産というフィールドでもう一度、初めから創作できる人じゃないと難しい。でもそれは芸術家にとって、一番大事な”こだわり”を捨てなければいけない場合がある。多くの芸術家はそれができない。すると、ああ、それだったら、企業と組むのではなくて、芸術家として、一人でやってください、ということになる。」

なるほどー。

では、僕の場合、大量生産を作るとき、芸術家としてのこだわりを捨てているか?というと、まったくそんなことはない。オモチャというのは、興味深い世界で、「おもしろいかどうか」というのがすべての基準になっている。それはときに芸術家以上にアバンギャルドな部分があったりする。さらに、量産技術、消費者の目に耐えうるよう、ものすごく吟味したカタチや設計にしなかればならない。コストも考えて。

ひとことでいえば、芸術作品を作るより、はるかにシビアで、アバンギャルドな面がある。だから、こだわりを捨てるのではなく、「あなたのこだわりの本質はなんですか?それはオモチャに落とし込めるほど、強いものですか?」を逆に問われる。これが面白いし、やりがいがあるのだ。

これはもしかしたら、芸術というよりは、「工芸」に近いかもしれない。明和電機のオモチャは、電気やプラスチックを使ってるから今風だけど、その制作プロセスは、民芸や工芸にちかい、とてもクラッシクな作業じゃないかな?と僕は思うときがある。

自分の芸術をオモチャにおとしこんで、大量生産・流通させたい!!と思ってるみなさん。ぜひぜひ、自分の作品を研ぎ澄まし、純粋な「おもしろエッセンス」にして、オモチャ業界の門をたたいてみてください。いつでも、オモチャメーカーは、「おもしろエッセンス」を待っていますよ!

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ガラスをはさんだ二つの世界

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最近、タッチ式モニターのデジタル機器が増えてきた。あっちこっちでみなさん画面を触っている。それでふと思い出したのが「イン ビトロ(IN VITRO)」という言葉。

これは「ガラスの中」という意味で、さまざまな科学実験はガラスの向こうで行わることの例えです。化学実験だったら、フラスコや試験管というガラスの中で行います。生物のミクロな世界を観察するときは、顕微鏡のレンズというガラスの向こうを観察します。宇宙だったら、望遠鏡のガラスの向こうを観察。そして、コンピューターシュミレーションだったら、モニターというガラスの向こうを観察します。みーんな、「イン ビトロ」なんですねl。

僕が一番好きな「イン ビトロ」な実験は、中世の錬金術師が行っていた「ホムンクルス」という、ガラス瓶の中で人造人間を作る実験。もちろん、そんなものは作れないんですが、小学校のときにその実験を魔法図鑑で読んで、強烈な印象を受けた。

かつて僕は「魚器(なき)シリーズ」で、自分とは何か?というテーマで製品開発をしていましたが、その根底には、ホムンクルスに通じる、「僕は、僕という人間を作ってみたい」という欲求があります。

自分が自分を作るというのは、100%自分というしくみを理解しなければなりません。でも、そんなこと、無理ですよね。自分がすべてわかるなんてことはありえない。

だからどうするか?というと、僕も、錬金術師も、科学も、「すべて」ではなく「部分」ならばわかるだろう、ということで、ガラスの向こう側に、「限定された世界」を作るわけです。そしてそれをまるで神のような視点から観察することで、「限定された世界での答え」を見つける。

タッチ式モニターの進歩は、まるでコンピューターの中と、現実世界の境界が、いつかなくなってしまうのでは?という錯覚をおこしますが、コンピューターそのものが人間が作り出した、限定された世界なので、ガラスの境界は、けっして無くなりません。

ガラスは、どこまでも薄くなりますが、けっして触れ合うことがない。それはさみしいけど、完全なる断絶の両側で、創造主と創造物が、お互い冷たいガラスに向かってキスをしてるみたいで、ちょっとロマンチックだなあ・・・と僕は思います。

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35年前の電子レンジ

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親戚の家に、「35年前の電子レンジ」があって、まだまだ現役で動いている。35年前といえば、今年43歳になる僕が、8歳。ひょえー。

現在の電子レンジとはもちろん見た目が違う。たとえば料理によって、加熱時間を変えるための調節。今はボタンや液晶が主流だが、このオールドタイプは、なんと絵が描いた筒をダイヤルでぐりぐり回して設定する。そして、なんといってもプラスチックのパーツが少なく、ボディは鉄。重厚感がある。

とにかく、壊れずにいまだに使えてる、というのがすごい。はたして今売ってる電子レンジが、35年後も動くだろうか?

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そういえば、たまに広島の実家に帰ると、僕が中学生のころ、色気を出して、髪をまきまきしていた「カールドライヤー」が、まだ現役で使ってたりして、甘酸っぱい気持ちでいっぱいになる。

ところが、最近、某メーカーが出している「マイナスイオンが噴き出すドライヤー」を買ったら、2年でありえないプラスチックパーツの破壊がおきて、壊れた。頭にきてメーカーに文句をいったら、別な新品が届いたのだが、なんと半年使ったら、またまたプラスチックパーツが壊れた。

ほんと、マイナスイオン、出なくていいからもっと丈夫に作ってほしいと思った。

なんだか、古い家電製品ほど、丈夫な気がする。もちろん壊れやすい昔の家電もあったろうが、先の電子レンジのように、生き残った家電は、おそろしく丈夫だ。

このことを考えるとき、僕は「昭和一ケタ生まれの人間のじょうぶさ」とかぶるなー、と思う。あの時代って、戦後でまずしくて食べ物もろくになかったから、栄養不足で死んでしまった人も多かったと思うけど、そこを生き抜いた人間は、なんか、すんごい丈夫なのね。

丈夫な電子レンジを作れた時代は、デジタル技術とか、剛性の強いプラスチックとか、シリコンなんかの新素材がなかったから、それこそ無骨だけど、余計なことをせずに、当時のエンジニアは丈夫な家電を設計できたかもしれない。

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こわれるといえば、パソコン。

僕には「パソコンかご」と呼んでるカゴがあって、過去に使ってきた、捨てるに捨てれない愛着のあるパソコンを入れてる。たまに取り出して、思いでにひたるのだが、大半がすでに壊れていて、修理すらできない。たかだか15年くらいだが、たくさんのパソコン、デジタルガジェットが、かごの中にある。

情報技術の進歩は、たとえば昔はビルぐらいのサイズのコンピューターを、指先に乗るぐらい小さくすることで、格段に電気エネルギーの消費量を減らした。そういう意味では環境にやさしい技術である。

しかしなぜかそれが「商品」に落とし込まれるとき、やたら製品寿命が短くなり、せっかくのエネルギーの節約も、廃棄パソコンの山で帳消しになってしまう。

電子レンジやドライヤーは、いわば「もう進歩しないマシーン」である。いくらドライヤーからマイナスイオンが出ようが、そんなの「うどんにおける七味唐がらし」みたいなもので、ドライヤーの本質はモーターと伝熱線で、それは150年前には生まれていた技術だ。

しかしデジタル機器は「まだまだ進化するかも?マシーン」である。そうじゃないかもしれないが、みんなはそう信じている。そういう機械は、製品寿命がどうしても短くなる。


「フォード社の社員は、フォードを作って稼いだお金で、フォードを買う」
。これが機械文明を進歩させる基本だ。それは大量生産、大量消費、大量廃棄の世界だ。僕らがより便利な生活を手に入れようとしたら、今使っているものを、どんどん捨てていかなければならない。

仕方ないことだと思う。
けれど一方で、35年も使い続けられる家電を見てしまうと、はたしてこれでいいのかな?という疑問は、やっぱり湧いてしまう。

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うわっつらワールド

昨日の石黒先生との対談は、たいへん面白かった。

人間にそっくりなアンドロイドを作っている石黒先生は、機械であるはずのアンドロイドに対し、人間が感情を感じ、ときにアンドロイド操作している人間に対しても、皮膚感覚がフィードバックしてくるという。そのことから「アンドロイドにも心の表現はある」といい、逆に「人間にあるのは、こころの表現であって、こころそのものはない」と、断言されていた。

もちろん本当に人間にこころがあるかどうか、という問題はだれも答えが出せないのだが、たくさんの人々が当たり前に「人間にはこころがある」と思っている中で、まったく反対の立場から議論を出発する石黒先生の見解は、とても刺激的だった。

かつて、僕は「人は、歌手の歌ごころに感動するのではなく、歌を歌う演出に感動するのだ」というブログを書いた。機械を使って表現物を作っていると、石黒先生同様、そういう場面にぶちあたる。

「感情とはなにか?」という問題はとらえどころがないが、「感情表現とは何か?」という問題は、実際に現象としてとらえられる。「悲しい」という感情がトリガーになって、「泣く」という感情表現が人間はしばしば起こす。この感情表現を、役者や、ときにロボットが演出し、再現すると、鑑賞者はしばしば「悲しい」という感情を引き起こす。

映画、本、漫画、舞台、歌、ドラマ・・・・・僕らのまわりにあるものは、そうした演出された感情表現だらけだ。フィクションだけではない。友達関係、ときには家族関係の中であっても、演出された感情表現で付き合っている。

人間は「うわっつら」で生きているのだ。

このことは、まったく悪いことではない。もしその「うわっつら」が本質ならば、そこをより良くしていけば、人間関係はスムーズになり、もしかしたら、究極の世界平和がくるかもしれない。そしてなによりそのことがすばらしいのは、「感情」そのものは、手がつけれない難しいものだが、「感情表現」ならば、定量的に捕えられ、芸術的にも、工学的にも、いくらでも知恵をしぼって創意工夫ができる、とういことだ。

人間は感覚器のオバケだ。たくさんのセンサーの塊だ。それらを使って他者とコミュニケーションをしている、というのは、「うわっつら」からの情報だらけ、ということだ。さらにいえば、人間は自分が作り出した、さまざなメディア装置を取り付け、「うわっつら」を拡大している。そこにはすでに「うわっつらワールド」ができてしまっている。

「うわっつらワールド」は、情報と機械が構成要素に入っている。そして心の断片もそこにまぎれている。この文明進化はますます拡大するだろう。ということは、芸術家も、工学者も、心の解明のチャンスが増えているということだ。

「ヒューマニズム」とはそうした事実に、英知を持って誠実に向かうことだ、ということを、「人間にはこころはない」と言い切る石黒先生の「人間くささ」を感じならが、思ったのでした。

     

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石黒博士と明和電機社長の 「人間とは何か?」 対談

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今週の土曜日、東京都現代美術館で、人型ロボット「ジェミノイド」の開発で有名は石黒浩博士と対談いたします。

くわしくはこちら>>

石黒博士と、明和電機社長・土佐信道にはひとつ共通点があります。それは、マシンというモチーフを通して

「人間とは何か?」

を探究していることです。石黒博士は、自分にそっくりなヒューマノイドを作り、そのロボットと自分、そして外界とのコミュニケーションを分析することで、「人間とは何か?こころとは何か?」を探究されています。

一方、僕は、芸術家である自分の中が「なぜものを作るのか?」という根源的な問いから出発し、「自分とは何か?人間とはなにか?」を考え、分かったことを、ひとつひとつ「ナンセンス・マシーン」として作ってきました。

それぞれ「工学的アプローチ」「芸術的アプローチ」ですが、ともに人間という不可解なものを理性によってつかもうとする姿勢が似ていると思います。

芸術家の場合、自分とは何か?に対する問いの、もっとも興味のある部分が「創造性と何か?」という問題。これはシステムが新しいシステムを作り出すという、機械では絶対にできない問題になります。ところが僕の場合、その問いを、「機械」というコモンセンスな素材を使って表現しようとする。すると、どうなるかというと、

「ナンセンス」な問題を「コモンセンス」な機械では表現できない。

とい大問題にぶち当たる。ここで悩みまくって、悩みまくって・・・・・・気がついたら、青い服を着ておかしな機械をたくさん作るという、明和電機スタイルになってしまった。

おそらく石黒博士も、人間の分析を機械というモチーフ探究されているので、同じような問題をかかえているはずです。そして、それを分析するために、ユニークで大胆なアプローチをされている。

僕と石黒博士の「人間への分析方法」に、どこに共通点があり、どこが違うのか?
うかがってみたうことがたくさん!
楽しみです。

     

石黒博士と明和電機の本。 一見、まったく違うジャンルですが、実は共通点が非常に多い二冊です。これを読んでおくと、対談がさらにおもしろくなるので、ぜひ!!

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立体を作る機械の進化について

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最近、「3Dプリンター」や「レーザーカッター」などの、コンピューターにつないで、立体物をバンバン作る装置が、劇的に安くなってきてます。CGで作ったバーチャルな立体を、簡単にリアルな三次元立体にすることができるようになってきた。まさに

「頭の中で描いたイメージが、魔法のように、形になる」

という世界が現実的になってきた・・・・・。っと思いがちだけど、はたしてそうなのか?

ちょっと、脇道にそれますが、「頭の中の世界を現実化する」ことについて、シュタイナー教育で有名な神智学のルドルフ・シュタイナーが、精神の進化の段階の話として書いてます。いわく、

人類の精神の進化は七期に分かれる。現在の人類は第四期で、「言葉によって、イデアの影をなんとなくイメージ化できる段階」

これがもう少し進んで第五期になると、「頭の中の概念を、簡単にイメージとして取り出せるようになる」

そして第六期をへて精神進化の第七期になると、「思ったことをイメージとして取り出せるだけではなく、事物を創造できるようになる」。

まあ、これは神秘主義な話なので、シュタイナーのイメージでしかないのだが、現在のテクノロジー事情と比較するとなかなか面白い。

たしかに現在の人類は、本というメディアから、インターネットへ移行を始めて、検索エンジンの進歩で、格段に「頭の中の概念を、簡単にイメージとして取り出せる」段階に進みつつある。
画像検索の精度があがれば、今以上に、欲しいイメージを簡単に探せるようになるだろうし、、脳から直接イメージを取り出す装置の研究も実際に進んでいる。

そして、3Dプリンターのような「簡単にイメージを形にする装置」が発達すれば、シュタイナーの言う精神進化の最終段階のように、想像しただけで、すきなものが作れる時代がくるかもしれない!!・・・・となりそうですが、僕はそこで疑問を持ってしまうんです。

現在の3Dプリンターのような技術は、「形」のコントロールはできますが、「物質」のコントロールはできません。原子レベルで操作して、あらゆる素材を再現するような装置は、出てこない。それはなぜかと言えば「ミクロな世界ほど、コントロールするには膨大なエネルギーがいる」し、「情報量も形のみの再現にくらべて、けた違いに増える」からです。

猫の毛から、ステンレスの硬質までの質感を、プリントアウトするような装置を作ることは不可能でしょう。映画アバターのような疑似体験ができはる映像技術はどんどん進みますが、我々は、決してその世界の「温度」や、「手触り」を感じることはなく、今後も、脳が記憶している質感を喚起され続けるだけだと思います。

物質に人間が触れ合うときに、受け取る情報量は、膨大です。作品を作るときの素材選びがとても重要なのは、間違った素材を選ぶと、自分が伝えたいこととは別なイメージを、相手に与えてしまうからです。3Dスキャナで、形だけの立体をバンバン作るということで、なんだかモノを作った気分になるのは、物質によるモノ作りの、コミュニケーションの本質を学んでいないと思います。

 

なんだか最近、学生さんが安易に3Dプリンターを使って作品を作ったり、それだけではなく、プロのみなさんも、グラフィックデータでプラスチックの板を切り抜いただけで、「えへん、プロダクトデザインなのだ」、と言ってる人が増えてたりするのを見ると、そうじゃないだろー、と僕は思ってしまうのです。

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